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『パラサイト 半地下の家族』ストーリー解析② 主人公ギウの抱いた夢

『パラサイト 半地下の家族』のストーリー構造を分析するために、物語の最重要人物である主人公キム・ギウがどのようなキャラクターであったのかを確認してみましょう。
おしなべて物語は、主人公がいかなる変化を遂げるのかを描くものです。

そもそも主人公は本当にギウでいいの? クレジットやポスターでは父ギテクのほうが中心に見えるけど? と感じる方もいらっしゃるかもしれません。
たしかに、ギウを演じたチェ・ウシクはクレジット順において2番目となっていますが、これはギテクを演じた韓国の偉大な俳優ソン・ガンホに対する表敬であると捉えるべきでしょう。(一般的に韓国ではそうした「序列」について厳格であると聞きます)

物語の流れを詳細に見ていけば本作の主人公は明確にギウであり、本稿とこれに続く分析を読んでいただくことで、ある程度納得していただけるという確信を持っております。

※ 以下ネタバレを含みますのでご注意ください。




キャラクターの特性

ギウの人物設定を分析するうえで、まずは目につく彼の特性を列挙してみましょう。

四度にわたって大学受験を失敗した浪人生
・現役大学生を上回る英語学力と指導能力
家族との強い繋がり(父母への敬意・妹ギジョンとのコンビ)
・酔っぱらいの立小便を注意できない気弱さ、非力さ

・状況に応じた対処をとれる判断力
・計画外のアクシデントに弱い、硬直的な思考

上の4つについては、作中でも非常にわかりやすく描かれていたと思います。
彼の最大の強みは知性であり、高い英語学力もその裏づけとなっています。
逆に弱点は肉体的な非力さで、たかだか数キロ程度の水石を持ち上げただけでもふらつくほどです。(兵役期間は相当苦労したはず)

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興味深いのは下2つ、「状況に応じた判断力」がありながら「計画外のアクシデントに弱い」という、一見すると相反するような特性です。
作中でのエピソードをピックアップして確認していきましょう。


柔軟な判断力→「勢い」

物語最序盤に描かれるピザチェーン「ピザ時代」との交渉シーンは、ギウの優れた判断力とキム一家の連携が遺憾なく発揮された場面です。

一家総出で内職したピザの箱折りですが、父ギテクの不手際で4分の1が不良品となり、ペナルティとして報酬を減額されそうになります。

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ここでギウは険悪な雰囲気になった女性社長と母チュンスクとの間に割って入り、「ピザ時代」が人手不足に苦しんでいることを指摘、自分がアルバイトとして手伝うことを提案します。

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従業員確保の必要性に加え、ギジョンの加勢とチュンスクの無言の圧力も受け、社長はペナルティと引き換えにギウの面接を約束することとなります。(後にこの社長が一家に冷たい態度なのは、より高額な家庭教師の口を確保したギウが面接をすっぽかしたためでもあるだろうか)


また、家庭教師の初回としてパク邸に出向いたシーンにおいても、ギウはとっさの判断で妹ギジョンの身分を偽装しダソンの絵画教師として送り込むことを思いついています。

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こうした柔軟な判断力をその場の状況に応じて発揮することを、ギウは「勢い」と呼んでおり、ダヘに対する初回の指導の中でも真剣な表情で語っています。

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「勢い」は、ギウの長い受験生活の経験から培われた能力であるのは間違いありません。
そしてそれを最重要視する彼の態度から、度重なる受験失敗の理由と「アクシデントに弱い」という本来の性格を観客は窺い知ることができるのです。


渦巻くコンプレックスと憧れ

ギウが四度にわたり受験に失敗しているのは、想定外の事態に直面するたびに激しく動揺してしまうからに違いありません。
初回の指導において解けない難問にこだわるダヘの動揺をすぐに見抜くことができたのは、ギウ自身がまったく同じ経験をし、手痛い失敗を繰り返してきているからなのです。

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十分な学力を持ちながら度胸不足による失敗を繰り返し、そのことがさらにギウから自信を奪うことになっています。
致命的なほどの小心さは、自身の肉体的な貧弱さ、予備校に通うことも許されない家庭の経済力の低さと綯い交ぜになって、彼の内側でコンプレックスとして渦巻いている。

そして「弱さ」という劣等感に苦しむギウが眩しく見上げる対象が、友人である大学生ミニョクです。

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ギウを含むキム一家の態度から推察できるのは、ミニョクがギウのかなり親しい友人であるということ、つまりは幼馴染のようなものであろうということです。(普段は金持ちに辛辣なギジョンでさえミニョクに対しては柔らかな態度に見える)
かつては親友と言える付き合いであったのかもしれません。

おそらくは同い年、背格好もそこまで変わらない二人ですが、ギウからすればミニョクは自分にないもの全てを持ち合わせているように見えていることでしょう。
ギウが入学を切望しているヨンセ大学の現役学生で、士官学校出の祖父もいる裕福な実家、常に背筋を伸ばした力強い態度、そして物語序盤に見られたように、絡んできた酔っぱらいを一喝して撃退するほどの自信に満ち溢れています。

家族は口々にミニョクを褒め、比較対象としてのギウを下に見ます。

「おまえの友達は迫力がある」
「大学生は勢いが違うね」
「兄さんとは違う」

こうした比較による序列を、物語開始時点のギウは甘んじて受容していました。
はっきりとそれがわかるのは、酒屋の表で二人が酒を酌み交わすシーンの構図です。

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ミニョクのコップが空けばギウはすかさず酒を注ぎ、自分には手酌で済ませる。(一般に韓国では、手酌はマナー違反として忌避されることが多い。日本よりもその度合いは強い)
また、この作品において栄達の象徴である階段を背負った席に座るミニョクも、こうしたギウの態度を当然のもののように受け容れている。

それもそのはず、ミニョクはギウの卑屈さ弱さを理解しているからこそ、想い人であるダヘの家庭教師を託す気になったわけなのですから。
そこにあるのは、こいつなら絶対にダヘに手を出したりはしないだろうという侮り(≒信頼)です。

しかしミニョクにも見逃しているものがありました。
彼に対してギウが抱いている強烈な羨望、そしてそれが高じた結果の、ミニョクのように強くありたい、いやいっそミニョクそのものになってしまいたいという、常人離れしたギウの理想────夢です。


「ミニョク」になる

パク邸に家庭教師として入り込むことになったギウは、徹底してミニョクになろうと努力します。
しかし学力はともかく、肉体的な力や実家の財力などは一朝一夕に身につくものではありません。

そこで彼がとった方策は、「ふりをする」(=pretend)ということでした。これもまさにミニョク自身から授けられた作戦であり、パク家の人々の無警戒さもあって素晴らしい成果を上げます。
「ミニョク」として振る舞うギウは、家庭教師としてミニョク以上の評価と報酬を受け、そして早々とダヘからの愛情をも獲得してしまいます。

ギウが執着するのは「ミニョク」を演じ続けることと、それによってミニョクを上回ることです。

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だからこそ彼は家族の前ですらミニョクの口ぶりを真似てダヘと結婚する計画を口にし、より詳細な「ミニョク」になるためにダヘの日記を盗み読むのです。(日記の盗み読みには、ミニョクに対して自分の「成果」が上回っているかの確認もあるはず)

ギウの「ミニョク」に対する執着は彼の内部に閉じ込められていたものであったために、第二幕後半でパク邸からほうほうの体で脱出したあと「こんなときミニョクならどうしただろう」などという、ギテクやギジョンにとっては意味不明なことを口走って困惑されています。

ギウが「ミニョク」を演じるのは単純なエゴイズムからばかりではなく、それが最愛の家族を助け、彼らからの尊敬を得ることに繋がると彼が思い込んでいるために、このような齟齬が生じているのです。


水石=ギウの力と夢

力を得たい、ミニョクになりたいというギウの夢は、どうしたことか他ならぬミニョク自身によって叶えられたものでした。その実現された夢(=力)はギウの中で、同時に下賜された水石と同一視され混同されています。
物語序盤では何も言えなかった酔っぱらい相手に、ギウが水石で立ち向かおうとする過剰反応がその証拠と言えるでしょう。

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ギウにとっては、ミニョクから授けられた水石こそが力の根源であり、自身の夢を象徴しているものなのです。

物語後半、水没した自宅からギウが水石を優先的に持ち出す理由もここにあります。

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自分の夢が、愛する家族を徹底的に打ちのめし、破滅させ、不幸をもたらすことを理解していながら、ギウは決してそれを手放すことができない。
力と夢を失えば、ギウはもはや「ミニョク」ではなく、それどころかかつてのギウ自身ですらなくなってしまうのです。

この夢への葛藤と執着をもって、ギウは「石が僕にへばり付くんです」と父親に語りながら涙を浮かべるのです。

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そしてギウは、自分の夢がもたらしたこの不始末の「責任を取る」ために夢を抱えて地下室に向かい、夢は彼を裏切るように手から滑り落ち、他人に渡って逆に彼を打ちのめし、最愛の家族をあらゆる意味で引き裂く、あまりにも残酷で非情な結末に直面することとなります。


夢と現実、認識の反転

母チュンスク以外の全てを失ったギウは、彼の夢によって引き起こされた現実を正常に認識することができません。
それでもただ一つ、彼が常に敬愛し続けていた父ギテクがいまだに旧パク邸の地下で虫のように隠れ住んでいるという、非現実的な事実だけは現実として受け止めます。

これはギウの願望が認識を歪めているのか、それとも損傷した脳が見せる幻覚なのか、あるいは単純に真実なのか、物語は明確な答えを与えてくれません。

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確かなことは、どのようなかたちにしろ彼が水石=夢を手放したことであり、ひどく物悲しく、やる瀬なく、空虚にすら思えるギウの決意によって物語に幕が引かれたという、ただそのことだけなのです。




主人公ギウについての考察は以上です。
次回は『パラサイト 半地下の家族』のヒロイン的な位置づけにある二人について書いてみようかと考えております。

よろしければご意見・ご感想など、ご遠慮なくお聞かせください。
お待ちしております。

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