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評㉜カムカムミニキーナ『ときじく』@座・高円寺1、※5000円~

 八嶋智人(51)らが所属する劇団カムカムミニキーナの第72回公演『ときじく ~富(2)士(2)山(3)麓(6)鸚(0)鵡(6)鳴(79)~』@座・高円寺1を観る。一般チケット5000円、通常(パンフ付き)チケット6200円(東京)などだが、今回は事情があり他人の奢り(自分は無料)で観た。
 なので、当然評価は甘い。が、それでも自分的に観る価値はあった
と思うため、東京公演中(※コロナで変更あり~8/14)だが、いや、公演中だからこそ書いておく。※一部ネタバレあり
 ちなみにパンフ(1500円)は買い損ねた。そこに書いてあるかもしれないことは自分には不明。

コロナで大阪公演(7/30、7/31)中止、東京公演初日延期

 三重・四日市公演(7/23)後の7月27日、公演関係者数名に新型コロナウイルス陽性反応が確認され、大阪公演(7/30、7/31の計3ステージ)は中止。東京公演も当初の初日8/4が中止となり、改めて初日8/5~8/14の計14ステージ予定。8/5~8/7は役者ひとりが療養中のため、作・演出・出演の松村武が2役兼任の特別バージョン。

観る気はなかった、台詞が速すぎてついていけないイメージ

 というか、カムカムミニキーナを観るのは2回目だ。1990年に旗揚げされ、年に2回公演ペースを30年以上続けてきた人気劇団に対し、その程度で何を言うか、だが、演劇はその日その時の客との出逢いなので、構わないとしよう。
 そもそも、今回、観る気はなかった。カムカムを最初に観た『両面睨み節〜相四つで水入り』(2019年、座・高円寺1)が、台詞がやたら速く、内容も今一つ理解もできず話についていけないまま、申し訳ないが、客席でこくりこくり寝てしまったのだ。正直、辛いひとときであった。

 その時に思ったのは、大学生の10代か20代で立ち上げた劇団。その頃は若さに任せて速さと勢いで突っ走るのが売りだったのだろう。ファンも若かったに違いない。ただ、30年も経てば劇団員は若手がどんどん入ってくるだろうが(それだけ劇団が続くのは素晴らしい)、メーンの役者は年を取るし、見続けるファンも年を取る。
 その時点で、劇団の中心メンバー、松村武も八嶋も五十路目の前。若い劇団員はともかく、おじさん(すみません!)役者が若手の元気や勢いに合わせて動き回るのは辛そうにも(勝手に)感じた。このまま続けていくのか? でも、こういうのを好きな人もいるんだろう。
 Wikiによると「ハイテンションでテンポのよい笑いで壮大な物語へと観客を連れ去る独特の作風と、 演劇ならではの表現にこだわったダイナミックな演出に定評がある」(←なんと劇団の公式サイトに「※Wikipediaより引用」で、こう書かれている)だそうだ。やはり、速いのだ。

ちなみに『ときじく』公式サイトの筋は↓↓↓

 ちなみに『ときじく』公式サイト掲載の筋は

 紀元前221年、圧倒的な野望の力で戦国の中華をついに統一した秦の始皇帝は、死を間近にして、東海の彼方に浮かぶという神仙の霊山に不老不死の夢を抱き、奇跡の果実を探そうとする。
 命を受けた方士ジョフツは三千人の童男童女を従え、歴史的大移民船団を仕立てて東の海へ漕ぎ出し、大航海の末、ついに日本の富士山麓にて不老不死の実『ときじくのかくのこのみ』を見つけ出したか、そうでないのか。その後、ジョフツは秦に帰ることなく日本に居座り、始皇帝は巨大墳墓の建造半ばで命果て、やがて秦はあっけなく崩壊する。

 火を噴く古代富士山にまとわりつく、不老不死の伝説。
 一方でその麓には、老いた命が捨て去られるという、帰らずの樹海の森が生い茂る。

 消えぬ命と消える命。

 謎めいた不死の山一帯には、時を越えて、命のやり取りがなされる不思議な時空の洞穴が今も存在する。

 その恐ろしき吸引力が、いつの時代も、童男童女達を奇しき哀しき運命に誘うのだ。

カムカムミニキーナ『ときじく ~富士山麓鸚鵡鳴~』公式サイトより

台詞やテーマが頭に入ってきた(!!)

 しかし、今回は、観てよかったと素直に思った。要点は以下。

・前に一回観たカムカムは、台詞や動きが速くてついていけず、正直寝た。このため、自分には合わない劇団かもと苦手意識を持って敬遠気味だったが、今回はきちんと台詞の内容が(自分は)頭に入った。

 
それが、
①台詞回しを少し遅くしたためか(演出)
②台詞のひとつひとつを「わかりやすくしたのか」(台本)
③そもそもの物語の筋を「わかりやすくしたのか」(台本)
 の、どの要因かはわからない。
 
ただ、神がかり的な台詞(ちとわかりにくい)は少なかった(=②)。また、入りは日本の歴史「姥捨て山」、続くテーマは秦の始皇帝。今時の「老い」のテーマで、かつ映画『楢山節考』(1983、今村昌平監督)を観ているものとしては“オマージュ”(?)だらけだったので、大変として入りやすいし、始皇帝もなんとなくイメージがある(=③)。
 なので、②③の効果、試みは少なからず自分の観劇にプラスに影響したと思う。特に展開が速い芝居なので、そもそもの筋がわからないと、なかなか世界に入れない。完全な幻想劇ならそれはそれだが。

しなやかに動き続け、主役かつ舞台装置となる役者たち

役者たちは常にしなやかに動いている、身体をくねらせ、腰を落とし、手足を曲げ、動き続けている。誰もさぼっていない。動いていない人は裏手に引っ込んでいる(多分)。 
舞台装置はシンプル。後ろに大きくそびえる富士山と、舞台上の立体舞台(船の帆先のように手前がつきだした船形。「逆さ富士」も兼ねているか)がメーン。
・そのメーンのシンプルな舞台装置に寄り添うのは、動き続ける役者たちが作る舞台装置。棒や紐、布、(紙の?)平たい板などを数人で並んでくっつけたり離したり、で、波や動く船、住居、土の中の何か、といったものを表現。同時に、小さな楽器を脇で演奏し、効果音を奏でる。
・それぞれの役者が出てきた瞬間にその場面の主役となり、次の瞬間には、脇で人間舞台装置や人間楽器になっている。
・そう、ほとんどの役者が、舞台中央に立ちスポットライトを浴びる瞬間、その都度その都度主役に見えたのだ。それでも、物語は分解しなかった。それは台本と演出の力だろう。ひとりひとりのキャラがきちんと立ち、その葛藤や逡巡が伝わってきたからこそ、最後まで引き込まれた。
 特に、ジョフツの苦悩とそれでもくじけないまっすぐな思い、対する“悪役”カラスのどろどろの思いが際立った。

役者はアスリートだが、物語を伝えるために動き、踊る

 改めて確認した。役者はアスリートであり、踊り手である。ただし、踊る身体を見せつけるために動き踊るのは出なく、あくまで、物語を伝えるために動き、踊る。

劇団だからこそ成し得る息の合った「伝える思い」

・上記の動作、息が合って「意味を成している」。ひとりひとりの身体は軽業師のように柔軟だが(よく鍛えている)、その技を見せつけるのではなく、物語の雰囲気を伝えるためにその柔軟な身体を使い、かつ、仲間たちと息を合わせている。「伝えよう」という、役者たちの思いが客席に流れ込んでくる。たとえば、劇団新感線の役者たち(主にアンサンブル)も走り回っていて「身体能力凄い!!」なんだが、それとは違う。あれは人間が動き回っている様子を表現している(それはそれで素晴らしい)。こちらは、人間舞台装置兼案内人なのだ。
 客を引き込むために、余計な考えを起こさせないために、全体の世界観を壊さないように舞台を、役者たちで丁寧に作っていた。
・息が合っていないと、瞬時にハーモニーが崩れる。これがユニットでは困難で、長時間一緒に過ごし共通言語と身体を分かち合う劇団でないとまず無理。

でも「台詞速い……」の声もやはりある

 ああ、ここまでみんなで作りあげた世界、コロナで大阪公演中止、東京公演初日延期は誠にもったいない。作りあげたこの世界を、見せたいだろうな。
 そんな思いを、カーテンコールからも感じた。
 そして、隣の人とも「面白かったね」と話した直後、その隣から「台詞が速すぎて……」の声。かくも、個人で感じ方は違うのだと、再び思い知る。
 しかし、自分的には、おススメの芝居であった。

※8/8追記 後から、今回自分が満足した理由がまた沸き上がった。
1.「いそじん」という、出てくると必ず笑いを誘うキャラが、中盤以降しばしば登場する。つい顔の表情が緩む。自分にはツボ。芝居の中に、笑いを誘う設定は重要と再確認した(もちろん、その笑いが性に合わず、笑いの強制に感じる人もいよう)。
2.八嶋智人が一番顔が売れていると思うが、その八嶋をあえて主役にせず脇固めに置いた(時折、スポットライトがあたり、都度都度場面の主役にはなったが)。芸達者の八嶋が脇を支えることで、周囲の人々、特に若手役者の存在感が上手く浮かび上がった。八嶋は同時に、1.の出てくると笑いをとるキャラ「いそじん」の“片腕”となった。全体の主役ではないが、常に視線を集め笑いをとる立場に八嶋を置くことで、八嶋をずっと楽しめる。上手い使い方と思う。
3.役者たちの動きの中でも、仮面の付け外しがスムースで、ストーリーが途切れなかった(逆にかすかな“失敗”がわかるほどに)。よく訓練されていると思った。
4.楽器・銅鑼(どら)による音楽効果。中国の雰囲気、ひいては、京劇の雰囲気も醸し出し、物語の奥行きを深めた。


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