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評㊻寝なかった岡田利規作、本谷演出『掃除機』@KAAT中スタ6000円

 多少演劇を勉強した程度の自分にとって、岡田利規(49)は、面白いかどうかの前に、そもそもよくわからない(そうやって周辺に聞くと、うなづく人は少なくない、正直だ)。が、多分「それまでにない」「新しい」形の演劇を提唱したのだろう、「それまでにない」「新しい」は、「面白い」がもし不足しても、十分注目を集めるに値する。で、批評家の皆さんが注目しているようだし、「今の時代を知れるか」と思って観る。だらだらしゃべりと身体性??そして、寝る。すみません。
 そんな岡田利規作、本谷有希子(43)演出の『掃除機』をKAAT中スタジオで観る。6000円。上演時間約90分。観劇後、台本内容を確認したく、会場で売ってた岡田利規『掃除機』(白水社、他3作品所収)購入、2400円!!!……結果的1万円コース。

(左)フライヤー(チラシ)オモテ、(右)岡田利規『掃除機』(白水社)2400円=この公演に合わせて出版したとか

 ……寝なかったゾ。とりあえず。
 岡田作品を観たと言うより、本谷演出を観た、ためかもしれないが。
 
※以下ネタバレの可能性あり

ドイツの公立劇場に書き下ろした岡田作品の、初の日本上演

 チラシによれば、『掃除機』は岡田が2019年、ドイツの公立劇場ミュンヘン・カンマーシュピーレ劇場に書き下ろし自ら演出した『The Vacuum Cleaner(ドイツ語上演)』を、日本語による日本初演するもの。
 ということは、ドイツの社会、ドイツの掃除機からの発想ではないのか。と思ったら、単行本のあとがきで岡田は「ひきこもりの息子を持つ女性の新聞の相談欄への投稿にインスパイアされて書きました」と書く(前出書、198p)。ふむ、日本からかね、新聞かね。。

 ドイツ上演時の写真を検索すると、日本の障子と障子枠をイメージしたような壁と、一部床は畳らしきもの、でできた3つの空間(3色)の組み合わせのような舞台美術だ。この時の美術担当が日本人かどうかはわからない(日本語のネット記事を検索しても、よくわからない)。
 岡田の意図がどれくらい反映されたか知らないが、ドイツの特定の劇場とそこの俳優陣(ドイツ公立劇場では、劇場付きの俳優がその劇場の作品を演じるシステム)を「アテガキ」して、岡田が日本語で書いた作品が、ドイツ語に翻訳され日本的空間をリスペクトした舞台で、ドイツ語のわからない岡田演出で上演された感。なんじゃ、そりゃ。この時点で、岡田も、日本語で発話する役者は観ていない。
 と、ここまでがとりあえず、岡田周り。

当日パンフ

本谷有希子、自身の戯曲以外を初演出

 で、このもともとの(?)日本語台本で、本谷有希子が今度は日本の役者を使って演出。
 本谷有希子と言えば、2016年小説『異類婚姻譚』で芥川賞受賞作家だわさ。「劇団・本谷有希子」主宰。が、最近ネットニュースにも載って記憶にあったのが、「公演中止」。コロナでもない、あるいは某演出家のごとくハラスメント、でもない。2022年6月、黒田大輔、安藤玉恵出演『マイ・イベント』を完成できず直前に中止、その後、自身出演で上演したらしい。
 そんな本谷が、初めて、自分の戯曲以外を演出したのが、この掃除機とな。なるほど、って、何がなるほどなんだ。

日本リスペクト?、のドイツ舞台を排した美術?


美術は池宮城直美

 で、今更書くと、これは「ひきこもり」の話だ。50代のひきこもり娘と、80代の父、を中心に描く「8050問題」というやつ。
 美術・衣裳は池宮城(いけみやぎ)直美。
 立体的半円的なので、左右に傾斜があり、物が転がりそうな舞台(左右「八百屋(傾斜をつけたる舞台)」とでもいうのか)で、日本リスペクト?、のドイツ舞台を排した美術? と言えばいいのか。左上(舞台下手上方)にベッドが結構急に見える角度で取り付けられ、その下には踏板もあって、ひきこもりハノ・ホマレ役の女優家納(かのう)ジュンコが慎重に出入りし、「寝る」演技の時は、どうもベッドにうまいこと穴を空けてるらしく、そこに潜り込む。ひきこもりの空間。
 一方、右側(舞台上手)は、父親ハノ・チョウホウを演じるモロ師岡(戯曲では一人だが、本作では三人いる=俵木藤汰、猪股俊明)の空間で、そこでコーヒー飲んだり音楽聞いたり。で、真ん中が、掃除機デメである栗原類の空間。その正面奥が息子ハノ・リチギ演じる山中崇の空間、右奥(舞台上手奥)のテーブルは……とざっくり分かれる。

 うすーい仕切りで隣り合う微妙な日本的空間をドイツ上演が創っていたとすれば、この本谷演出版は、仕切りのない世界を見せている。ひきこもりと言えば、同じ家の中での「断絶」のイメージだが、あえて仕切りをとっぱらっている、勿論意味を持たせているのだろう。

観たかった栗原類……今作では自分の発見は無し

 内容はというと、50代の娘がひきこもる家に、80代の父と息子(弟?)がいて、掃除機がしゃべって、弟の知り合いが来て、弟が家を出ていく、という。 

当日パンフの中側

 なぜ観たか、であるが、「岡田利規は勉強のために観よう」「本谷有希子が岡田をやるってなんだか観てみよう」に加え、「栗原類(28)を観てみよう」というのがあった。
 ファッションモデルで俳優でもある栗原類は、発達障害のうち、ADD(注意欠陥・多動性障害)であることを公表している。8歳の時に診断されたらしい。で、正直に書くと、ADDの人がどんな演技をするのか、観てみたかった。
 映像なら切り取り(=編集)が可能だが、舞台の上で。

 診断はされていないようだが、相手の言うことが理解できず、中途半端な理解のままわかったようなふりをして返して、いつも対話のかみあわない人がいる。違和感がだんだん増えてきて、「ああ」と、わかった。
 物事がすべて理解できないのではなく、物事の構造がすっと頭に入らないのかと思う。それでも、かなり努力をし、今まで傷ついてきただろうことも想像できるので、礼儀正しく追及はしない。
 ただ、その人が演劇に挑もうとしていて(演劇は一応すべての人に開かれているから)、では、相手との「対話」はどうするんだ? と思ってみていたら、台詞は一所懸命覚えるのだが、相手を受け止めて反応する、リアクションがかなり困難である、と自分からするとみてとれた。本人にはなんのことか、わかっていない可能性も高いが。。「対話ができていない」がわからない、そもそも「対話」がわかないのかも、と。偉そうかな。

 人によって異なるし、さて、栗原はどうだろう。

 しかし、今回はそういえば、岡田作品だった
 しかも、掃除機、という人間でない役。さらに、ほぼモノローグで語る。時々人間に語りかけたり、最後は対話もあったりしたが、基本的に、淡々と自分のペースで台詞を発話していく。あまりリアクションが求められない役どころだった。そういう役を充てたのかもしれない。自分としてはあまり新しい発見はなかった。
 「個性的な役どころ」には向くかもしれないが、「対話」に向くかどうかは、現時点で自分にはわからない。

 勿論、発達障害はグラデーションで、自分もそのひとり、とは思っている。

モロ師岡の役者としての身体、リスペクト

 特段期待していなかった(すみません)モロ師岡(もろおか)(64)の役者としての身体に目がいった。
 その前段として、私自身の「猫背」問題があり(私的ですみません)、「役者はまず立ち姿、所作だな。プロとアマの違いはそこよ。プロは立ち姿からしてしゅっとして綺麗だ」などと近日語っていたものだから、まず出てきたモロが猫背だったことに目が集中!???
 しかし、よく考えたら、80代の父親、しかも、ひきこもりの娘を抱え、妻には先立たれた、しょぼくれたおじいさんだ(孫はいない)。64歳がそれを演じてるんだ。声は張らないが通る(マイク付けてたかは確認不可能)。
 と思ってみていたら、回想の中でもっと若い時にモロは、しゃきっと背筋が伸びた。ああ、やはり、演技だ。
 など、それこそプロの役者としては当たり前のことを、別にみせびらかすでもなく自然に演じていたモロの身体をリスペクト。

この人は何者やねん……ラッパーで音楽監督だった環ルイ

 で、途中から出てくる(舞台上では時々姿は見せていた)、ひきこもり家の息子リチギの友人役ヒデ。この人が出てきて、頭をくねくね、身体をくねくねさせながら、語るんだが……いやーなんでか知らんが頭の中に台詞が入ってくる。なんじゃ、このくねくねは
 もしかして、岡田チェルフィッチュの人? いや、もっと頭の動かし方に自信がありそうだ(すみません)。これは、もしかしてラッパーってやつじゃないのか。
 実のところ、ラッパーって映像では何回か見たが、ちゃんと目の前で見たことが今までなく。。

 はい、ラッパーで音楽監督の環(たまき)ルイ(41)、でしたー!
 はー、ラッパーってこんな感じなのか、少なくとも彼は。
 文字では説明できない、そんな感じだった。収穫。

なぜ、女のひきこもりにしたのか

 と、ここまで書いて、作品全体について思うのは、「なぜ、女のひきこもりにしたのか」ということだ。
 演出でなく、原作の設定ということになるが。

 誤解を恐れずに書けば、男のひきこもりの場合、家庭内暴力、他害性を描かないわけにいかない、避けて通るのは難しい。ひきこもりがちの男が起こした事件、それはあくまでごく一部のケースなのだろうが、時々報道され、そのインパクトが強く、見聞きした人の頭の中に残る。「また」という反応になる。
 しかし、おそらく、世の中のひきこもりしている人の大多数は、おとなしくひきこもっているのだと想像する。そして、女の方が比較的おとなしくひきこもっているのではないか。そもそも身体の力が男ほどないので、他害をしたとしても押さえ込むことは男相手よりは容易だろうし、少なくとも家族以外に危害を加える可能性は低いだろう。息子が他人に危害を加える可能性を危惧した、某元事務次官による殺人があったが、娘だったらそこまでいったか(ただ、『掃除機』では父娘で互いに殺意あったのでは、と言及あり)。
 問題発言をしたいわけでない。女のひきこもりを描いた方が、世の中の大半のひきこもりする人たちの実態を素直に描ける、ということがあったのではないか。「『回復支援プログラムっていうのがあるんだけど顔出してみない?』『就労チャレンジコースってのか』って、紹介しか話すことないのか、逆効果だ……みたいな、ひきこもり側の“本音”が垣間見える感じの台詞は、女だからできたのでは、だと、うがちすぎかな。

「うん、え、で結局何が言いたいの?」

 そして、本当に最後から二番目の台詞が、キタキタキター!

 デメ(掃除機)「うん、え、で結局何が言いたいの?」

 うはは、それを岡田さんに毎回聞きたいのよ。てか、岡田さん、わかってるー!!?

 ……てなことを書くのに、3時間以上かかった。書くのは大変だ。また頑張って観て、頑張って書いてみるか。。




  

 


 



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