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福田翁随想録(6)

 人生は川の流れのごとく

 始めがあるから終わりがあり、出会いにはいつか必ず別れの時が訪れる。
 十六人いた絵描き仲間が先ごろついに私を含めて二人となった。残った一人もかねてより不調を訴えていた。昨日この友人から深刻な電話を受けた。
 当たり前のことだが、改めてその感慨に打たれた次第だ。取り残されてしまうことになりそうだ。
 傘寿ともなると七十代とは自ずから違う重さを覚える。古い手紙や手帳を始末していて、若き日のことを思い出したり、字体がまるで違うのを見て違和感に驚かされたりする。タイムトンネルをくぐったり出たりしながら時の経つのを忘れている。
「死」がどんな形でやってくるのか見当がつかないから気楽といえば気楽ともいえる。医者に「せいぜいもって一か月でしょう」などと告知されれば、この八十翁もさすがに絶望の淵に突き落とされることだろう。
 いくら高齢になっても悟れるものではない。なんでもなく暮らしていて長命が必ずしも楽しいものではないことも分かった。場所ふさぎもほどほどにしなくては、と殊勝らしく考えたりする昨今である。
 それにしても人間の最後にはさまざまなケースがあるものだ。
 酒豪で鳴らしていたある友人は、家人も気づかないうちに床の中で亡くなっていた。就寝の時いつもと少しも変わらなかったと夫人が話していた。医者さえ死亡診断書の記載に弱っていたそうで、誰しも望む死に方だが、家族にしてみるとこの急変による悲しみはひとしお深いかもしれない。 
 また救いというものもある。
 がん治療では一家をなしていたある専門医師の方は、ご自分が罹患していることをご本人も気がついていなかった。腫瘍摘出ために入院し、いざ弟子たちが開腹してみるとすでになす術がない手遅れ状態だった。
「先生、申し訳ありません。手術に失敗いたしました」
 と弟子たちが気遣って謝ると、
「君たちはいつになったら一人前になれるのか、困ったものだ」
 と、本気で叱りつけたという。
 私も存じ上げている名医で、温厚誠実な方だった。かなりの数の患者の開腹手術の執刀をなさったなかには転移して手の施しようがないというケースもあったに違いない。後輩たちの詫びの言葉を真に受けていたというのは首を傾げざるを得ないことだが、これがよくある人間社会の出来事であり、いくら豊かな経験と知識が備わっていても見逃してしまうということがあるものだということを教えられた。
 がん細胞に蔓延られてくると、顔に艶がなくなったり、微熱もないのに脱力感に襲われたりするようだが、私のような子どもの時から病気に慣れ親しみ、医者に脅かされて育っていると素人でもそれなりの自己診断が身についてくるものだ。 
 
 松尾芭蕉の『おくのほそ道』の有名な書き出しを想起する。

 月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。
 舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老いをむかふるものは、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。
 
 船の上で一生を過ごす船頭、馬を曳いて街道を往来する毎日も旅かもしれない。
 私も人生は旅のようなものであり、川の流れに似ていると思う。
 
 酸素と水素が化学変化を起こして水滴になる。その水滴が奥山の落葉の底をくぐってたくさんの仲間たちと手に手を取り合ってようやく岩の間から滴り落ちる。
 徒歩で秩父巡礼した時、三峰山中でこうして落下する水音がやがて荒川になることを知った時の感懐をいまだに鮮明に覚えている。
 山襞を通り、渓谷で小流れになり、人里に出たあたりで中流に成長し、水量も豊かになる。下流で満潮の海から逆流してくる海水を迎える。
 深山から発して絶え間なく流れ続ける水は、仕舞には海に向かう。海を死になぞらえてもいいかもしれない。
 海は広く、深く、正体は定かではない。神秘である。宇宙の妙霊不可思議な力によって海水は蒸発し、再び雲となり雨となって地上を潤し、深山に舞い降りた水滴はやがて大河の源流となる。
 こう考えると、自然は暗黙のうちに生命の永遠の循環という法則を垂示(すいし)しているように思われる。
 またそうとでも考えなくては、安心立命の拠り所をどこにも求められないではないか。

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