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感謝の行き先すら、お金で選ぶ僕たち

新型コロナウイルスに関しての医療従事者への感謝は、尽きない。彼らは死をも覚悟し現場に向かっているのだから。

一方で、ほぼ全く聞こえてこない感謝がある。官僚への感謝である。

なぜか、私たち日本人は、官僚への感謝が薄い。ほぼ、ない。

もちろん、彼らも人間である。過去の官僚の事件のせいかもしれないが、全ての人や企業に愚かな間違いはある。

完璧な政策を目指しているだろうが、完璧な政策など、完璧な人生よりも少ない。
失敗は多い。多くのことは、未来になれば、断罪されるものばかりだ。

ただ、いま、あまりにも、感謝の声が聞こえない。

補償しろという声は嫌と言うほど聞いた。
マスクはいらないと嘲笑は渦巻いた。
自粛って法的規制ないんでしょ?も。

しかし、多くの人が10万円にはありがとうと言わない。
多くの人が200万円をありがとうと言わない。

厚生省のアプリだって1ヶ月でこのレベルのものを作った。少なくてもITサービスに関わった人間であれば、よくやったねと思う。

この国では、官僚は公僕。
我々への奉仕が当たり前で、叩きまくって良いという風潮は、単純に国家のレベルを下げてると思う。

表層だけを舐めて、官僚批判をしている。システムも理解せずに、言葉尻を捕まえている。官僚と分かれば、名誉毀損のような人権蹂躙のような罵詈雑言を吐く。
そこに、少しでも、自分の理解できない世界の関与があると悪いという。

税金の無駄遣いという言葉がすぐに大きな矛になり盾になる。

お金(税金)を払ってる方が常に偉いのだろうか。

それなら、あなたの英語への投資は、それ以上の無駄遣いかもしれないし、英語がまだ喋れないあなたは無能だし、マスク以下だ。という喩えを言いたくなる。

僕たちはあまりにも無償の愛を欲してしまう。だから無償のように見えるものに感謝をし、血税とか呼ばれる自分のわずかな現金を払った有償の嫌悪ばかり投げている。

官僚に感謝したい。
ありがとう。
たまに税金が高過ぎると言って申し訳ない。

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