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人生いろいろ!別れてもなお、共に親であり続ける〜高畠依公子さん


みなさんこんにちは。一般社団法人りむすびです。
離婚後も両親で子育てする共同養育を実践しているパパママのインタビュー記事「共同養育man&woman」特集。

今回は、離婚直後から共同養育を実践をしていた高畠依公子さんをインタビュー。
お相手への感情の整理の仕方や関係が良くなったきっかけ、お子さんとの父親との交流などについて思いを聞かせていただきました。

■プロフィール

お名前:高畠依公子(たかはたいくこ)さん  59歳
お子さんの年齢・性別 長男27歳、次男22歳
福岡県出身。
19年間の結婚生活を経て離婚。
現在は、結婚相談所「横浜マリッジカンパニー」を運営。司会をはじめ音楽に携わる仕事、不動産エージェントの仕事も行う。


―まず、離婚までの経緯を教えてください。

私は福岡出身なのですが、結婚を機に上京しました。
環境が変わる中で、何か仕事をしなければと考える一方、子どもがほしいという思いがありました。音大に通っていた経緯があったので、結婚式の司会の仕事をするようになり、子どもができたのが32歳。

最初は元夫も育児に協力的でしたが、仕事が忙しいということもあり、次第にそれができない状態になっていきました。親も近くにいない、知り合いもいない関東での初めての育児は、最初は辛かったですね。やや、ノイローゼ気味になっていたと思います。
ふたりめを望んでいた私とは裏腹に元夫は消極的でした。私自身がひとりめの育児で大変な思いをしているのを知っていたので、君には無理だよ、と言われていました。

それでも37歳のときにふたりめが生まれました。ただ次男が生後一ケ月の時、重い病気にかかったことがあったんです。その時、元夫は海外出張でアメリカに行って不在。すぐに連絡がとれず、ひとりでパニック状態になりました。なんとか自分の親を呼び寄せるなどして、元夫には会社に連絡を取り続けてもらいました。

元夫にようやく連絡がつき彼が帰国。次男が入院する病院にやってきた時の彼の第一声が「あー疲れた」と、言うもの。死ぬかもしれない重病の新生児を前にした時のその言葉に。元夫に対する気持ちが、ぷつん、と切れてしまったんです。

これでは将来やっていけない、相手に頼らないで自分ひとりでやっていこうと、私は勝手に心を閉ざしていきました。親が離婚するものではない、と思っていたこともあったので、元夫には、なにも話すことはありませんでしたが、必要以上の会話をしない、仲の良くない夫婦として日々を過ごしていました。

―具体的な離婚の決意や取り決めは?

長男の受験時も私がひとりで子どもたちを見ていましたし、自分もシャカリキになってやっていました。次男が小4の頃に、私も外に出られるようになって少しひとりの時間がもてるようにもなっていきました。
その頃から、忙しい夫が帰ってきたら私は寝てるというように、元夫とは顔を合わせないようになっていました。そんななか、元夫に好きな人ができた、ということがわかったんです。その瞬間に、私から「離婚してください」と言いました。彼も私に不信感があったので、即離婚となりました。

結果、彼が家を出て行って、いまの家に私と子どもたちが残ったままあっという間に離婚が成立しました。離婚時の取り決めはふたりで行いました。
親権を彼に譲って、監護権を私が持ったんですが、あとで監護権って言うんだ、と思ったくらい、親権にこだわりはありませんでした。私は産んだ事実があるから全然かまわない、と感じていました。
子どもの苗字は変えたくなかったので、結局、子どもと夫は同じ戸籍、自分が抜けて、苗字は旧姓に戻さずに、私と息子たちの生活が始まりました。

―お子さんとお相手は、別居後すぐに会っていたのでしょうか。

もちろんです。離婚しても父親ですから。元夫が再婚して新しい子どもができるのはちょっといやだな、と思ったくらいですね。
元夫は、都内にひとりで住んでいて、子どもたちがいつ泊まりに来てもいいようにしていたので、別居してからすぐ、週末は子どもたちと会う生活が始まりました。取り決めもして、月々の養育費も決まり、きちんと支払ってもらいました。

当時、次男が小4。毎週土日はパパとご飯を食べていましたね。あの頃は、週末に元夫と子どもたちが出かけていると寂しくて、どうして過ごしていいかわからない、ということはありましたが、それから7年後位には、私も含めて4人でご飯を食べるようになっていきました。
子どもたちの行事にも離婚してからもふたりで参加し、周囲もだんだん離婚していることがわかっていった感じです。

―お子さんへは離婚の事実をどう受け止めていましたか。

長男には最初から伝えていました。次男は小学生だったので伝えずにいたのですが、中学2年生の時に部活の集まりに元夫が来たときにひょんなことからバレてしまいました。

子どもの行事に夫婦同然の様子で出席していたので、元夫は、中学からできた友人の親御さんには、離婚していると思われたくなかったみたいなのですが、私は周囲に離婚していることを伝えていて、そのことに元夫が気付いて機嫌が悪くなってしまい、その姿を見た次男が自身の両親が、別居ではなく離婚していたんだ、と気づいたという感じです。
結果として、親の離婚を間接的に知ることになってしまったため、それまで反抗期はなかったんですが、その日だけ激しく荒れていました。私からきちんと説明をすればよかった、と反省しています。

子どもたちには助けられていたとあらためて思います。
私自身、離婚直後は遠方のオペラ事務所で働いていて激務。次男も一時期不安定になり、学校に行けなくなるなんてこともありました。忙しすぎて休む間もなく、支払いを忘れて電気が止まったことも一度や二度じゃなかったですね。
そんなとき、「また電気つかないよ」と、子どもたちは明るくて振る舞っていてくれましたし、私も心の中はどんなに大変な時でも絶対なんとかなるから大丈夫と子供たちの前では必ず笑顔でいるようにしていました。

子どもたちの前では、いつも笑っていようと、子どものためならなんでもできると思って強くやってこれたのも、離婚して夫には良い意味で期待せず頼らなくなったからだと思います。仲が悪い夫婦の姿を見せて続けているより離婚してよかった、と思えました。元夫も学費を出してくれたり、約束を守ってくれたことも大きかったですね。

―離婚後のお相手との関係性は?

子どもたちの学費を出してくれるのは元夫なので、次男のサッカーのことも共有したり、年末年始には離婚後もお互い実家が近いので一緒に帰省していました。もちろん、私は元夫の実家には行きませんが、子どもたちは両方の実家に行っていました。

離婚後も話し合っていたとはいえ育児において意見が違うこともありました。次男の受験の話をした際は、教育方針で食い違っていたもののわかってもらえるよう話し合いました。今思えば、結婚時は、私が一方的だったと思います。
長男の受験の時は、私は受験させたくて必死にやっていましたが、夫はくだらない、と言っていました。最終的に受験して合格したとき、それまでの経緯を見ずに、結果だけ見てあれこれ言われたのはいやでしたね。

当時は夫婦仲が悪かったので相談はしておらず、私が子どもの塾のことなどすべて身の回りのことをやっていましたが、離婚後の方が、子どものために相談もし、元夫の意見も聞き入れられるようになった気がしています。

―現在、お相手とお子さんとはどのように交流されていますか。

実は、いま元夫は施設に入っていて、子どもたちを私が連れて会いに行くような方法をとっています。4年前頃から具合が悪くなったのですが、そのとき私に病院についてきてほしいと頼んできたんですよね。私も元夫とはいえ、その時は近くに住んでいたこともあって、月1回病院に付き添うような形になっていました。

それから2年くらい経ち次男が大学2年生になった時、寮を出て父親と一緒に住むと言い出し、一年間元夫と次男で住んでいたのですが、その後、次男がサッカー部の練習で大けがを負い、元夫の面倒をみることができなくなり、元夫には施設に入所してもらうことになりました。

現在は、施設から私に直接連絡が来るので、私が面会に行き、必要なものを届けたり、病院に付き添ったりしています。もちろん子供達にも声をかけ、行けるときには一緒に会いに行っています。
先日、次男と元夫の病院に付き添ったときに、次男が涙していました。その理由を尋ねると、自分がケガをしなかったらもっとお父さんの面倒をみてあげられたのに・・・と泣いていました。優しい子に育ってくれたのも、共同養育のおかげだと思っています。

―これからのビジョン、目標や夢はありますか。

私は結婚式が大好きなんです。結婚式が好きすぎて新郎新婦の出会いから関わりたいと結婚相談所を経営しています。
最近スタートさせた不動産エージェントの仕事も、結婚相談所で結ばれたカップルの家探しをしてあげたいと思って始めたんです。これからも人の幸せの門出に携わっていたいと思っています。
それに、子どもたちに迷惑をかけたくないとも思っています。そう思い再婚も経験してみましたが、上手くいきませんでした。自分自身はもう結婚はしないかな(笑

子どもがいる夫婦と子どもがいない夫婦の離婚の在り方は違う、としみじみ思います。子どもがいる夫婦は離婚しても親同士として縁が切れないですよね。再婚のサポートもしていますが、たとえ離婚したとしても、両親が色々な場面で実の子どもと関わり続けれたらいいなと私は思います。

―いま現在離婚を考えている方、離婚後の子育てで悩んでいる方にメッセージをお願いします。

私は自分の離婚のとき、中2の長男に離婚のこと相談してしまっていました。いま思えば長男を相談相手にしたことでつらい思いをさせてしまっていたと思い反省しています。夫婦と親子は別物ですから、夫婦のことは夫婦で解決しないといけないですね。

相手は変えられない、自分が変わろうということを今は強く思います。私自身、自分も悪いところがあったと思っています。そして、この人と結婚して子どもを成して家族になろうと思った事実があったこと、子ども達にとっては双方が親であることを忘れずにいきたいと思っています。

離婚をしても、子どもが親に会いたいと言っていて、親が子どもに会いたいと言った時点で、そこには愛情があふれていると思います。どちらかの親の都合だけで、会いたいのに会えないということはあってはならないことだと私は思います。
親が離婚しても子どもがつらい思いをせず双方から愛され続けてほしいと切に願います。


企画:一般社団法人りむすび
ライター:江島るな子

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