差別に向き合う―記者とデスクのやりとりから
今回は、記事が出るまでに記者とデスクとの間でどんなやりとりがあるのか、1本の記事を巡ってのやりとりを紹介したいと思います。
こんにちは。大阪社会部デスクの角南圭祐です。今年9月1日は、「防災の日」の起源ともなった、関東大震災から100年の日でした。関東大震災では、震災直後の混乱の中、「朝鮮人が暴動を起こした」などのデマが広まり、軍隊や警察、民間人の自警団などによって、多くの朝鮮人や中国人、社会主義者らが虐殺されました。共同通信も、虐殺の事実を見つめ、現在も続く差別の実態を明らかにし、ひどい歴史を二度と繰り返さないように、多くの記事を発信しました。9月1日から全国公開されている映画「福田村事件」(森達也監督)を扱った記事も多く配信しました。
千葉県の旧福田村で、行商団9人が自警団に殺害された事件を扱ったこの映画。行商団の出身地である香川の地元を取材したのが、高松支局の牧野直翔記者(26)。入社3年目の若手です。
記事はこちら。11月1日に公開しました。
虐殺事件と部落差別問題。映画化の話が持ち上がると同時に、地元は大きな葛藤を抱えることになりました。注目されることで、差別の二次被害が起きかねないという葛藤です。牧野記者も取材にあたって、こうした葛藤を抱えました。
書くべきか、書かざるべきか。書くとすれば、どう書くのか。牧野記者とやりとりしながら、原稿を完成記事に仕立てたのが、私、デスクの角南(44)です。差別という難しいテーマに挑むに当たり、2人で何度も話し合い、取材・執筆を進めました。そこに、記者とデスクとの関係が現れていると思います。
まずは、牧野記者が振り返ります。
■事件を知ったきっかけ
こんにちは。高松支局記者の牧野直翔です。
ここでは、福田村事件の取材に至った経緯や、角南デスクと一緒に悩んだことをお伝えします。差別問題について読者の皆さんと共に考えていければと思います。長くなりますが、お付き合いいだけますとうれしいです。
私が福田村事件を知ったのは、高松に赴任して数カ月たった昨年夏。取材で知り合った方から「今度映画になる」と、福田村事件(当時タイトルは未発表でした)のチラシをもらったのが最初でした。
元々私は、人権や差別問題に関心を持ち、関東大震災の朝鮮人虐殺問題についても取材の機会をうかがっていました。しかし、この福田村事件については全く知りませんでした。
事件に深く関係する香川県でも、映画化で初めて事件を知った人が多かったようです。なぜ地元でさえ語り継がれていないのか。純粋に興味が沸きました。
また、思い出す事件がありました。2021年、在日コリアンが多く住む京都府宇治市の「ウトロ地区」で起こった放火事件です。
逮捕された男は、インターネット上にあった在日コリアンに反感を持つ不特定多数の書き込みに共感し、理不尽な憎悪を募らせていました。
当時執筆した記事です。
事件の経緯や男とのやりとりをまとめた記事をヤフーニュースでも公開すると、「ヤフコメ」と呼ばれるコメント欄に差別発言が多数寄せられました。
100年前の虐殺を引き起こした差別意識は今なお存在する、そう確信しました。
今こそ過去の虐殺事件を直視しないといけない。そう考えていた中で、福田村事件は一つの手がかりに思えました。
■取材を始める
福田村事件を報道する上で、懸念がありました。部落差別を記事でどのように取り上げるか、ということです。
行商たちは被差別部落の出身でした。出身地域には今も遺族らが暮らしています。私は最初、このことを軽視し、気軽に取材に応じてもらえると考えていました。
しかし、最初に取材を申し込んだ「香川人権研究所」(福田村事件の調査にも関わっていたNPO法人です)の事務局長から聞かされたのは、歴史の継承と、地元の安心の間で悩む地域の実情でした。
事務局長がつないでくれた町内会長のカズトさん(仮名)は、「そっとしておいてほしいのが町としての正直な気持ち」と打ち明けました。
カズトさん「事件を掘り起こして、子どもたちを差別に遭わせたくない。何かあったら、子どもたちはずっと背負っていかないといけない」
「福田村事件の被害者の出身地」として映画化を機に注目を集めることで、地域の場所が晒され、攻撃される可能性を危惧する切実な言葉でした。
決して事件は「過去の歴史」ではなく、地域は今も、事件の影響に向き合っています。そして、事件の教訓を継承しようとする動きが、意図に反して地元の葛藤を深めてしまっている。私たちメディアも加担してしまっている現状がありました。
生半可な気持ちでは書くことができないぞ。そう考え、地域に通いながら考えることにしました。
■「そっとしておいてほしい」の重み
私は、住民と一緒に、祭りの太鼓台を担いだり、神社のしめ縄を結ったり、遠出をしたりする中で、取材の意図を知ってもらいながら、たくさんの住民の声を聞きました。「そっとしておいてほしい」という言葉の印象からかけ離れた、パワフルな人々です。
たとえばAさんは、地元や先祖を誰よりも誇りに思っている男性です。Aさんは被差別部落や行商が貧しいマイナスイメージで語られがちということに怒っていました。
Aさんは時に目に涙を浮かべながら私に言いました。「福田村事件の調査が進んだ時、『もうここにはいられない』と多くの人間が地域を出て行った。墓を移す者もいた。映画になれば、また人が出て行く。この気持ちが分かるか」
また、Bさんはいつもニコニコして地域のみんなに愛されている男性です。地域の野球チームで、他の町内会とも打ち解けていることを教えてくれました。Bさんは「部落というが、他の地域と何も変わらない。みんなもう普通の生活をしている」と語ります。
AさんとBさんの話からは、地域住民が、本当に地域のことが好きで、地域のことを思っているということが伝わってきました。「そっとしてほしい」という言葉の重みを感じました。
■差別問題は差別をする側の問題
記事を書くべきか悩んでいるまま時間が過ぎて、すでに取材を始めて半年がたっていました。私の思いは被害者側に傾き、地元の不安を伝えたい、映画を見る前に、このことを知ってほしいと思うようになっていました。
今年の夏、映画「福田村事件」公開前のタイミングに、角南デスクに初稿を提出しました。
原稿を見た角南デスクから言われたのは、「これじゃ世に出せないよ」という言葉でした。
私の原稿は、住民の不安を強調するあまり、全国各地で綿々と続いている、部落解放運動そのものを否定しかねない内容になっていたことに気付かされました。
運動を続けてきた人たちはこの事態をどう思っているのか。そう考え、部落解放同盟香川県連に取材へ行きました。
県連も映画化への対応には苦慮していて「本来であれば、部落差別への理解が広がるように、制作陣と同盟もタッグを組んでやりたいところ。だが、地元の理解は何よりも大事だ」と、地域と思いを共にしていました。そして、差別撤廃のための解放運動と、地域の安心の確保との間で葛藤をにじませていました。
■書くことは正しいのか
角南デスクと何度か原稿のやりとりを経て、映画公開直前の8月30日、「映画化機に部落差別あらわ 福田村事件、住民の葛藤」というタイトルの記事を配信しました(共同通信は主に全国の地方新聞に向け、記事を配信しています)。
地名は伏せ、場所の特定ができないよう配慮しました。
記事はネットには載りませんでしたが、いくつかの地方紙に掲載されました。すると、被差別部落の地名リストや動画を無許可で公表し裁判を起こされている川崎市の出版社「示現舎」が、新聞記事を示しながら、X(旧ツイッター)上で地域の地名をアウティングしたのです。
ショックでした。記事を書くことが正しいことだったのか、分からなくなってしまいました。
私は、差別問題に取り組んできた先輩たちの言葉を思い返しました。今年3月、西日本新聞社の「人権新時代」という部落差別を扱った長期連載で2023年度の新聞協会賞を取った森亮介記者ら取材班の講演を、東京で聞いたときのことです。
「そっとしてほしいという当事者がいることはどう考えますか」。質問を投げかけると、森さんは「それでも書く。差別を無くすために」と力強い一言。記者として勇気づけられました。
もう1人が、「山口県人権啓発センター」の川口泰司さんです。角南デスクに紹介され、電話で相談してみました。川口さんは「地元で生きる当事者の不安は、多くの人が知らない。声なき声を可視化することには大きな意味がある」とアドバイスしてくれました。
長年被害者が沈黙を強いられていたことや、現在の地域が受けている差別は、事件を考える上で大切な要素です。
私は、私自身が事件を継承しようとする一人であるならば、地域の葛藤を伝え、地域とともに悩み抜く責任があるのではないか。そう考えました。そして、配信した新聞記事に大幅に加筆し、千葉県・旧福田村での追悼式を取材したことも入れ、今回の記事をネットに配信しました。
■優しさが裏目に
再び、デスクの角南です。
牧野記者とは何度もタッグを組んで仕事をしている間柄です。6月にはこのような記事を仕上げました。
京都・ウトロの記事と合わせて読んでいただければ、彼の人権感覚が分かると思います。弱者に寄り添おうとする記者です。しかし、その優しさが裏目に出ることもあります。
今回、福田村事件に関する取材で、牧野記者から進ちょく状況を電話で聞くたびに、地域の葛藤がそのまま牧野記者の葛藤につながっていくのを感じました。地域に足繁く通い、一体化していく中で「書かない方がいいんじゃないか」と悩みを深めているようでした。
関東大震災朝鮮人虐殺問題の陰で、香川でそのような葛藤が起きていることは、部落差別が今も根強く残っていることの証左です。きちんと社会に伝えるべきだと考え、その地域だけでなく、視界を広げるために部落解放同盟香川県連への取材や、部落差別問題に詳しい人への追加取材を頼みました。
示現舎が、私たちが配信した新聞記事を使って地域をアウティングしたのは痛恨でした。新聞記事を基に、より詳しい今回のネット記事を書くにあたり、牧野記者は「また示現舎に悪用されるのではないか」と悩んでいました。私は、記事中に示現舎がやったことまでを書き込み、もしまた悪用されても、それは許されないことだと示そうと助言しました。
しかし、牧野記者の悩みは想像以上に大きかったようで、送られてきた初稿は、「香川の地元の人たちが、千葉県の追悼式に向かった」という内容に終始していました。地域の葛藤には触れず、今年9月6日にあった追悼式と、福田村事件の解説があるだけでした。これは牧野記者が伝えたいと思っていた内容ではない。高松支局の記者として、覚悟を決めて切り込まなければならないのではないか、地元の人や関係者と、もっと話し込んでみたらどうだと伝え、原稿を突き返しました。
第2稿は、今回公開された記事内容に近いものでした。そこに、示現舎がやってきたことを加え、牧野記者の葛藤を伝えるために「取材後記」も加え、最終稿としました。
私たちがこうして世の中に送り出す報道記事は、そのまま歴史の1ページ目となっていきます。私たちが記録しなければ、事実はなかったことになり、忘れられていきます。
朝鮮人虐殺から100年がたっても、香川ではこんな問題がある。そのことを、牧野記者が取材を尽くし、悩み抜き、こうして記事にしてくれたことで、映画の陰で省みられない人たちの存在や、部落差別の本質を伝えることができたのではないかと思っています。
■それでも書くしかない
再び、牧野です。
差別が未だ根強く残る以上、差別を無くすためには、私たちメディアは「それでも書く」ほかないのだと思います。
ただ、実際に被害を受けるのは当事者です。当事者目線で、当事者とともに悩み、考える姿勢を忘れてはいけないことを肝に銘じたいと思います。
また、福田村事件は、市民のある種の「正義感」が暴走して引き起こされた事件です。もしかしたら、そこに悪意はなかったのかもしれません。事件が今を生きる私たちに教えてくれるのは、「想像すること」の大切さです。何かを正しいと思って行動する時、その「正しさ」が本当に正しいことなのか、常に考え続けなければならない、と痛感しました。
自分の正義が誰かを傷つけてはいないか、想像力を膨らませて、これからも記事を書いていきます。
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