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思いつき小旅行で、自分の人生にエールを

 家は壊れ、極めて軽傷ながらも流行病に感染し、尾骨を骨折し、さらに決算期でもないのに三月は平日は朝からほとんど休憩も取らずに二十一時くらいまでパソコンに向かっている状態。
 プーチンによって多くの人命は奪われ、第二次大戦後の世界秩序と平和は脅かされた。それと比べるまでもなく甚だ些細なところで、されど私にとっては夢だった、今年のリフレッシュ休暇の使い道としてのシベリア鉄道横断旅は踏み潰された。
 妻は街路樹に激突して前歯が欠けた。
 厄年でもないのに暴虐邪智な厄が我が家全体を襲う。
 妻はママ友との飲み会で厄祓いすると言い、私は緊急一人旅を求めた。
 最近宮脇俊三全集を読み漁っており、家族を置いての一人乗り鉄旅の心構えについて、大いに学んでいた。
 先週の段階では、ヤフオクで二日間の有効期限を残した青春18きっぷを落札して、普通電車を乗り継いでの京都旅行を算段した。されど、尻の痛みは耐え難きものになる可能性も高く、また宮脇俊三氏のような心構えにはまだ到達できない未熟者であるからして、一泊を家族に切り出す勇気はない。
 本州を出ない程度のANAのマイレージが溜まっているのだが、公共料金の支払いなどで貯めた陸マイルであるため、己が厄祓いだけでマイル使い切るのは、忍びないにほどがある。

 金曜日に、仕事での大きな課題にある程度明るい兆しが見えたことから、蛮勇をあえて奮って一人旅をすることもなかろうという気になり、とりあえず次の水曜日に久しぶりの浦和レッズ戦観戦による厄祓いを妻に通告した。

 翌土曜日、昼にサッポロ一番みそラーメンを啜り終わると、夕方まで膨大な暇な時間があった。
 本来なら土曜の昼に妻は仕事へ出かけ、私は子供たちをスイミングスクールに送った後に、下手の横好き草サッカーへ出かけるはずである。
 しかし、妻は前述の街路樹の衝突の影響で仕事は休み、私も尻の骨折で草サッカーはしばらく欠席。今日は妻がスイミングスクールの送迎をすると言う。
 妻は厄祓いの約束が十八時からであるので、17時30分までに帰ってくるのならば、好きにして良いと。
 それまで、厄祓いをする。
 ドライブも考えたが、ガソリン代の高騰で躊躇。とりあえず、電車に乗ってどこかへ行こうと思う。
 まず考えたのはプロ野球観戦であり、近くの戸田ではヤクルトスワローズのファームの試合がある。
 ファームを見に行くほど、野球が好きだったのかと自問し、千葉マリンスタジアムでの千葉ロッテ対西武の試合を検討するも、さして思い入れのない対戦カードに高額なチケット代を支払い、街中よりも遥かに高い生ビールを呑むのも、楽しさよりも出費を嘆くこと必然なので、取りやめる。サッカーの柏レイソル対ジュビロ磐田を断念したのも同じ理由である。
 とりあえず乗り鉄をするかと思いきや、いい案が思い浮かばない。どこかに行きたいが、どこへ行きたいとまでは思わない。関東という土地自体に飽きている。
 17時30分までに帰ってこなければならないため、電車本数の限られる北関東や秩父方面だと門限にギリギリ間に合わない。
 南の方に行くかとだけ決めて、とりあえず駅へ向かう。
 このまま歩けば、13時10分発の熱海行きに間に合うはずだ。信号待ちで時刻表を調べる。熱海まで行くと、静岡県に入る。脱関東。J R東海に入り、丹那トンネルを抜けて三島に着くのは15時52分。都合の良いことに東海道新幹線ひかり510号東京行きが15時58分発であり、東京には16時42分に着き、その後に埼玉の自宅にたどり着くまで電車を乗り継ぐものの、門限に十分に間に合う。

 駅に着くと、熱海行きは来なかった。
 車両点検で遅れていて、先着は13時21分発の小田原行きとなっていた。脱関東の希望は潰えた。
 改札の中に入ってしまったので、このまますごすごと家に引き返すのも悔しい。とりあえず小田原行きに乗る。
 上野で降りて、東京国立博物館にて空也上人と六波羅蜜寺展でも見に行こうとも思った。
 しかし、虚心坦懐己を見つめてみれば、こうした展示を見に行くのは、己が興味関心ではなく、「こうしたもの関心のある『博識のある私』を見て」という顕示としか思えず、唾棄すべき己が醜態を見透かせた。
 やめておこう。
 上野駅のホームの反対の発車標を見ると、14時00分特急ひたちの文字があった。
 ひたちの中でビールを飲みながら水戸へ行き、水戸線で小山経由で戻るか、常磐線を折り返すか、慌てて時間を調べる。いずれも門限には間に合わなかった。

 ここで、ようやく品川からの京急線を検討した。
 二週間前、三浦漁港で海鮮丼を喰らわんと目指したものの、骨折したばかりの尻の痛みは今よりも酷く、耐えかねて鶴見のブラジル家庭料理に路線変更したのだった。
 ステーキ定食に大いに満足したものの、京急線の快特で終点まで行き、海を見て、海鮮丼を食らう目的は果たせなかった。
 サッポロ一番みそラーメンを食らったばかりであったため、今は海鮮丼は求めないが、海、それもできるだけ自然あふれる海は見たい。旅気分は十分に味わえる。
 できることならば、三崎口まで行き、徒歩二十分ほどにある三戸浜まで行きたいところであった。九・一一直後に三戸浜のペンションで、履修していたイスラム史ゼミの合宿があり、暇なので散策した海岸は実に寂れていて、思いのほか良かった記憶が残っている。
 時刻表で調べると、三崎口の一つ手前の三浦海岸で折り返さないと、門限に間に合わない。三崎口まで行ってしまうと海岸を歩けない。三浦海岸ならば到着後十九分後の快特で折り返すことで、門限に間に合う。

 13時55分に品川に着き、小走ると疼く尻に耐えながら京急線との乗り継ぎ改札を抜けると、ちょうど快特が泉岳寺の方面から入線してきた。
 京急は赤い。
 そんな固定観念を打ち砕く青い京急であった。
 横須賀中央を越えたあたりでわずかに、YRP野比を過ぎると本格的に海が見えるため、海側の窓際の席に座りたかったが、山側しか空いておらず。
 快特は神速で東海道線の隣の線路を駆け下る。
 つくづく都内と横浜との行き来は京急に限ると思う。快適な進行方向に向いた座席と、流れる景色の速さたるや。関東のつまらない鉄道とは一線を画す。ただし、羽田空港へ行くには京急ではなく、東京モノレールに限る。
 上大岡で隣の席に一人のおじさんが座ったものだから、いつまでも海側の空いている席に移れなかったものの、首を伸ばせば横須賀中央の先から青い海原がチラリと見えた。
 京急久里浜で隣のおじさん含め、車内のほとんどの人が降りたので、気兼ねなく海側の席に移る。

 快特が三浦海岸に着いたのは15時02分であった。
 15時21分の快特泉岳寺行きで折り返さなければ、門限に間に合わせない。
 急ぎ足で海岸に向かう。徒歩五分ほどだ。行く途中にコンビニがあった。
 私は会社の昔の同僚で、人生の大先輩であったエリーさんの言葉を思い出した。
 住んでいる横浜から、休日の夕方にふらりと鎌倉の海岸に行って、そこで夕日を見ながら缶ビールを飲むのが優雅で至福だという。
 缶ビールを買った。
 買い物のロス時間はあるものの、一気飲みすれば、まだ間に合う。阿呆な学生時代、大ジョッキの一気飲みにどれほど時間をかけたか。優雅さに程遠いが、門限との兼ね合い上、仕方ない。
 駅前から緩い曲先を描いた道路の先に、山並みが見えた。対岸の房総半島の低い山々である。そして、青い海にたどり着いた。
 砂浜に降りる。
 対岸を走る内房線の特急の名前が「さざなみ」であるように、波は穏やかであった。
 波打ち際ではカップルが黄昏れ、子供たちは寄せては引く波で遊んでいる。こんなところに魚はいるのか、私と同じくらいの歳の男は釣り竿を垂らしてきた。
 私も波打ち際近くまで行く。
 慌ただしく、缶ビールのプルタブを開けると、早歩きをしたせいか、白い泡が溢れる。慌てて口に含ませる。
 普通のビールではなく、エールビールを選んでいた。
 缶のラベルには「あなたの人生にエールを」と書いてあった。
 一気飲みはもったいない。

 気持ち良くなってしまったので、十九分で折り返すことはできず、15時41分の快特で折り返した。
 黄金町駅あたりて大岡川沿いに桜並木が続き、多くの人が花見を楽しんでいる姿を目で見て、手は鞄の中をまさぐっていた。財布が見当たらない。どうやら家に忘れてきたみたいだった。
 現金はないし、クレジットカードもない。
 もしSUICA圏外の静岡県に抜けていたら、大変なことになっていた。13時10分の熱海行きが遅れていた災いが福であった。
 家に着いたのは17時45分であった。
「ただいま」と言う間も、門限破りを叱られる間もなく、すぐに妻は厄祓いへ慌ただしく出掛けていった。

サポートしてもらって飲む酒は美味いか。美味いです。