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自分で考えること。それは、食べログの点数ではないモノ。

多くの人は、食べログ3.5以上という外部評価があり、その点数の上下を見て定量的にお店を選んでいる。さらに安心感を得たいヒトは、人気レビューを読んで、定性的な判断を加える。何のことはない。
これは、もはや常識である。

この状況を、名作・マンガ『ラーメン発見伝』(原作:久部緑郎、作画:河合単)に登場するらあめん清流房店主の芹沢達也は、こう言った。

「やつらはラーメンを食っているのではない。情報を食っているんだ!」

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この前提を基に、「自分で考えるとは、何か?」を論じたい。
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瀧本哲史は、こう言っている。

「自分の人生は自分で考えて自分で決めていこう。」

「自分で考えること」というのは、非常に難しい。
直感的に感性によるのか。
欲望だけで動くことが正しいのか。
自分が好きか嫌いか。
やりたいかやりたくないか。

結論を言うと、
「自分で考える」ということは、「自分の価値基準を作る」ことである。

価値基準とは、定量でも、定性でも、何でもいい。

例えば、この話の頭に戻ると、食べログ3.5を、あなたの言葉で、3.5を説明できるかどうか。

あなたの舌で食べた時、何が1点で、何が2点で、何が3.5点で、何が5点満点なのか。それを決める。
自分のなかでの平均点を決め、0点を決め、3点を決め、満点を決める。
その基準に沿って、何が良いか、何が悪いかを自分で決められる。0.5はどういう構成要素なのか「自分で考える」のである。

ラーメンであれば、麺の歯ごたえが良いのか、スープの出汁がよく出ていることなのか、味付けたまごの黄身の具合か、漬かり具合か。それとも総合的なバランスが良いのか。総合的なバランスっていったいなんだ。もしかすると、店長の愛嬌も加味されるかもしれないし、限定メニューなどのバラエティに富んだ商品構成か、むしろ、逆で、醤油ラーメン一筋でやってることを評価するかもしれない。
そして、そこに価格が加わってくる。900円なら良いのか、美味けりゃ5,000円でも良いのか。

それぞれの分析の判断軸を持って、基準をしっかり言葉にして、その目の前にあるラーメンを数値化できるかどうか。
そして、これは美味い、不味いと言えるかどうか。

それを「自分で考える」ことの基礎だと、私は考えている。

余談ではあるが、基準を作るためには、やはりインプットが必要になる。
つまり、インプットと基準作りが、考えることの最初の一歩である。
ラーメンを沢山食べることが最初に来て、味を構成しているものが何かということ。

下手に、すぐに、これは俺史上No.1とか、
「やっぱ3.5以上だなぁ」なんて、短絡的には言ってはいけない。

価値基準を持った自分の考えが、「自分で考える世界」である。

決して「何となく好き」で誤魔化してはいけない。

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