本気を出さなければ「私は神字書きかもしれない♡」という夢の中にいられた
【本気の二次創作ってしたことある?】
文章を書くのが大好きだ。
いいお話を書きたいという、野心も持っている。
だからこそ。本気を出すのが、怖い。
本気を出した結果、仕上がった話が、ものすごい、へたくそだったらどうする?
【思い上がり……?】
かつて私は、自分は文章がうまいと思っていた。
作文を褒められたし、国語の成績もよかった。自分には文才があると信じていた。
中3の時。学年主任の国語教諭が言った。
「みんなと同じくらいの頃。学習教材の小説コンテストで賞を取って……。あの時は、自分には才能があると思ったけど……あれは、若さゆえの思い上がりだったな」
と。
【初めての"ちゃんとした"小説で、自分の文才の無さにおののく】
高校生になり、私は創作を始めた。
最初はルーズリーフ小説。クラスメイト主演(?)のコメディ小説だった。
箸が転がるのも楽しいお年頃。友人はおもしろいと言った。
高校2年生の終わりに、私は個人サイトを作り、二次創作を始めた。
短いお話を書いて、アップした。
二次創作には不思議な魔法がある。
オタクは、推し同士が会話をしているだけで、萌えてしまう生き物だ。私は、自分の書いた文章にとても萌えた。
だから、自分は天才なのだと思った。
高校3年生になった時。
文藝部の部員が足りず、廃部になるかもしれないという噂を聞きつけ、ノリで入部した。
せっかく入部したので、部誌に載せるための小説を書いた。
そして、私の思い上がりは、終わる。
今、読んでみると。
当時の年齢にしてはよく書けた文章だし。テーマもわかりやすく、仕上がりとしては悪くない。
だけど、当時の私は。
島本理生みたいに、なりたいと思ってた。
いや、なれるはずだと思い込んでいた。
(そう信じたかったからこそ、彼女の本を読んだことがなかった)
【いや……あれは、本気を出していなかったからだし。私は、まだ、文才を発揮してないだけだし……】
高校を卒業し、資格を取るための学校に進学した私は、文藝部を立ち上げ、書くことを続けた。
活動期間は約2年。
公募型歌集に入選するなど、うれしいできごともあった。
しかし、あいかわらず、短くて、つたない小説しか書けなかったし。同人活動も、個人サイトに引きこもったまま、ひっそり活動していた。
さすがに、この頃になると、自分の苦手が見えてくる。
「構成」が弱い。「情景描写」を疎かにしている。「メタファー」へのこだわりが強すぎるあまり、文章の意味が伝わりにくい。「心情描写」に対する根拠がない。
場面切り取り型の1000~3000字程度のSSであれば、あらが目立たないが、それを超える文章は書けない。
一つの場面。あるいは、一つの感情。
私には、それしか扱えない。
……そもそも、それ以上のものを、扱ったことがなかった。
そう……私はまだ、複雑な小説を扱ったことがない……
つまり……私は、まだ……!! 本気を出して小説を書いていない……!!
自尊心を保ちながら、この状況を、受け入れるために……私は、
「一つ一つの単語へのこだわりが強いから、短い作品でもすごく意味のあるものを書いている」
「実習とかあって、忙しいから、長編とか書くの無理だけど。書いたらたぶんうまいと思う」
という、防衛機制を取った。
【理想を低く持て】
その後、社会人になって、メンタルを盛大に病む。
本気とか、本気じゃないとか、それ以前に、書くことをやめた。
やがて、元気を取り戻し。仕事に打ち込む日々。
ある日。職場の大先輩から「理想は低く持て」という言葉を教えてもらう。
これは、鶴見俊輔という人の考えで
「理想を高く掲げすぎると、現実とのギャップに絶望し、行動をしなくなる。だったら、理想を低いところに置き、少しずつでも行動すべきだ」
というような意味らしい(伝聞)
私は、これを、自身の行動指針とした。
この言葉を知った、少しあと。
どうしようもなく二次創作したいCPができ、私は、キーボードをたたき始めた。
だから
「理想は低く持て」
書くときにも、この言葉を意識するようになった。
【限界を知る。私は神字書きなんかじゃない。だけど、本気を出したときの私の文章は、めっちゃいい(私比)!!】
同人を再開をして、半年あまり。
私は、人生初のサークル参加を果たす。
初めて作る同人誌。
「憧憬が恋心に変わり、それが性欲と結びつく瞬間」
という、わりと、難しいテーマの小説を書いた。
かつての私だったら、絶対に書かなかっただろうお話。
だって、これを書き上げるためには。
「構成」「情景描写」「メタファー」「心情描写」に関する苦手と向き合わなければならない。
しかし、それは。
「島本理生」になるよりも、はるかに現実的だった。
完璧でなくてもいい。これらに気をつけながら書けば、きっと、いい話が書けるはずだ(私比で)。
そして、書き上げた、おおよそ3万字ほどの同人小説は、私史上最高傑作になった。
【そうはいっても……いつでも本気というのは、高すぎる理想なのです】
創作BLへの挑戦や、ジャンル替えを経て、私の第二次・同人活動期も4年になる。
4年続けると自分の傾向が見えてくる。
私の場合。本気の創作は年に1~2回が限界らしい。
あくまで、二次創作は趣味だ。好きなことを好きなように、ブロークンな日本語でつづりたい夜もある。
だから、ふだんは、楽しめる範囲で。苦しくなり過ぎない程度の創作を。
すべての創作を本気で行うなんて。そんな、高すぎる理想に縛られては、なにも書けなくなってしまう。
【私は神字書きではないが。楽しそうな字書きになった】
神字書きかもしれないという、思い上がりは消え失せ。
私は、私の書けるものだけを書くようになった。
理想を低く掲げ、少しずつ、努力をする(苦手にチャレンジしたり、文章術の本を読んだり……)。
結果的に、書けるものの種類が増え、書くペースも上がった。
そして、なにより。
本気を出して書いた作品は、私の宝物になった。
悲しいことに。本気で書くたびに、私は自分が神字書ではないことを認識する。
しかし、私は、楽しい書き手ライフを送っている。
明日、神字書きになれなくても。
昨日までの自分が、絶対に思いつかなかったような、一文を。今日、作品の中に一つでもねじ込めたら、それでいい。
だから。
あの頃、見てた「私は神字書きかもしれない」という夢は、実は悪夢だったのかもしれない……って思うんだ。
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