kyoheykawase

名古屋出身/首都大学東京大学院MBA/広告会社勤務/DJ(渋谷、原宿)→マーケティング…

kyoheykawase

名古屋出身/首都大学東京大学院MBA/広告会社勤務/DJ(渋谷、原宿)→マーケティング・コミュニケーションプランナー→ビジネスデザイン→事業開発責任者→投資関連事業/鈴木敏夫/川久保玲/吉田秀雄/岡康道/仲真史/JAAA論文/キッズデザイン賞/消費者のためになった広告/

最近の記事

プロジェクトマネジメントの所作

会話を待つのではなく、自ら聴く。 人を動かすのではなく、人を活かす。 喋るのではなく、声無き声を聞く。 仲間の自分より優れた部分を信じる。 ヒトと、仕事をする。

    • 器の話だけ。大企業のヒトの病理

      「企業は社会の公器である。」 オムロンの前身である立石電機製作所の創業者・立石義雄氏の言葉である。 今日では、SDGsやESG投資など、社会の価値を強く求められる。まさに、公器であることを必然とされる時代である。 しかしながら、 この言葉を多くの人が、 果たして理解をしているだろうか。 「経営戦略に具体がない」 「ふわっとしている」 「ビジョンが見えない」 「何がしたいからない」 76.5%の大企業の社員が、 自社の経営者に持つ感想らしい。 せめて、社長の前で、独

      • ググれ。と言わないコーチング

        ある一定の立場や経験を得ると「◯◯◯が分からない。」と同僚や部下、時には上司から相談や質問が来ることが多くなる。 笑い話のようにネットでも話題になるが、最も多い回答例であり、最低で稚拙な回答は「ググれ。」である。 ネットリサーチという当たり前を行ってない人は、パソコンが使えない人間(昔で言うなら辞書)でない限り、ほぼいない。いや、スマホでも良い。例え、ググってなくても、その人が大切な人間であれば、こう答えるべきではない。 ただ、大いにして、知識やナレッジだけで、仕事をし

        • 戦略の話は、もうやめよう。

          多くの人が、戦略とかソリューションとかコンサルティングで、差別化を!と話しているのだが、その点がコモディティ化しているので、競争戦略になり、三国志とか群雄割拠とか言われているのです。 そもそも差別化が、もう限界。 戦略とかソリューションとかいう人に限って、過去の引用で自分のロジックを補強するので要注意です。 2番手の企業がいままでとほぼ同じ領域内で力をつけた場合及び新規参入が増えるのは、コモディティです。 ただ、しっかりとトップ企業が差別化に腰を据えるというのは、一つの

        プロジェクトマネジメントの所作

          自分で考えること。それは、食べログの点数ではないモノ。

          多くの人は、食べログ3.5以上という外部評価があり、その点数の上下を見て定量的にお店を選んでいる。さらに安心感を得たいヒトは、人気レビューを読んで、定性的な判断を加える。何のことはない。 これは、もはや常識である。 この状況を、名作・マンガ『ラーメン発見伝』(原作:久部緑郎、作画:河合単)に登場するらあめん清流房店主の芹沢達也は、こう言った。 「やつらはラーメンを食っているのではない。情報を食っているんだ!」 ** この前提を基に、「自分で考えるとは、何か?」を論じたい

          自分で考えること。それは、食べログの点数ではないモノ。

          なぜ、D・HがCAに負けるか。そして、本当に恐ろしい、その先。

          簡単に言うと、要因は至ってシンプルである。 「戦略のコモディティ化」である。 戦略や企画は、言葉を選ばずにいうと、いまや誰にでも書ける。 …あ、ロジカルシンキングができれば。 なぜなら提案書は、ほぼ社内の決済プロセスだけに使われる。 クリエイティビティの発露になれていない。 書き手にも問題はあるが…。 話が脱線するが、日本ではビジネスコンサルティングが死ぬほど儲かる。 会議が沢山あって決済プロセスが何度もあるから。 その資料作成で高額な時間フィーが貰える。 さて、会

          なぜ、D・HがCAに負けるか。そして、本当に恐ろしい、その先。

          社内のウワサ。あいつは優秀の嘘

          会社にいると、 あいつは出世する、 あいつは優秀だ、 あいつは上手くいく。 などの話が出回る。 その度に、自分は?と悩んだりする。 どーでもいいんだけどね笑 ただその通り、 社内の評判と評価を得る人もいる。 そこで社内の出世が決まったりする。 徒然なるままに。 しかしながら、 経営者や起業家の人で、 まぁそのなかでも人格者は、 そう言うことをあまり言わない。 彼らの中では、 成功を得た人ほど、 誰が優秀か?は、 定義していない。 社内でそういう話は、 悪しき文化の

          社内のウワサ。あいつは優秀の嘘

          言い手の気持ち良さが、聞き手の不快を生み出す2つの言葉

          おなしゃす。 あざます。 この言葉を使う人で、 まともなビジネスパーソンを見たことがない。 お願いします。 ありがとうございます。 ひとつは懇願と、 もうひとつは謝意を表す言葉を、 軽佻浮薄にして、 相手を慮らない言葉に貶めている。 しかも、自らの思いを。 歳を取ったものです。 この二つの言葉は、僕は不快でしかない。 そして、絶対に使わない。

          言い手の気持ち良さが、聞き手の不快を生み出す2つの言葉

          感謝の行き先すら、お金で選ぶ僕たち

          新型コロナウイルスに関しての医療従事者への感謝は、尽きない。彼らは死をも覚悟し現場に向かっているのだから。 一方で、ほぼ全く聞こえてこない感謝がある。官僚への感謝である。 なぜか、私たち日本人は、官僚への感謝が薄い。ほぼ、ない。 もちろん、彼らも人間である。過去の官僚の事件のせいかもしれないが、全ての人や企業に愚かな間違いはある。 完璧な政策を目指しているだろうが、完璧な政策など、完璧な人生よりも少ない。 失敗は多い。多くのことは、未来になれば、断罪されるものばかりだ

          感謝の行き先すら、お金で選ぶ僕たち

          熱狂は中心が生む。中にいるマグマな人たち。

          ファンビジネスのいま。 以前はテレビという装置があったので、とりえず、分かりやすくキーワード化すれば、にわかファンを作ることができた。コアファンがいない状態でも、マスメディアで流行を流布できた。 しかし、コンテンツは、体験価値が重要になり、体験の質は、難しさや深さに依存する。そのため、すぐに理解できないヒトは、ファンにならない。前提条件が認知・理解で、その先に価値がある。 例えば、カープ女子に、にわかカープファンはいない。カープ女子は、そこいらの野球好きよりも深く情報を

          熱狂は中心が生む。中にいるマグマな人たち。

          信長が教える「人間、五十年」~「経営」と「敦盛」~

          幸若舞(こうかまい)という能の原型になった民俗芸能。 その演目の一つであり、信長が最も好んだ「敦盛(あつもり)」。 民族芸能を知らずとも、日本史を少しでも齧れば、この演目には、誰もが記憶する一節がある。 「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ。」 私が、日本史を学んだ20数年前、歴史の教科書か何かで、「人間五十年」は、「戦国時代の武士の寿命が、50歳」と浅はかな誤認を

          信長が教える「人間、五十年」~「経営」と「敦盛」~

          会議で、発言しなくても良い。あなたは、いるだけで、価値がある。

          「会議で発言しない人間は、無用。出なくていい。生産性の名のもとに。」 よく聞く、よく言われる。 新人の頃に、こんなこと言われたら、ひとたまりもない。 (あぁ、会議で何か言わないと、こわーい上司に文句を言われる。) 安心してください。それは、正しくない。 可能性として、大きな誤謬さえ含まれている。 会議は、まず、何より発言しなくていい。 ちゃんと聞いて、記憶さえすればいい。 誰が何を話したかをしっかりインプットすれば良い。 聞くことに価値がある。 共通認識が大事なのだ。

          会議で、発言しなくても良い。あなたは、いるだけで、価値がある。

          経営や商品に必要なことば。 コピーの効き目は背後にある。

          私の私的広告コピー名鑑のなかに、トヨタホーム の「育てることに終わりはあっても、愛することに終わりはない。」がある。 これは、家族団欒のなかで、母(吉田羊)が、結婚して家を出ていくことを想像する娘(松岡茉優)に向けた科白である。 ※コーポレートサイトには、きっと権利などの関係で、もう掲載されていない。お見せできないのが残念だ。 多くの人は「愛することに終わりがない」という母親の思いに共感する。コマーシャルのタイトルは「愛に終わりはない篇」である。 しかし、よく考えると「

          経営や商品に必要なことば。 コピーの効き目は背後にある。

          新型コロナウイルスにおけるトップのメッセージの役割とその先

          総理や首長が、僕らの社長と仮定した時に、5月17日現在、今までのそれぞれのトップが語った警鐘のメッセージとして、「STAY HOME週間」という言葉は、ものすごく力を持っていて、東京のみならず、全国にかなりの効果があった。ただ少なからず反動として、まさに今日の東京のユルさにつながった気もする。 一方で、「大阪モデル」という言葉は、場所を限定したが、期間を限定せず、その効果を長く発揮している。 政策としての言葉と、意識としての言葉の在り方を、考えさせられる。 有象無

          新型コロナウイルスにおけるトップのメッセージの役割とその先

          ロジックに負けてはいけない。

          ロジックというツールは、 右から話せば右に証明できるし、 左から話せば左に証明できる。 だから、正論ってのは、強い。 ロジックは一つの線路を走る。 不確定要素は排除され、 さらに華美な装飾とレトリック、 時には、パワーで曖昧模糊になる。 だから、他人と意見を交える時、 相手の証明について、 直観的に、嫌悪感を感じたら、 あなたはその根本を直観的に言語化する。 理屈を捏ねる。 そして、自身のロジックを、まず持とう。 そこからは、 あなたのロジックを 伝えたいという懇願の

          ロジックに負けてはいけない。

          おれ、noteを書いてみよう。

          流行りに乗っかるというのは、最も重要な僕の業界でのスキルであるが、アカウントはあるモノのほとんど書いていなかった。 まさにレイトマジョリティ。ださいなぁ(笑)。 社会人になって、リーマンショック、3.11東日本大震災が起こった。 それを超えるCOVID-19 (かっこつけてみた)。 世界は分岐点にあるのは、間違いなく、新型コロナウィルスによるパンデミックの影響は自身の命は自分で守らなければならないという意識が醸成され、自分の人生は、自分が決めるのだとはっきり自覚された

          おれ、noteを書いてみよう。