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サン・ピエトロのピエタ

 セーヌ川沿いの露天古書店に平積みされた大判の美術書に眼が釘づけになった。微かに宙に浮くような感覚を覚えた。
 ややうつむいた乳白色の女性の顔がクローズアップされたカバーがかかっている。
 ミケランジェロの作品集だった。巻頭の見開きにも同じ彫刻の全体像が掲載されている。「ピエタ」というタイトルが読みとれた。
 ――どうしてこんなにも崇高な表情を彫り上げることができたんだろう……
 憲次郎は実物を見てみたいという思いに駆られた。彫像が展示されている「バチカン市国サン・ピエトロ大聖堂」の文字が頭に刻みつけられた瞬間だった。
 サンジェルマンの安ホテルに帰ってからもその女性の顔がたびたび浮かんできて、そのたびに買い求めてきたその美術書を開いては見惚れていた。女性の顔を見つめ続けていると、現実とはかけ離れた、手の届かないところに存在するもののように思えてくる。
 彼はバチカン市国の名は聞いたことがあったが、その国のことはもちろん、どこにあるのかさえ知らなかった。ネットで検索してはじめてイタリアのローマに存在する、世界で最も小さな独立国だということがわかった。

ミケランジェロ・ブオナローティ。ルネサンス期イタリアで活躍したレオナルド・ダビンチと並び称された天才芸術家。
ピエタ像は、十五世紀末彼が二年の歳月をかけて二十三歳の時に完成させた。題された「ピエタ」とは、イタリア語で、意味は「嘆き、哀れみ、慈悲」。
十字架から降ろされたキリストを膝に抱いた、聖母マリアの姿を彫り上げた大理石彫刻。
ミケランジェロは同じ主題に四度挑戦し、唯一完成させた彫像がサン・ピエトロ大聖堂に展示されている。……

 検索すればするほど半端な量ではない未知なる情報が飛び出してくる。どれもこれもおざなりにはできない情報ばかりで、そのすべてを即インプットしたいという急く気持ちが指先にまで伝わるのかミスタッチが多くなる。
 一七三六年にその彫刻の美しさに正気を失った男がこのピエタ像の左手の指四本を折るという事件が起こったという。さらに一九七二年五月には精神疾患のある地質学者が、「俺がイエス・キリストだ」と叫びながら鉄槌で鼻や腕などを叩き壊したという。その後周到な修復が施され、いま現在は防弾ガラスに守られて展示されている。
 調べれば調べるほど実物を見たいという思いが募ってくる。
 ――イタリアのローマか。どうやって行けばいいのだろう……
 サン・ピエトロ大聖堂のピエタ像の前に立つまでに越えなければならない壁がいくつもあるように思えて、憲次郎は軽いめまいを覚えた。
 パソコン画面から日光が射し込む窓の方へ眼を移し、しばらく険しい表情を浮かべていた。明日はパリの地下墓地・カタコンブはじめ、観光客があまり行かない場所を見て回る予定だった。
 出発前に準備したガイドブックのなかにはイタリアのものはなかった。旅行計画にローマは入っていなかった。ただ全ヨーロッパ旅行地図は持参していた。当然ローマの地図も載っている。
 パリからローマへはどういう経路を経てたどり着けるのか、ヨーロッパの地図とトーマス・クックのコンチネンタル時刻表で調べ上げた。ローマへ行くには数本の国際列車があった。一番簡単で便利な列車は、ローマ直通の国際寝台特急・パラティーノ号だった。パリ・リオン駅十八時四十七分発で、ディジョン、シャンベリー、国境駅モダーンを経てイタリアに入り、トリノ、ジェノバ、ピサといった半島の西海岸沿いの都市を南下してローマに翌日の十時五分に着く。
 彼は荷物をまとめ始めた。ホテルを引き払う際に、「三泊の予定じゃなかったのか?」と宿の主にかなりしつこく咎めだてる口調で文句を言われたが、なにを言われても「パルドン、パルドン」と謝罪の言葉を繰り返して押し通した。最後にはこいつはフランス語がわからない常識外れな東洋人だからいくら言っても仕方がないと諦めたのか、口をへの字に曲げ、首を横に二、三度振ってさっさとここから立ち去ってくれと言わんばかりに手で払った。
 ――どう思われようと構いやしないじゃないか。
 落ち込みかける心を奮いたたせてそう独りごち、安宿を後にした。
 宿を出てその足でリオン駅へ向かった。パリには、行き先別に主要なターミナル駅が六つある。リオン駅は、マルセイユ、スイス、イタリア方面へ行く列車の発着駅だ。
 セーヌ川沿いに歩いて二十分足らずで駅が見えてくる。川を挟んで対岸にボルドー、スペイン方面の発着駅・オーステリッツが位置する。
 駅チケットカウンターでコンチネンタル時刻表のパラティーノ号の個所を指し、二等簡易寝台のクシェットを予約した。言葉などしゃべれなくても相手にこちらの意思が伝わればなんの問題もない。
 発車時刻までにはまだ時間がある。憲次郎はパン屋でバケットを一本買い、オーステリッツ橋を渡り、セーヌ川の川べりに降り、春の光が川面に美しくきらめく場所に腰を下ろしてパンを齧りながら行きかう船やボートを眺めて時間をつぶした。

 インフォメーションとカフェテリアの間を抜けるとリオン駅の列車ホームが横一列にならんでいる。日本のような改札口に当たるものはない。電光掲示板で目的の列車のホームを確認してそのホームへ向かう。すでに列車が停まっている。昇降口の案内掲示でこの列車がパラティーノ号だとわかった。チケットで自分の乗る号車番号を確かめて乗り込んだ。通路側に窓、その反対側に仕切られた小部屋がならんでいる。
 ドアーを開けて入ると、三段寝台の向かい合わせ六人部屋だった。誰もいない。すでに座席ではなく寝台仕様になっている。片側の一番下の簡易ベッドにリュックを下ろし、通路に出て座椅子に坐ってホームを眺めた。
 定刻になると列車は発車ベルも案内アナウンスもなく、ひと揺れするとリオン駅のホームをゆっくり滑りはじめる。気になっていた同席者もなく部屋を独占するかたちになった。
 イル・ド・フランスを出てブルゴーニュに入るあたりから、車窓の景色はなだらかな丘陵に変わる。やがて薄墨色に染まりだし、終いには自分の顔しか見えなくなった。セルフサービス方式のビュッフェ車輛が連結されているようだが、彼は残っているバゲットを齧って空腹を紛らわせた。
 簡易ベッドに横になりカーテンを引いてガイドブックを読み始めた。カーテンが引いてあればたとえ途中の駅から人が乗ってきても邪魔されることはないだろう。ディジョンに二十一時すぎに着き、シャンベリーに午前零時少し前に着いたが、彼のコンパートメントに入ってくるものはいなかった。
 寝入って間もなく隣のコンパートメントの扉を開ける音で目を覚まさせられた。話し声がする。列車はどこかの駅に停車していた。次に憲次郎のコンパートメントの扉が開けられ、声をかけられた。カーテンを開けるとそこに紺の制服姿の車掌が立っていた。髭を蓄えた、大柄の中年男が腰をかがめて覗き込み、なにごとか言葉を発した。つぶさには理解できなかったが、パスポートという単語は聞きとれた。
 憲次郎はパスポートと予約チケット、そして日本の周遊券に当たるユーレイルパスを彼に渡した。腕時計を見た。午前一時を過ぎていた。車掌が確認している間に窓から外を見た。モダーンという文字が見えた。ここが国境駅だ。フランスからイタリアに入ったのだ。
「ボン ボヤージュ (良い旅を)」
 と言って部屋を出ていく彼の背中に、「メルシ」と彼が記憶している数少ないフランス語の単語を発した。車掌は振り返りもせずドアーを閉めると、隣のコンパートメントへ移動し、ドアーを開けた。彼が同じように声をかけるのが聴こえた。
 長い時間列車は国境駅に停車していた。乗客全員の出入国手続きが終わるまで発車できないからだ。三時過ぎにやっと列車はごとりと動き出した。時刻表によると次はトリノ駅に停車するはずだ。窓の外はまだ真っ暗でなにも見えない。憲次郎は再びベッドに横になりカーテンを閉ざした。
 パラティーノ号は予定よりやや遅れてローマのテルミニ駅に着いた。着くなり駅のホームにあるカフェテリアでサンドイッチとコーヒーの朝食をとった。
 幸運なことにそのカフェテリアで販売していた伊仏独英日の対訳付きの観光案内冊子と無料観光案内地図を手に入れることができた。その案内に従ってバチカン市国行きのバスに乗り、サン・ピエトロ大聖堂へ向かった。サン・ピエトロ大聖堂前の広場を囲む円形回廊の前に立ったとき、その壮麗な佇まいに息をのんだ。しばらくそこからの眺めを楽しんだ。
 大聖堂に入ってすぐ右手に進んだところに目指す彫像はあった。防弾ガラスに隔たれていて間近には寄れない。憲次郎は彫像の真正面に立ち、いま自分の眼で五百年も前にミケランジェロが彫りあげた「ピエタ」を見ているという現実を確かめていた。あまりにもスムーズに目指す「ピエタ」を前にしたせいで、にわかに実感が湧かない。これは仮想ではなく現実なのだと自分にいくども言い聞かせなくてはならなかった。
 一般的に「ピエタ」とは、十字架から降ろされたイエスの亡骸を抱く聖母マリアの嘆き、悲しみというキリスト教美術の主題のひとつに他ならないのだろうが、このミケランジェロのピエタは、「聖母マリアの処女性、不滅性、年をとらない」という彼独自の解釈のもと、膝に抱かれたイエスよりも聖母マリアの方が若く彫りあげられているという。また彼が六歳のときに亡くした母親を思い描き、投影したものだという説もある。
 憲次郎に宗教的なことはわからない。わからなくてもこの彫像のすばらしさは感じとれる。美術書から受けた感動を遥かに超える魅力をたたえている。人間の嘆きや悲しみや憂いなどといった感情の域を超越している。憲次郎はただただ見惚れた。
 大理石彫刻に恋慕に近い感情を抱く。胸を締めつけられる感覚を覚える。過去に事件を起こした男たちの衝動の根底にはこれと似たものがあったのではないだろうか。もっと近くに寄ってわが腕で抱きしめたい、ひとつになりたいという抑えきれない欲望が湧きあがってくる。

 憲次郎は観光客向けに売られている絵葉書を買い求めた。その中に「ピエタ像」もあった。
 絵葉書を眺めていてふと泉田登紀恵さんのことが頭をよぎった。
「いまどこを旅してるんだろう?」
 登紀恵さんはいつも口癖のように呟いていた。
「なんの便りも寄越さない。元気にしているんだろうか?」
 憲次郎は彼女の息子の名を騙ってエアメールを送ることを思いついた。
「いま僕はバチカン市国のサン・ピエトロ寺院にいます。ミケランジェロの『ピエタ』という彫像の前でこの葉書を書いています。この絵葉書がそうです。この彫刻に惹かれてここにやってきました。感謝の気持ちで一杯です。お母さんのおかげです」
 登紀恵さんの懐かしい笑顔が浮かんできて、憲次郎は目頭が熱くなった。
 そのとき亡き母の笑顔が脳裏をかすめた。なにが自分をこのサン・ピエトロ大聖堂に来させたのか、なぜ来ざるをえなかったのかがわかるような気がした。

        ♡♡♡ 

 葬儀場の重い扉を押し開いて屋外へ出たところで立ちすくんだ。
 ひんやりとした風がいきなり彼の頬を撫でたからではない。黄金色に染まるススキ野原がいきなり眼に飛び込んできたからだ。
 気まぐれな風に光り輝く穂が一斉に手招きするように揺れている。幾本もの枝と枝が擦れ合う音とともに虫たちの軽やかな鳴き声が聴こえる。
 憲次郎は二年前のあの日のことを思い出した。消化器科の医師から母親の末期肝臓がんの告知を受けた日のことだ。
 暗澹たる思いを抱いて病院を後にした。帰途、乗り合いバスが街路樹の並木道を抜けたところで眼に飛び込んできた映像に息をのんだ。雑木林のクヌギやナラの芽吹いたばかりの若葉が薄皮を一枚剥いだような瑞々しさと艶を放ち、畑の緑葉野菜たちがはちきれんばかりの生命力に溢れていた。図らずも感動が憲次郎のなかに満ち溢れた。
 あの日と同じ神々しい光を帯びた光景が眼の前に広がっている。あのときの光明が甦る。
 深く吸い込んだ空気をゆっくり吐きながら空を仰いだ。朱色に染められた秋雲がはるか上空で波打っている。からだが宙に浮き、高みに吸い上げられていくような心地がする。
 思わずため息が漏れる。
「もういいんですよ、もう充分すぎるくらいあなたは尽くしてくれました。これからは自分のために、あなたがこころから求めるものに向かって精一杯生きていってください」
 泉田登紀恵さんが、彼の母親のときと同じように耳元で囁きかけてくる。

 泉田登紀恵さんが亡くなったのは、二日前の深夜だった。入居していた特別養護老人ホーム「祐泉苑」の自室で脳溢血が原因で亡くなった。享年七十六歳だった。
 施設の職員が登紀恵さんの部屋を訪ねたとき声掛けをしたけれども反応がなかった。怪訝に思った職員が部屋に上がり異変に気づいた。そのときすでに心肺停止状態だった。
「来週またおうかがいします」
「楽しみにしています。いつもありがとうございます」
 それが登紀恵さんと交わした最後の会話だった。十日ほど前のことだ。  
 生きる目的が失われたように思えた。励みとなるものが奪われたように感じた。いきなり梯子が外されたような感覚に陥り、荒涼とした原野にひとり置き去りにされたような不安と寂寥感が襲ってきた。
 ――確かに今日が終わりじゃない。明日も明後日も、そして明明後日も生きていかなければならない。
 憲次郎は駅へと続く危うげな轍の坂を、一歩一歩踏みしめながら下って行った。
 ――しかし、なにから始めればいいのか。なんの準備も手立てもない。

 憲次郎が傾聴ボランティアとして「祐泉苑」に派遣され、初めて担当した相手が登紀恵さんだった。
 登紀恵さんがこの特別養護老人ホームに入居する二年ほど前、ご主人と一人息子の哲雄さんは自動車事故で亡くなっていた。息子さんの運転で九州の温泉めぐりの旅の途中だったそうだ。憲次郎はこの話をたまたま訪れていた登紀恵さんの義兄の方から教えられた。
 登紀恵さんには軽い痴呆の気があった。アルツハイマー症によるものではなく、脳血管閉塞によるものだ。もうすでに亡くなっている息子の哲雄さんがいまもまだ生きていると信じていた。その辺の記憶を司っている脳細胞への血流が閉塞で死滅してしまっているせいだ。
 憲次郎は登紀恵さんからなんども哲雄さんの話は聞かされていた。大学卒業直前に欧州を巡る海外旅行に出掛けたことがあったようで、哲雄さんに関することはその時点で時間が止まってしまっていた。
「哲雄はいまヨーロッパのどこかの国を訪れているんですよ」
 憲次郎はなんどめかの面会のときに、その話をはじめて彼女の口から聞かされた。そのときの登紀恵さんの表情は誇らしげで、とても生き生きとしていた。
 この時点ではまだ憲次郎には登紀恵さんの息子さんが亡くなっているという情報が入っていなかったから、「そうですか。いいですね。それでいつ帰国されるんですか」などという残酷な問い掛けをするあやまちを犯してしまったことがあった。そのときの登紀恵さんのなんともいえない不安そうな表情が頭にインプットされてしまい、とても苦々しい思い出として残っている。
 彼女のなかの大切な宝物のような話題のひとつだったのにちがいない。その話をするときの彼女の幸せそうな表情を、憲次郎は生涯忘れることができないだろう。こぼれんばかりの笑みを湛えて語ってくれた。

       ♡♡♡ 

 サン・ピエトロ大聖堂の北に隣接するシスティーナ礼拝堂へ向かった。ミケランジェロの「天地創造」の天井画と「最後の審判」の壁画を観るためだ。礼拝堂に行くにはバチカン美術館のなかの数多い展示コーナーを経なければたどり着けない。速足でも三十分はゆうにかかる。
 礼拝堂に入って見上げると、おびただしい数の絵画に圧倒された。憲次郎は天井装飾画程度に考えていたが、実際目の当たりにするとさすがに驚かされる。これらすべての絵をミケランジェロたったひとりで二年の歳月をかけて描いたという偉業にただただ嘆息が漏れる。
 カフェテリアで購入した案内冊子を見ながら、一つひとつ鑑賞していった。旧約聖書の創世記の九つの場面が描かれている。祭壇側から天井中央部に順に「光と闇の分離」「太陽と月の創造」「地と水の分離」「アダムの創造」「エバァの創造」「原罪と楽園追放」「ノアの燔祭(はんさい)」「大洪水」「ノアの泥水」が、そしてそれを囲むように七人の預言者と五人の巫女が描かれている。
 印象深かったのは、かつて見たことがある「アダムの創造」と「デルフォイの巫女」だ。神がアダムに人差し指を差し伸べて命を授ける「アダムの創造」の場面は、好評だったハリウッド映画を思い起こさせる。また「デルフォイの巫女」の巫女の表情は、これまで日常生活のなかでなんどか見かけたことがある気がする。知人の介護士の顔にどことなく似ている。
「最後の審判」の壁画の中央に描かれているイエス・キリストと聖母マリア像も美術の教科書で見た覚えがある。右下に描かれているキリストの弟子・聖バルトロメオが手にしている剝がされた顔は、ミケランジェロ自身のものだという説があることを初めて知った。
 歩き疲れもあって、またほかに観ておきたいというものも思い浮かばなかったので、来た時と同じバスでテルミニ駅へ戻った。ローマに一泊することも考えたが、明日のことを考えるとパリに戻っておいた方がいいという結論に達した。
 ローマからパリへは来た時と同じパラティーノ号にした。簡易寝台クシェットの予約は難なく取れた。パリ・リオン駅には明日の午前十時六分に着く。今日は車中泊ということで、スーパーでバゲット、赤ワイン、ミネラルウォーター、ハム、サニーレタス、ひと口チーズを買い求めた。
 翌日予定よりかなり遅れてリオン駅に着いた。その足でサンジェルマン・デプレ地区と同じセーヌ川左岸に位置するカルチェ・ラタンへ宿探しに向かった。何軒か断られたが、最後の一つ星のホテルで、一泊ではなく三泊というのが良かったのか、即オーケーだった。ツインというのはもったいない気もしたが、かなり歩き回るのに疲れていたこともあって良しとした。すぐチェックインできるということで、そのまま部屋に案内してもらった。チップを渡すべきかどうか迷っていると、察したのか「ノン、ノン」と言って部屋を出て行った。
 仮眠したおかげで元気を取り戻した。昼食抜きだったのでなにか食べに出かけることにした。学生の街ということだけあって通りが変わるごとに大学や教育施設にぶつかる。パリ大学、ソルボンヌ大学、いずれもよく知られた名門大学だ。行き交う人も若い人が多い。
 昼食後は徒歩圏内のルーブル美術館に行き、たっぷり時間をかけて各展示コーナーを鑑賞して回ろうと考えていた。明日以降は、ローマに行く前に計画していた観光コースに戻し、パリの地下墓地・カタコンブ、下水道見学、ミレーやルソーらバルビゾン派の画家たちが好んで棲みついたバルビゾン村、フランソワ一世はじめ歴代の王の居城として名高い、ユネスコ世界遺産にも登録されているフォンテンブロー宮殿、ルイ十四世が嫉妬しヴェルサイユ宮殿のモデルともなったヴォー・ル・ヴィコント城などへも行くつもりだ。

       ♡♡♡

 登紀恵さんがいるはずがないとわかっているのに、憲次郎は最寄り駅を通りかかるとつい降りたくなる。過去の良き思い出を懐かしむというのとはちがう心理が働いている。
 その自覚があるからこれまで施設に立ち寄ることをしてこなかった。
 欠落感からなのか、喪失感からくるものなのかわからない。自制していなければふらふらと「祐泉苑」へ足を向けてしまいかねない兆しがある。
 ――なぜこうまで執着する気持ちが強いのか、なにが影響しているのか確かめておきたい。
 憲次郎は意を決して「祐泉苑」を訪問してみることにした。
 一階の総合受付には誰もいなかった。そのまま登紀恵さんが入居していた居室階へ向かう。
 デイルームの前で、部屋から出てきた介護士の佐野ゆかりと出くわした。伏し目がちに挨挨してそそくさとその場を離れようとしたところ、彼女に呼び止められた。
「お久しぶりです。何か月ぶりかしら?」
「登紀恵さんのお葬式のときにお目にかかって以来ですか」
「早いもんですよね、時の経つのは」
「………………」
「時間ありますか? ちょっとお話しできませんか?」
 憲次郎は軽く頷き、デイルームの方へ歩いていく彼女についていった。
「登紀恵さんが亡くなっただなんてまだ信じられないんですよ。なにかの瞬間に登紀恵さんのことが浮かんできて『ちょっと登紀恵さんの部屋覗いてこよう』なんて足を向けてる自分がいて」
「………………」
「重症ですよね。それだけ登紀恵さんの存在が私のなかで大きかったということなのかもしれませんけど。なん人もの入居者の方を見送ってきたのに登紀恵さんのことだけはいつまでたっても忘れられなくって」
「佐野さんもそうなんですか? 実は自分も同じなんです。登紀恵さんに会いに行こうと支度して家を出てしまいそうになることまであるんです。さすがに家は出ませんが。でも、そんな錯覚は別に厭じゃなくて、逆に当時をリアルに蘇らせることができて幸せな気持ちになるんです。そんなだから無意識のうちに吸い寄せられるようにここへ足を運びたくなるんでしょうね」
「あらあら、それは私以上に重症かもしれないですね。てっきり別の方の傾聴にいらしたとばかり思ってた」
「いいえ。佐野さんだから正直に話しましたけど。……ちょっと覗いて部屋を眼に焼きつけて帰ろうと思ったんです。踏ん切りをつけなきゃ、と。いつまでもこんな調子では先へ進めませんから」
「そうだったんだ。最後のお別れに来られたんですね。……あっそうだ、ここで再会したのもなにかの巡り合わせだわ。別の入所者さんを紹介するので、その方のお話を聴いてもらうことって可能ですか?」
「それはちょっと。せっかくの努力も無駄になっちゃうし、また引き摺っちゃいそうですから」
「そんなことを言わないで、人助けだと思って。その患者さんのためだけじゃなくて私のために、お願い」
 彼女は目を閉じて手を合わせた。彼は固辞した。
「わかりました、諦めます。憲次郎さんがまた『傾聴』に再チャレンジする気持ちに傾いてくれたらいいなと思ったんだけど」
「すいません」
「ううん、こっちこそ余計なお世話でしたね」
 彼女は軽やかに笑った。
 登紀恵さんが入居していた部屋には別の入居者がいた。目が合ったので憲次郎は軽く会釈して踵を返した。談話室を覗いたら誰もいなかったので室内に入り、書棚のそばの椅子に腰かけ、過ぎた日々のことに思いを馳せた。
 登紀恵さんに助けられたときのことが甦ってきた。
 エレベーターを利用しようとするとき、その階の痴呆症の入居者がついてきて一緒に乗り込もうとすることがなんどかあった。憲次郎があわやクレームを浴びそうな事態になりかねないところを登紀恵さんに助けてもらったことがある。
「今日どうしても家に帰らなければならないんです」
 背後から声を掛けられてはっとして後ろを振り返ると、いつものパジャマ姿ではなく、しっかり外出着に着替えている登紀恵さんの隣室の前田のお婆ちゃんが杖を持って立っていた。
 すでに憲次郎がエレベーターの暗証番号をプッシュし終えていて、もう間もなくその階の扉が開こうとするときだった。あわてて彼女の肩を抱き周りを見渡したが、職員の姿はなかった。
「ああそうだ。前田のお婆ちゃんにあげるものがあったんだ。プレゼント、プレゼント」
 そう言いながら、介護室の方へ向きを返させた。
「プレゼント?」
「そう。素敵なプレゼント」
 彼女は白っぽい顔を憲次郎に向けたまま不安そうな表情を浮かべていた。そのとき運悪くエレベーターが到着し、音立てて扉が開いてしまった。一瞬にして意識はそちらへ転じていた。
 肩に掛けている手にやや力をいれ、強引に介護室の方へ歩ませようと前へ押したときだ。彼女が抵抗するそぶりをみせた。
「いらない、いらない、そんなもの。家に帰る、今日はどうしても帰らなきゃなんない」
 そう言って、彼の手を払いのけようとした。
「イヤダー!」
 次の瞬間、彼女がすさまじい奇声を発した。
「前田さん、前田さん」
 いつの間にそばに来ていたのか、登紀恵さんが立っていた。
「お孫さんが部屋で泣いておいでですよ。お婆ちゃまはどこって」
「孫が?」
 そこへ騒ぎを聞きつけた介護士が二人駆け寄ってきて、登紀恵さんの言ったことを受けて、
「お孫さんが来られてるんでしょ。さっ、部屋へ一緒に行きましょうね」
 と言い、連れて行ってくれた。
 憲次郎は介護士に急かされるようにエレベーターに乗り込んだ。
 手をひらひらと振る登紀恵さんに見送られる格好となった。
「お気をつけてお帰りくださいね」
 お互い笑いをこらえきれずにくっくっと笑っている間に扉は閉まった。

 意を決して「祐泉苑」を訪問したのが良かったのか、はたまた登紀恵さんの入居していた部屋を覗いたのが幸いしたのか、その後、憲次郎のなかの奇行の衝動は徐々に消えていった。

       ♡♡♡ 

 帰国を明日に控えた日の午後、今回の旅の思い出や感想などを整理していると、突然ノートパソコンのメール着信音が鳴った。どうせろくでもない案内メールだろうくらいに思ってメールボックスを開いて、一瞬自分の眼を疑った。ありえない見出しのメールだったからだ。
「祝・ピエタとの初対面」
 差出人は「泉田登紀恵」となっていた。
「ピエタ」を見るためにサン・ピエトロ大聖堂へ行くことなど誰も知り得るはずがなかった。アドレスは特別養護老人ホーム「祐泉苑」のものだった。憲次郎は最初ちょっと驚かされたが、すぐにだれの仕業か見当がついた。
「哲雄様 絵葉書をありがとう。あなたからの連絡を待ち焦がれていました。いまあなたからお便りを貰って、お母さんはとても幸せです。いまどのあたりを旅しているのかとあなたのことをずっと案じていました。その気持ちを抑えるのがとても大変な日々でした。でもいまあなたからのお便りを手にしていると、そんな恨みがましい気持ちはすっかりどこかへ吹き飛んでいってしまいました」
 登紀恵さんになりきっている……憲次郎に思わず笑みがこぼれる。
「バチカン市国というのはイタリアのローマのなかにある国なんですね。サン・ピエトロ大聖堂もミケランジェロという彫刻家のこともお母さんはなにも知りませんが、写真のピエタという彫像のすばらしさはよくわかります。あなたがこの彫像を見たさにそこを訪れた理由がわかるような気がします。あなたは探し求めていたものにたどり着いたのですね。いろんなところを旅した果てにやっと出会えたのですね。おめでとうという言葉がいまあなたに贈る言葉として適当なのかどうかわかりませんが、祝福したい気持ちがこみ上げてきます。……そうそう私の近況よりも、あなたにどうしても叶えてもらいたいことがあります。あなたがいつの日か帰国したらすぐに私を訪ねて来てください。あなたにぜひ紹介したい人がいまここにいます。とても素敵な人。その方もきっとあなたに会うことを待ち望んでらっしゃるような気がします。ぜひ会っていただけないでしょうか」
 憲次郎はこのメールを寄越した真の主との記憶を手繰り寄せた。なんでもない会話の切れ切れが甦ってくる。憲次郎は自ずとこころがほのかに温まってくるのを感じた。

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