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父の遺した掌編小説


「いつの時代の話なんだよ」
 いつも同じ笑みと言葉が漏れる。
「そんな昔でもないだろうに」
 モノクロ映画というか、古い活動写真でも観させられているような気分になる。
「なんなんだろう? このもの哀しさは……」

 体力の衰えを覚え始めていたからなのか、高血圧症と診断されたのを機にきっぱりと釣行を止め、親しかった古書店主の指導を受けながら文章を書き始めるようになった。
 年に一度募集していた郷土新聞主催の文芸賞に応募したところ、選者の目にとまり、入選は逃したものの佳作として活字になる誉れに預かった。そのことが大きな励みとなって毎年応募し続け、おかげでそのほとんどが活字になって遺っている。
 八十三の時に脳梗塞で倒れ、救急車で病院へ運び込まれた。一年ほどで退院するまでに回復したものの左手足の不自由さと口が利けないという障害が残った。もちろん小説も書けなくなった。
 その後も入退院を繰り返し、最後は寝たきり状態で、文字通り顔もからだも骨と皮だけという姿となり老衰で死去した。
 この『少年時代の釣り』は、父が初めて書いた掌編小説である。思い出がベースになっている。釣りに魅せられた少年の躍躍とした立ち居振る舞い、沸き立つ心模様。無垢な感性がしっとり伝わってくる。詳細には描かれていないが、鹿児島の僻村の生活風景も垣間見させてくれる。   
 登場する母親、父親、そして子どもたちが口にする言葉遣いもひどく古めかしく思える。私の生まれも九州だけれども、同じ九州弁でも鹿児島弁はまるで違う。異国の言語とまでは言わないまでも意味がわからない言い回しや言葉がかなりある。
 新しさはないが秀作だと思う。贔屓目というものだろうか。飾らぬ素朴な表現や文体にも好感を抱く。

 今月の二十七日が命日である。供養というほどのことではないが、毎年仏壇の中に納まっているスクラップ帳を取り出してきては拾い読みしている。
 
         *

 青山一夫の釣り好きは少年の頃からだった。
 郷里は鹿児島県の大隅半島にある曽於郡野方村である。幾分高地であったが、その広大な平地は大都会の都市に匹敵するほどの広さであった。
 釣りに行くためには、海にも川にも二十キロは歩かねばならず、思うようには行けなかった。
 一夫は長男で、二人の弟妹があった。父親は万太郎、母親は末菊と言った。万太郎の職業は天照皇大神を祀った照日神社の神主である。毎月の収入はお宮参りの人たちの投げ入れる賽銭が主であった。
 村社のため平常は参拝する人が少なく、年一度の三月十五日のお祭り日だけ大勢の賑わいとなる。老若男女、全村あげてのお祝いで、娯楽施設のないせいもあって広い社内広場は身動きできないくらいであった。
 その中を揃いの浴衣に赤いタスキ、鉢巻き姿の青年団四、五十名が二メートルの長さの握り太の棒を持ち、勇ましく踊りながら練り歩く姿は祭り気分を一層高めた。
 神主総員七名はその日は花形であった。広場の中央に三十畳ほどの板敷を設け、その四方の隅柱に切り紙のついた注連縄(しめなわ)を張り廻した舞台で、白衣長袖姿で鬼面を被り、髪ふり乱して、笛、太鼓に合わせて交替で舞い続けた。 
 父、万太郎は横笛を手にしていた。その竹笛の嚠喨(りゅうりょう)な音色は舞台のムードを一層高貴なものに見せていた。
 一夫は父の笛吹く姿が大好きであった。芋飴を食べながら、飽かずに見つめていた。
 家で父の大切にしている竹笛を取り出して吹いてみたことがあったが、思うように音色が出ないのですぐに諦めた。
 お祭り気分は夕暮れになってもなお続く。広場にある数十本の大木は松の木である。そのシルエットを中天高くそびやかし、下界を見下しているように見受けられた。その樹齢は分からなかった。根本は大人三人が手をつないで取り巻いてようやく届くほどの大木であった。
 前列の老松三本の上部にカラスの巣が見えていた。てっぺんにはカラスがいつも一、二羽止まっていた。その足元は長い期間止まり木にしているので松葉はなく、枯れ木のように見えていた。
 祭り気分も下火となり、三々五々と帰り始めたのは暗くなってからであった。大人にも子どもたちにもまた明日早くからのそれぞれの仕事が待っていた。
 一夫の両親は収入が少ないので、かたわら農業を営んでいた。次々に子どもが生まれてくるので養育費に困り、自給自足を余儀なくされたためであった。
 一夫も始めの頃はちやほやされていたが、妹、次男が次々に生まれてくると両親の愛情は自然に幼子に移った。
 父が出社する日は母末菊がひとりで野良仕事をせねばならなかった。母が畑に出ている間は、一夫が留守番と弟妹たちの子守をいやでもせねばならない。
 深閑とした農家の家の中はだだっ広く、ひっそりとしていた。家を取り巻く大樹は、楠、ゆず、椿などで、大風の時に茅葺きの屋根が吹き飛ばされぬための用心であった。
 大隅半島の地方は、台風の時は欠かさぬぐらい暴風雨の圏内に入った。
 台風の時には一夫の家に早くから近所の家族が詰めかけるのがいつもの事であった。何代も続いた旧家の四十五坪の家屋は、近所中で一番頑丈に出来ていて安堵感があったためであった。大人たちはいろりの焚火に当たりながらお茶を飲み、焼酎を飲み、一晩中話し明かした。子どもたちは一枚の布団に二、三名ずつ入り、耳をふさいで家を取り巻く大木が揺り動かされる不気味な轟音におびえた。
 どこの農家でも、楠、ゆず、椿、柿などの大木は、年輪の違いで大小はあったがいずれも家屋の棟を覆い、見上げるほどに家を取り巻いていた。そのかげりで家の中はいつも薄暗く、小さい子どもたちはその不気味さに独りでおることを嫌った。
 放ち飼いの鶏は座敷内を走り回り、そのつど棒きれを持って追い出さねばならなかった。時には排泄物の糞に躓き、べそをかきながら懸命に追い回した。

 大隅平野の広い高地に点在する農家にはまだ水道の施設はなかった。火山灰地では井戸を掘っても、それが四、五十メートルに達しても水気はなかった。
 天水を利用するしかなく、どこの家でも好みに応じた雨水を貯める泉水を造っていた。その泉水にボーフラが湧くのを防ぐために数匹の小鮒を入れていた。
 一夫の父が造った泉水は、長さ五メートル、横幅三メートルの四方形で、深さ二メートル、その上に一メートル高くコンクリートで囲いを造り、屋根は木材を使った骨組みに杉板の三分板を葺いてあった。汲み取り口を一・五メートル四方形に切り抜き、使用しない時は蓋をするようにしてあった。
 家屋の屋根から落ちる雨水は茅葺きのため薄赤く飲用には好ましくなかったので、大人たちは家の周囲にある大木を利用して雨水を貯めることを考えついた。 
 自然とはよくできたもので、土地に吸収されえない雨水は小川となって支流、本流へと流れるように、大木の緑の葉で受け止めた天水は小枝から大枝を伝って、幹、根元へと伝い流れていた。その大木の地面より三メートルくらいの所に太めの藁縄を巻き、結び目の端を三十センチくらい長くしたものを二つ割にして節を取り除いた孟宗竹の樋に差し入れただけの簡単な造りだったが、大雨が降れば二、三時間で泉水はいっぱいになった。
 一夫は幼児の頃より泉水の中の鮒を見るのが楽しみであった。飯粒を投げ入れてやると鮒たちが躍るようにぱくつく姿がよく見えた。小鮒は繁殖し、板屋根のかげりで日の届かぬ場所に一塊になりその数がよくわからないくらいであった。
 一夫は見るだけではものたらなくなって、その小鮒を釣り上げて手に捕ってみたいと思うようになった。その欲望を抑える事ができなかった。留守番をよいことにこっそり針金を持ち出し、砥石で先端を研ぎ、赤さびた古ペンチを使いこなせずもどかしく思いながらも、なんとか四、五本の釣り針を作った。一夫には会心の出来栄えの釣り針であったが、大人が見たら噴き出しそうな代物であった。それを知られぬように紙に包んで泉水の屋根の下に差し込んで隠した。
 思い立ったら我慢が出来ない一夫の性分であったが、日曜日が雨降りだったり、父母が畑から戻ってきたりで、思うようにならなかった。時々屋根の下より取り出しては屋根の板の上にならべて眺めた。不ぞろいではあったが一夫にはどの釣り針も良くできたものに思えた。人声がすると、さっと元の所に隠した。
 人に知られず自分一人で作った釣り針のことを思い出しては、学校でも家でも自然に笑いが込み上げてきた。
「あんさん、どげしたん、ちょいちょいニヤニヤしやんが」
 妹のみよ子に不審がられ、
「うんにゃ、なんもなかっど」
 一夫は急に怒った顔をして見せた。
 その日は学校が休みであった。父は出社の日であった。母は畑に出て大根の間引きをせねばと父と話しているのを耳にしていた。一夫は、今日こそはと、胸はずむ思いであった。
 朝食は親子三人で、食事中、父母の話し合いは畑のことが主であった。妹のみよ子は時々寝言を言ったりしていてまだ真夜中と思っている風であった。一夫はおとなしく聞いているようであったが、心中では魚釣りのことばかり考えていた。
 父は出社の時間が迫って来ると庭に出た。泉水の横に備え付けてある台に伏せてある洗面器で一杯の水をくみ取り、真っ白なタオルを水洗いして固く絞り、肩脱ぎになって肌を拭き始めた。
 冬も夏も四季を通して変わらぬ行事ではあったが、全身を清め終わると、肩脱ぎの着物を整えて洗面器の水を雑木の藪の中へ振り撒いた。小鳥が四、五羽驚いて飛び立った。藪の中にはチョコレート色した小粒の実のなるアクシバの木が五、六本あった。その実を食べに、メジロ、ウグイス、ツグミなどの小鳥が朝早くから来ていた。
 早起きの一夫とは顔なじみで、近くに行っても一斉に飛び立つことはなかった。
 父は母に手伝ってもらい着物を替えつつ、
「遊んでばっかりおらんで、勉強せんないかんど」
 小言を言った。
「うん」
「うんじゃなか、はいと言わんないかん」
 父の羽織の襟元を直していた母は、一夫をちょっと振り返りにやっと声を出さずに笑った。父は羽織、袴、白足袋を付け終わると、中折帽子をかぶり、風呂敷包みを持った。父が左手に大切そうに持っている風呂敷包みの中身は、お宮で着る緑衣長袖、烏帽子、木製のすえひろなどが入っていた。
 下駄の音を立てて家を出ていった。家を出際に母は言った。
「早よ、帰ったもんせ」
 父はうんと言うように首を縦に振ってこたえた。
「父さんな、村長さんのごつあんなあ」
 一夫が小さい声で言った。
「ほんにね」
 母は満足そうに含み笑いをした。
 村で羽織、袴で出勤する人は村長と神主だけであった。その時妹のみよ子がやっと起きてきた。朝寝坊はいつもの事であった。
 弟の利夫はまだ目を覚ましていなかった。母はみよ子に朝飯の準備をし終えると、弟の寝床の中へそっと入り胸を広げて乳房を引き出し、弟に被さるようにして口元へ乳首を押しつけた。ぱっちり目覚めた利夫は上目で母の顔を確かめると、貪るようにしてお乳を飲み始めた。
 家の周囲の大木の合間から射す朝日は板塀に当たり、木の枝葉が遮られた分だけ影絵のように写っていた。

 野良仕事に行く準備のできた母は一夫にこまごまと言いつけると、みよ子の手を引いて出かけて行った。一キロぐらいの道程の畑である。利夫は母親の乳を充分に飲み、赤ん坊特有の息遣いで静かに眠っていた。
 一夫は待ち望んでいた小鮒釣りができると思うと、興奮で胸が熱くなり、他のことは一切目にも耳にも入らないくらいであった。
 早速、準備にかかった。一番先に思い浮かんだのはお気に入りの釣り針だった。六本の釣り針を並べてどれにしようかと迷った。その内、中くらいの大きさの物を選んだ。一番よく釣れそうな気がしたからだ。
 次は釣り糸で、母の裁縫箱が最初からの狙いであった。母が嫁いでくる時持ってきた重箱のような二十五センチ四方の、赤色に白菊の花模様が入った漆塗りの裁縫箱である。
 箱を開けて一番先に目に飛び込んできたのは山あらしみたいに数えきれないほどの針が刺さった針差しであった。その横に幾色もの糸巻きがあった。一夫は黒糸の一番強そうなものを手に取った。白糸より魚に見えにくいだろうと思ったのだ。上等な木綿糸であった。
 次は釣り竿であった。裏山に青山家の竹林があった。孟宗竹、唐竹(真竹の別名)、淡竹(はちく)、珍竹などが密生していた。時季ともなると竹の子がモグラみたいに土を盛り上げて足の踏み場もないように生えた。根は道路まで蔓延り、通る人は「まあ、こんな所にまで竹の子が出ている」と言ってよけて通った。
 一夫は男竹の二メートルほどの手頃なものを切ってきて、小刀で穂先の笹を切り落とした。小刀は父の切り紙用の古物をもらったもので、尖っていては危ないというので先の方を折って丸くしたものであった。
 木綿糸を穂先に結びつけて竹の長さに合わせて切った。釣り針は魚にとられないように念を入れて固く結んだ。
 仕掛けの準備が終ると一夫は家の中に走って戻った。米櫃の飯を取るためだ。人間の主食はあらゆる動物の餌になるという子どもならではの考えであった。
 家の中を見回した。弟の利夫はよく眠っていた。鶏が座敷に上がっていないのも確かめると元の所へ駆け戻った。
 米飯は釣り針にうまく刺さらなかった。何回やっても二つに割れた。田圃で採れる米は粒が太くて粘りがあるが、畑で採れる米は細長く粘りが少なかった。一夫は癇癪を起し、飯の塊を屋根板の上に力一杯叩きつけた。半分は飛び散ったが残りは板に貼りついたままだった。一夫はあっと思った。急いでその貼りついた飯を手で何回も何回も揉み続けた。すると粘り強い糊みたいになった。それを小豆ぐらいの大きさに丸めて釣り針に刺したところ、今度は簡単に刺さった。
 一夫の生まれて初めての魚釣りである。この時はまだ釣りが一夫の生涯の趣味になろうとは思いも及ばぬことであった。
 泉水の汲み取り口の板を両手で静かに取り除いた。突然の日の光に驚いた鮒たちは水音を立てて逃げまどい水中深く潜り込んだ。
 農家の広い敷地に人気はなく静まり返っていた。陽は家を取り囲む大木のてっぺんにあった。空気は澄んでいた。一夫は泉水にそっと釣り針を沈めた。
 その時、放ち飼いの鶏の甲高い鳴き声と野犬の威嚇吠えがした。一夫は魚釣りに夢中になっていて不意を突かれてびっくり仰天した。野犬が鶏を追い回す時は小石を投げつけて追い払うのが一夫の役めであった。
 どこの家でも三、四十羽の鶏がいるのが普通であった。昼間は雑木林の下で餌を啄んだり、砂遊びしたり、夜になると野犬やいたちに襲われるのを恐れて木々の高いところに留まって休んでいた。それでも時々野犬やいたちの餌食になって噛み裂かれて羽毛を散らした哀れな死骸が散らばっていることがあった。村には魚屋はなかった。買うには町まで二キロも歩かねばならなかった。時たま魚屋が自転車の後ろに魚箱を五、六箱積んで村に来るには来たが、村の人たちにとって鶏はなくてはならない貴重な食糧であった。
 彼には次の驚きが待っていた。鶏たちが野犬に追いかけられ悲鳴をあげている方に気を取られていたところ、突然持っていた竿が強く引っ張られたのだ。針がかりした魚の死力を尽くしての力強い抵抗であった。二メートルの細身の竹竿が魚の引き込む力で半円形になった。一夫は糸が切れはせぬかと思うと不安で安定を失い、魚の引きに合わせてよたよたとよろめいた。
 どのくらいの時間がたったのか、一夫には夢中であったので分からなかった。やがて魚の引く力が弱まった。不思議に思い糸を緩めないようにして泉水の中を覗いてみた。半身を水面に出して力尽きた様子の魚の頭部が見えた。急いで屋根板に載せてある水くみ用の柄杓で静かに魚を掬いあげた。
 覗いていた時は小鮒と思っていたが二十センチもありびっくりした。魚は固い地面に出されて飛び跳ねた。
 一夫はなじんでいた可愛い小鮒が意外に大きかったので、手に捕ってみたいと思っていたことなどすっかり忘れてただ跳ねているのを腰かがめて眺めていた。
 その時あっと思う間もなく背後から黒色の何物かが飛び出してきて魚を咥えていった。一夫の家で飼っている黒猫であった。
「クロ、クロ」
 一夫の悲鳴に近い叫び声にも振り返らず、真っしぐらに自家の縁の下へ逃げ込んだ。
 クロは青山家で長く飼っている愛玩動物であった。おとなしい飼い猫で「クロ」と呼ぶと必ず「ニャー」と鳴いて愛くるしい顔で見上げる可愛い猫であった。
 今日のクロは違っていた。
 縁の下を覗いてみると、うす暗い片隅に青白く光った二つの丸い目だけが見えた。黒毛のクロの姿は暗い場所に同化して輪郭が分からなかった。
「クロ、クロ、来い、来い」
 みそ汁の出汁にするイリコをやる時のように何度も手を開いたり握ったりして誘ったが、クロは「うう、うう」と威嚇するように呻くだけで動こうとはしなかった。
 いつ時でも早く取り上げて魚を泉水の中へ帰してやらねば魚が死んでしまうと思うと、本当に泣きだしたくなるくらいに腹が立ってならなかった。今夜きつく折檻してやらねばと考えていた。
 仕方なく一夫は縁の下に潜り込もうと腹ばいになった。
「どげんしたんか」
 突然の呼びかけに驚いた。縁の下からは下駄に白足袋、袴の下半身の一部しか見えなかったが、父の万太郎であることはすぐに分かった。
 一夫は蛙が蛇に睨まれたように身動きできなかった。縁の下に潜り込むことも出ることも出来なかった。いつまでもそうしているわけにもいかず観念して蛙のように這い出した。
「どげんしたんか。黙ってちょっちゃわからん」
 二度目は幾分高い声色であった。嘘の通る父ではないことは一夫が一番よく知っていた。
 父は温厚な性格で馬鹿正直というくらいに人が良いということで通っていたが、家庭では短気で、言葉で話して聞かすより拳骨でわからせるという人であった。
 三度目には拳骨が来るかもしれないと思うと、一夫は正直に話さないわけにはいかなかった。
「おいどんが、泉水の魚ば釣いあげもしたら、クロが縁下にもっち逃げもしたで、早よ、クロから魚ば取いあげつ、泉水の中ん入れんば、魚が死んもんで、そいでいまクロを捕まえに行きよいもしたと」
 一夫がおどおどと話すのを一夫の目を見つめて聴いていた万太郎が、後ろの方を振り返った。泉水の屋根に立てかけてある竹竿を見つけると歩み寄っていった。
 一夫はその後ろ姿をじっと見つめていた。なんと言って叱られるのかと不安でならなかった。

 父は竹竿を手に取ると、括りつけてある木綿糸や釣り針を仔細に見ていた。横顔の頬が膨らむのが見えた。一夫には笑ったように思えた。
 しばらくすると、竹竿を持ったまま家の中に入りつつ振り返り、
「こげんこつばっかりせんと、勉強せんな偉か人になれんど」
 とだけ言った。
 一夫は怒られずに済んだとほっとして、うんと答えるように首を縦に振った。
 父は野良着に着替え、玄関より馬屋の方へ行った。馬屋には牛二頭に馬二頭がいて、近づくと馬は嘶き、牛は鼻息荒くして餌を催促した。父は草入れよりひと掴みずつ与えると草刈り鎌を腰に差し、右手に手提げかごを持って、妻と子のいる畑に出掛けて行った。
 草刈り鎌は帰りに牛と馬の餌草を刈り取ってくるためであった。手提げかごには、煮たさつま芋が十二、三個と漬物の大根が入っていた。母と妹のおやつであった。朝食の遅い一夫の家では一日朝夕二食で、芋は昼食代用でいつも大釜一杯煮てあった。
 大隅平野の畑で穫れる芋は農林一号、二号、から芋、さつま芋、黄芋などで、どこの農家でも一町歩以上植えてあった。収穫した芋は畑に長四方形の壕を掘って埋め、その上に稲わらをかぶせ、さらに土を盛って貯蓄した。その貯蔵庫が畑の各所に点々とあった。余剰に穫れた芋は澱粉工場に買い取ってもらっていた。
 一夫は父の後ろ姿をぼんやり見送っていたが、ハッと釣り上げた魚のことを思い出し、マッチ箱を持って向かった。縁の下をマッチの光で照らして見たが、すでにクロはいなかった。魚の頭だけが残っていた。長い間見続けてきた小鮒が食われてしまったと思うとクロのことがさらに憎くなった。きつく𠮟りつけねばと心に決めていた。
 魚の頭だけを持ち帰り泉水の裏手の地に深く埋め、その上に椿の苗木を植えてやった。
 その時、家の方からめったに泣かぬ弟の利夫の泣き声がした。一夫が走って行って見ると、放ち飼いの鶏が利夫の腹の上に乗って泣き顔を首を傾げて見ていた。
 クロに向けていた怒りが鶏に移った。一夫は薪用の楠の枝を握ると忍び寄り、いきなり横殴りに鶏の首根を叩いてやった。鶏は奇声をあげて土間へ飛び降りた。
 利夫はびっくりして泣きやみ、眼をぱちぱちさせて一夫を見ていた。一夫は弟の首根をくすぐってやった。利夫はけらけらと笑った。
 一夫は弟の寝床の中に母がいつも入れている乳首の付いたガラスびんを取り出した。まだ暖かかった。中身は白米を煮た重湯を布で濾したものであった。母の乳が出ないわけではなかった。畑が近くの場合は一夫が弟を背負って母の所へ乳を飲ませに行ったが、遠くの場所の時はいつも重湯であった。
 一夫は時々味見してみたがうまくも辛くもなかった。小さい時の母の乳の味を思い出そうとしたがどんな味だったか思い出せなかった。
 乳首を口元にやると利夫は待ちかねたように両手でびんを挟み息もつかせぬ勢いでうまそうに飲んだ。二合入りのびんの半分くらいで満足したのか、それ以上は乳首を押しつけてやっても舌で押し出し飲もうとしなかった。
 しばらく弟の相手をしてやっていたが、父の言葉を思い出した。
「勉強して偉い人になれ」
 一夫は偉い人より金持ちになって父母を喜ばせたいと思った。
 勉強しようと思い、風呂敷包みの中から読本を取り出してきた。表紙には読本小学三年と太文字があった。腹ばいになって足元だけ寝床の中に差し入れ、今習っている遠足の話のページを開いた。
 だが目には文字が見えていても頭の中はクロが魚を食っている場面ばかりが浮かんできた。その時座敷がパッと明るくなった。二十燭の電灯が点いたためであった。
 夕日はすでに高隅山に沈み、辺りは薄暗くなっていた。高隅山はこの辺で一番高い山で、標高一二八七メートルあり、山稜は野方村から西方に伸びていた。
 その後すぐに母の手にすがっているみよ子の幼稚な歌声が聴こえてきた。
「おてて、ちないで、のみちをいけば、みんな、かわいいことりとなって……うーん、あとはどげんじゃったけね」
「あとで、おしゅうど」
「うん」
 一夫は急いで飛び起き、父の作った草箒で座敷の中を掃き始めた。
 家の中が急に賑やかになった。弟も泣きだした。
 夕食の時一夫は怒ってはいないかと父親の顔をそっと盗み見た。父はいつものように正座したままで怒っている風ではなかった。
 クロはいつもなら膝の上に乗りニャーニャー鳴いて食べ物を欲しがるのだが、その日は違った。離れたところで眠っているように寝そべっていた。一夫が睨むときっと目を開き、瞬きもしなかった。
 その夜交わされた父と母の話を一夫は知らなかった。
 父母はいつも夜寝るのは遅く、朝起きるのが遅かった。毎朝早起きして庭掃除するのは一夫の役目であった。早起きの習慣は亡き祖父の「早起きは三文の徳あり」との教えのおかげである。
 二、三日掃き掃除をしないと、家の周囲にある大木の落ち葉は地面がわからなくなるくらいに散り敷かれた。どこの農家でも、米、麦、粟(あわ)、黍(きび)、大豆などの収穫後の作業のため庭が広かった。
 今朝も早起きして庭掃除をしていると母が目をこすりながら近寄ってきた。それに気づいた一夫はなんだろうと思って手を止めた。
「一夫よ、父さんがね、いつか百引(もびき)川に魚ついに連れて行きやいげなど。そいで泉水の魚は取っちゃいけもはんど。泉水にゃ、人が飲んと病気になる虫がうんといもんで、そん虫ば魚が食って人が病気にならんごつ入れてあっとぢゃんど。分かいもしたぢゃろ」
 一夫にはすぐには実感が湧かなかった。しばらくしてやっと父が魚釣りに連れて行ってくれるということが理解でき、どっと喜びが湧いてきた。
「ほんに魚ついに連れて行きやんどか」
「父さんは、嘘は言わはんど」
 母は目を細めて、嬉しそうな一夫の顔を見つめていた。
 だが約束の日はなかなか来なかった。農繁期に入り忙しくなった。子どもとの約束を忘れたわけではなく仕事に追われて魚釣りどころではなかったのだ。
 一夫も父母の忙しそうな様子を見ると魚釣りのことを言い出すことができなかった。父は約束を破る人ではない、いつか必ず約束の日がくると信じていた。
 一夫の変わらぬ日課は続いた。早起きして庭掃除、学校から帰ると留守番、子守りであった。母が家にいる時は畑に出てトンボ釣りや、山に登っては栗拾い、柿、あけび、山桃狩りと四季に応じた愉しみがあった。

 待ちに待った約束の日は年明けての六月二日日曜日であった。
 朝は暗いうちから青山家は大騒動で、学校の行き帰りに誘った友達五人も肩におにぎりの入った風呂敷包みと自分好みの釣り竿をそれぞれ持ってやってきていた。みな一夫と同じ小学校の三、四年生である。朝遅い妹も今朝は騒ぐ声を聞きつけて早起きしていた。
 いつもは無口でむっつりしている父もにこにこしていて、子どもたちにあれこれ注意していた。常日頃は無駄口をきくな、必要な時はハッキリ言え、と小言を言う厳格な父であったが、今日は本当に頼もしく、たまらなく嬉しく、誇らしかった。
 妹も一緒に行くとせがんだが母に窘められ、一夫たちの出発を諦めきれぬ泣き顔で見送った。 
 空は広く、散らばる星が宝石のように輝き、遠くに高隅山のシルエットがはっきり見えていた。放ち飼いの鶏たちの夜明けを告げる鳴き声があちこちで聴こえた。初夏の夜明け前はまだ肌寒かったが、少年たちはわくわくと高ぶって踊るように歩くので汗ばむくらいであった。
 道程二十キロ。遠出であったが、日ごろから広野を走り廻っている農家の少年たちの足腰は強く、しっかりしていた。年中着物一枚で、冬期には裸足で霜柱を踏み砕き、冷たさに堪える我慢比べをする気風の環境で育った。
 張りきった少年たちの小走りする足どりは速く、みな上気した頬を赤くしていた。高隅山が間近に迫る頃、周囲が明るくなってきた。
「おい、勝どん、きつかっど」
「なんのなんの、いっちょん、きつなか」
 一番背の小さい勝は一夫の労りの言葉を跳ね返した。
 六メートル幅の県道は白く直線で、先は狭く、細く見えた。振り返ってみると、今来た道も狭く、細く見えた。川が近いことを知らせるように蛙の鳴き声が聴こえはじめ、田圃が多くなった。一夫たちの村は畑が多く田圃は珍しかった。疲れてきた足も元気を取り戻し、足早になった。
 百引川が目の下に見えた。
「わーっ、川だ」
 異口同音だった。川の水は澄みきっていてきれいだった。地図にもない川であったが、見慣れぬ少年たちには大きな川に見えた。大きな杉の丸材で造った木橋の下を、竹藪の土手の下を、田圃の横をゆうゆうと流れていた。
 橋柱に百引川橋と墨で筆太に書いてあったが、長い年月の雨雪のため薄くなっていた。
 橋を渡ると、県道の両脇に十数軒の家屋が建ち並んでいた。うどん屋、小間物屋、酒屋、鍛冶屋などの看板が目についた。
 少年たちの動悸は高鳴った。
「万太郎おじ、川にはどっから降りっとか」
 気早い山どんがきょろきょろしながら訊ねた。山どんは山田進の愛称で、旧友の中で一番剣道が強かった。
 橋を渡ってすぐ右手の丸太で土留めされた段々を万太郎は慎重な足運びで降りていった。子どもたちもそれに続いた。川下五十メートルの砂場を控えた場所で立ち止まった。
 かつて川水を田圃に引き入れたような跡があった。堰き止められた川の水が絶え間なく滝のように流れ落ちていた。そのため大きい声で話さなければならなかった。
 急いで準備を始めた。釣り竿は、山から切り出した竹の枝を払い火に当てて油を抜き、曲がりを直した手製である。道糸は木綿糸ではなくナイロン製の本物で、万太郎が志布志へ行く知人に頼んで買ってきてもらったものであった。
 万太郎は子どもたちの分を次々と準備してやった。にこやかな表情には自らも子どもたちと一緒に楽しんでいる風があった。
「釣り針五号、ナイロン製道糸二号か」
 正どんが釣り針の紙袋に貼られた商品名を声出して読んだ。
 正どんは仲村正の愛称で、小学一年から四年生まで級長の座を守り続けて他の者に譲らなかった。さすがに手際と要領がよく、万太郎の手先を見てすぐに覚え、自分のものは自分で準備した。
 いよいよ少年たちが待ち望んだ魚釣りが始まった。餌は庭の隅にあるゴミ捨て場を掘り返して捕ってきたミミズであった。互いに距離を置いて思い思いの場所に陣取った。
 万太郎が買ってくれた赤白の丸いウキが六つ、風に波にあおられていた。
 父は釣りに参加しなかった。神主として神社に奉仕する身であるため殺生を好まなかった。ひとり砂場に坐り、麦わら帽子をあみだ被りにしてキセルを取り出した。
 しばらくして、
「釣れたあ」
 と、一番先に奇声を上げたのは青山勝であった。
 青山という姓を名乗る家は全村民がみな親戚みたいに改名したため二十数軒もあった。
 勝は右手に釣り竿を、左手に魚が食いついている道糸を持って、万太郎のいる砂場へ走ってきた。他の者はみなその方を振り返った。体長二十センチはある中鮒であった。生きのよい魚はぴちぴちと跳ね、そのたびに銀鱗が陽の光に輝いていた。
 一夫もその方を見ていたが、突然手に持っていた竹竿の異変にハッとさせられた。しかもゆらゆらと動いていた赤白玉のウキがない。よく見ると水中で揺らいでいた。竿を持つ手にもびくびくと生き物の反応を感じた。
「魚だ」と思うや否や竿を振り上げた。竿先が半円形に撓んだ。針がかりした魚が水中深く潜り込もうとして右に左に走った。
 その時父の声が飛んだ。
「一夫、糸を緩めるといかんど」
 普段は大声を出す父ではなかった。
 他の子どもたちは驚いて一夫の様子を見つめていた。
 一夫は魚の動きに合わせて懸命に右に左に道糸を緩めないように竿を操って魚が弱るのを待った。早く引き上げようとすると、
「まだ、まだ。慌つっといかんど」
 と、一夫が慌てている様子を見て注意した。
 どのくらい経ったのか一夫には分からなかった。しばらくすると力尽きたのか、魚の引く力が弱くなって水面に黒みがかった頭が見えた。一夫は大物の姿に興奮した。
「よし、良かど。そんままこっちにゆっくり寄せちゃれ」
 父の言うとおりに慎重に岸の方へ引き寄せた。父は片足を水の中に入れて両手で掬うようにして魚を砂原に跳ね上げた。
 他の子どもたちが駆け寄ってきた。勝が生唾を飲み込みながら言った。
「太かあ。鯉じゃろか」
 正どんが言った。
「鬚のあっけん、鮒じゃなか。鯉じゃっど」
 三十センチはある黒鯉であった。
 砂原に跳ね上げられた鯉は飛び跳ねて全身砂だらけになり、やがて力を失って苦しそうに口をパクパクさせていた。万太郎は急いで魚を買い物用の網かごに入れると麻ひもを結んで川の中へ戻した。その麻ひもを延ばして石に括りつけた。 
 その後も誰かが釣り上げると子どもたちは歓声を上げた。そのたびに万太郎は顔をほころばせながら網かごに入れてやった。
 初夏の太陽は無帽の少年たちの頭上にあって暑くなった。そのうえ魚の食いもなくなった。少年たちが魚釣りより水遊びの方がよいと思い立つと、みな一斉に着物を脱ぎ捨てて競うように川の中へ入って行った。水深一、二メートル、泳ぎを知らぬ一夫たちはバシャバシャ手足を動かしいたずらに川水を飲むだけであった。心ゆくまで遊んだ少年たちの唇は真っ青だった。 
「おおーい、早よ上がれ、飯だ」
 万太郎のそのひと言で一斉に我先にと川から上がった。万太郎は子どもたちの喜ぶ姿を見て、今日連れてきてよかったと思った。時には子どもたちと一緒に過ごすことも必要だなとも思った。それぞれに個性があり、どの子も溌溂としていて頼もしさすら感じた。
 空きっ腹の少年たちには米七に押麦三の梅干握り飯でもこの上ないご馳走であった。
「今日の握り飯は美味かなあ」
「ほんなこつ、美味か」
 みな同感というように大きく頷いた。
 勝は校内で一番の美少年であった。上気した頬がリンゴのように美しかった。授業の休憩時間になると、女の子たちは逃げまわる勝に体当たりして倒れ掛かり、転んだ勝の上にみんなして腰掛けて喜んでいた。
 少年たちは指先についた飯粒まで食べ終わると水筒の水を喉を鳴らして飲んだ。正どんが砂原に仰向けになると、みな真似して寝転がった。
 空は青一色で、雲ひとつなく、鳶が二羽、羽を広げてゆうゆうと旋回していた。
 健やかないびきが聴こえてきた。一夫も眠くなってきた。そっと父親の方を見ると、父親も麦わら帽子を顔の上に乗せて眠っている風だった。
 そこを通りかかった野良帰りの娘たちが真っ裸の一夫たちを見て、お互い顔を見合わせて笑い転げた。少年たちの誰もそのことに気づいてはいなかった。

 どのくらい眠っていたのか、一夫は変な物音に気づいて目を開けた。周りを見回した。何も変わった様子もない。田圃で働いている人もいなかった。のどかな昼下がりだった。
 ぼんやり遠くを眺めていた一夫は背後でばさっという物音でびくっとした。振り返ると網かごに入れている魚たちの飛び跳ねる水音であった。
「ああ、その音か」
 得心がいくと急に魚釣りをしたくなった。他の者はまだ目を覚ましていなかった。
 急いで着物を着るとひとり釣り竿を持って一番深そうな場所へ向かった。餌のミミズはまだ多分にあった。生きのよいものを選んで針につけ川に投げ入れた。
 一心にウキを見つめていると、赤白玉の模様だけしか見えなくなった。他の一切が目に入らなかった。学校のことも、父母弟妹のことも、なにも頭に浮かばなかった。
 と、色鮮やかなウキがポカポカと横に浮き沈みした。魚が食っていると思うと同時に竿を振り上げた。手ごたえはなく、赤白玉のウキだけが空しく直立した竹竿に当たりこつんと音を立てただけであった。
 餌を調べるとミミズが半分食いちぎられていた。竿を立てるのが早かったのだと思った。餌を取り替えると寄ってきている魚に気づかれないように静かに水の中に落とした。
 暑かった太陽の熱も心なしか緩み、川向こうにある杉林の間をすり抜けてくる風はとても涼しかった。時々木橋の上を馬にひかせた荷車が音立てて通った。
 この地方ではまだトラックは見掛けず、荷車がトラック代わりであった。荷物は山から切り出された木材が主であった。荷車の上には馬主がキセルを横くわえして坐っていた。
 一心に見つめていたウキがまた横に動き始めた。一夫は緊張した。
 ウキは水中に引き込まれるものだとばかり思っていたので不思議に思いすーっと軽く竿を上げてみた。するとググッと引き込まれた。その経験したことのない力強さに心底驚いた。
「釣れたあ」
 無意識に大声を上げていた。手製の細い一本竿は今にも折れそうに撓っていた。
 突然の奇声に父や少年たちはびっくりして飛び起きた。横目に友達のひとりが駆け寄ってくる姿が見えた。
「逃ぐっしたって、逃がさんぞ」
 心の声が口に出た。
 どのくらい時間が過ぎたのか分からなかったが、魚の動きが鈍くなり、徐々に水面へ引き上げられて姿を現わした。
 黒光りした大鯉だった。逸る気持ちを押し沈めつつゆっくり岸の方へ引き寄せた。
 最初に鯉を釣った時に万太郎がやったように、川に足を突っ込んで両手で掬って砂原へ跳ね上げた。体長四十センチの丸々とした大鯉であった。
「太かあ」
「こぎゃん鯉は見たこつなか」
 勝も正どんも目を丸くしていた。
 一夫は大鯉を両手で抱えて父の所へ持って行った。友達も一夫の後をぞろぞろついてきた。父万太郎は坐ったまま砂場を離れなかったが、我が子の大収獲に喜びを隠せなかった。
 水の中から網かごを引き上げて一夫が抱えてきた大鯉を入れた。他の魚たちは上から押さえ込まれて苦しそうであった。

 濃緑の樹林の中で頻りに鳴く小綬鶏の声が聴こえる。いつの間にか田圃の蛙の一大合唱が始まっていた。夕陽はまだ森林の奥深くにあったが、二十キロの帰りの道程を考えると急がねばならなかった。
 帰途一夫は名残惜しそうに百引川をなんども振り返った。最後に釣り上げた大鯉のことがまざまざと思い出された。手にはまだ魚とのやり取りの手ごたえが鮮明に残っていた。
「またきっと来っど」
 一夫は心の中でなんども誓っていた。

         ◇ ◇ 

 父の最後の作となった『釣りマニア』は、脳梗塞で倒れる前年に書かれている。
 主人公の青木は父自身であり、場所もその内容もほぼ現実のままであろう。
 野良猫に釣ったボラを与える姿が映像を伴って立ち上がってくる。まるで自分がその場に立ち合っているかのような錯覚を起こさせる。
 父がこの小説でなにを書きたかったのか明瞭に伝わってくる。
 前半で私や姉を、なんと実名で登場させている。さすがにさすがにといった感じで、鳥肌が立つほどに面はゆい。

         *

 ……川に沿って三川鉱の正門を通り過ぎると、もう着いたようなものだ。新港鉱山社宅の中央を真っ直ぐ行った突き当りが大曲堤防である。
 この社宅は、三池労組の全盛期は第一組合員が多く、また第一組合長も住んでいたので、闘争本部のようなところであった。いまは二百戸もあった五軒長屋もほとんど空家になっていて、住人もわずか一割という寂れようである。
 やっと大曲堤防に着いた青木は、自分の好きな場所を確保すると安心してまあ一服と煙草を取り出した。
 のり養殖業者の船は、のり竹を満載して盛んに往き来しているが、釣り人の姿はまだなかった。その時呆然としていた青木をびっくりさせたのは「わーん」という堤防下から聞こえてくる赤ん坊に似た泣き声であった。慌てて堤防の上から海面を覗き込んだ。だが、累積したテトラポットのために底の方はよく見透かされなかった。
 堤防から海面までは十メートルほどの高さであるが、堤防の補強に無数のテトラポットが無造作に投げ込んであった。そのテトラポットは斜めになって海中に突っ込んでいた。テトラポットの隙間を探し回った青木の眼前をサッとかすめたのは、薄汚れた年老いた一匹の三毛猫であった。鳴き声はその猫のかすれ声だったのだ。このメス猫が後で青木を感動させるとはその時点では夢にも考えていなかった。
 捨て子と早合点して驚いた青木はその声の主が野良猫であったと分かると、自分の老人ボケに半ば呆れながら気を取り直して釣りの準備を始めた。
 潮はいつの間にか水かさを増していた。九月中旬の潮は一年中で一番大きい。今日の満潮時の水位も十一メートルを超す筈である。釣りマニアは釣りに行く前には必ず釣具店がサービスで無料でくれる潮の干満表に目を通すのが常である。
 青木もそれを実行していたが、この表の示す水位の基準はどこにあるのか? 釣りマニアでもそれを知っている者は少ない。その水位が東京湾の中潮を基準にしていると知ったのはずっと後からである。
 ふっと海面に目を向けた青木は、異形なものを発見して手を止めた。四、五十メートル先の海面をゆらゆらと漂っている異形なものの正体は、フカの子のような怪魚であった。
 二、三十メートルほど近付いてきた怪魚を凝視していた青木は、その怪魚が稀に見る一メートルもあるアカメであると分かった。アカメはボラに酷似しているが、ボラより細長く頭部がボラよりやや小さい。ボラの成長は全長八十センチどまりであるが、アカメは一メートル余りにも達し、中にはそれをはるかに超えるものまで生息している。ボラと同様に成長と共に名が変わるので、出世魚とも言われている。
 東京あたりでは、この魚をコスリ、二、三才魚をトウブシ、四才魚以上をメナダといっているようだが、ここではアカメで通っている。口唇と眼縁がやや赤みを帯びているので、その名が定着したのであろう。
 日は高くのぼり、久しぶりの快晴に遠く佐賀、長崎の山岳が全貌を現している。海上沖合いには遠く近くにのり竹が林立している。その竹林に囲まれて、三井鉱山所有の人工島が浮かんでいる。この人工島は海底の石炭を掘るために作られた三池炭鉱の通風孔である。現在は自然木が生い茂り緑滴る小島となっている。
 青木は海が好きだった。だが、荒れる時の海は憎らしかった。青木はここ数日ついていなかった。昨年は短時間で二十三匹という記録がある。ままならぬ世の中、釣りもまたままならぬものだった。しかし青木はめげずにせっせせっせと、毎日魚との知恵比べに挑むのだった。
 青木はその日はついていた。えさ釣りと違って、青木が考案したアゴなしの三本足の錨針での錨釣りは、手っ取り早い。釣り専門書に紹介されている方法と違い、錨と錘の中間の枝ばりにえさをつける代わりに、錘の上に厚めの赤ビニール片をつける。わずか二、三時間で立て続けにボラを九匹釣り上げた。今年になってはじめての釣果であった。
 潮は下げ始めていた。有明海と諏訪川を往き来するのり業者の船が通るたびに海面は荒れ、大波が足元を洗うこともしばしばだった。
 その飛沫をうけながら、青木は最後の一匹を仕留めた。それを最後にボラの群れは有明海の沖合いに去ったのかまったく当たりがなくなった。
 その時である。すぐ後ろのテトラポットの奥から突然異様な鳴き声が青木の鼓膜を貫いた。先ほど捨て子の鳴き声と勘違いした、あの喉になにか引っかかったような声を出すばば猫であった。薄暗い岩陰から長い尻尾をたらして光る眼球でじっと青木を見ていた。その三毛猫は骨と皮にやせ衰えていた。
 炭鉱社宅の住人に捨てられたのであろう。飼い猫から野生化したこの猫はいまはなにを食べて生きているのだろう。
 前年灯台周辺に夜釣りに行った時餌の大虫をネズミに全部食べられ、素手で帰らざるを得なかった苦い体験を思い出した。この辺りにもネズミくらいはいるだろうが、その数はたかが知れている。その他に考えられるのは、カニ、貝類、岸に打ち寄せられた魚やその他の動物の死骸ぐらいのものだろう。このばば猫がいま飢えと戦っているのが不憫に思えた。
 青木はクーラーボックスの中から小ぶりのボラをつかみ出して、ばば猫の近くのテトラポットの平らになったところにそっと置いてみた。しばらく様子を窺って動こうとしなかったばば猫が弱っている筈なのに信じられないくらいの俊敏な動きでそのボラに飛びつき、ガシッと咥えると瞬く間にテトラポットの奥の方に姿を消した。その直後ミョウミョウと盛んに鳴く声が聴こえてきた。
 青木はつい感傷的になった。やや時間が経って、奥からの鳴き声が途絶え、再びばば猫が現われた直後だ。そのばば猫の後からもぞもぞと付いてくる子猫の姿を発見したからだった。一匹かと思いきや、二匹目が現われ、またその後からもう一匹姿を現した。三匹ともばば猫に似た三毛であった。子猫たちはやせ衰えたばば猫と違い、丸々と肥っていた。青木が先ほど驚かされた異様な鳴き声はばば猫が子猫たちを呼び寄せる叫び声だったのだ。
 子猫たちは母親と違い、根っからの野生に生まれ育ったせいか、とても用心深く青木の差し伸べる手に警戒する構えを崩さず、近づく気配をまったく見せなかった。だが、先ほどのボラがよほど美味かったとみえて盛んに口唇を長い舌で幾度も舐めまわしていた。その様子は汚れていても子猫だけにとても可愛かった。
 こんな餌の乏しい、人気の少ない寂しい所で三匹の子猫を育てているばば猫が、自分自身の飢えを満たす以前にひもじい思いをしている子猫たちにすべて分け与える親心、その心根に青木は心を打たれた。子たちのために必死で生きる、生きなければならぬ親猫が哀れであり、かわいそうであった。
 青木は自分の子どもたちがいる遠い東京へと思いを馳せた。
 
          *
 
 スクラップ帳から眼を上げると、カーテンを開け放たれた窓がうす明るくなっていた。
 どんな思いで原稿用紙の桝目を埋めていたのだろう。
 今はなきあの六畳間の机で、背中を丸めて深夜ひとりでこつこつと書き進めている姿が仄見える。

 兎追ひし彼の山
 小鮒釣りし彼の川
 夢は今も巡り……

 なにげに口ずさむ。
 ドア向こうに人の気配がする。
 遠慮がちにドアがノックされ妻が入ってきた。
「お爺ちゃま」
「えっ?」 
「渋茶が入りました」
「聴こえた?」
「いいお声で」
「……………」 
「もう一度ちゃんと聴かせて」

         *

故郷 home town
                作詞 高野辰之/作曲 岡野貞一

 兎追ひし彼の山
 小鮒釣りし彼の川
 夢は今も巡りて 
 忘れ難き故郷

 如何にいます父母
 恙(つつが)無しや友がき
 雨に風につけても
 思ひ出づる故郷

 志を果たして
 いつの日にか帰らむ
 山は青き故郷
 水は清き故郷

 一九一四年(大正三年)文部省唱歌として発表された。なぜか発表時に作詞・作曲者名は公表されなかった。

 

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