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『経年美化』

「経年美化としてこうやって楽しめる、ずーーっと……」

 この言葉をさらりと口にした、魅力あふれるそのヒトは、もうこの世にいない。でも、そのヒトがこの世界に放ったこの言葉を、そのまま聞き流すことは出来なかった。
 漆の碗を手に、時を重ねるごとに風合を増すそれに愛着が湧いてくると、三浦春馬さんは笑った。

『経年美化…経年美化……』
 何度も心の中で呟いてみた。

 広辞苑にも載っていない。でも聞いた瞬間にスッと自分の中に染み込んでくる。頭の中でこの言葉だけが反響する。
 そんな珍しい体験を昨日した。

 悲しい。

 悔しい。

 何で…を繰り返した、あの日からついこの間まで。


 noteというアプリを知ったのは、TVでBKBさんのショートショートの紹介をしていた時だった。文章を書くのが好きな私は、このnoteがしっくり、ピッタリハマった。TVで知った瞬間からコレ!と思った。
 知ったのは7/15あたりだったろうか。ある記念日と同日の7/21からnoteを始めようと心に決めていた。しかし、18日に三浦春馬さん自殺のニュースを知り、衝撃が大き過ぎて、思考回路が停止。彼の映画やドラマを観ていた、特別なファンであったわけではなく、ただ彼の名前と何となく顔を知っているだけだった。それでも数日、彼が亡くなったという度でかいショックを抱えながら、過ごした。
 亡くなって知る、同じ時代に生きた人間の魅力。

 経年美化。三浦春馬さんこそが、そういう生き方をしてきただろうし、これからもその言葉がピッタリな、美しい変化をしていったろうに。
…変化しようがないじゃない。

 番組を観ても疑問と残念な想いだけが込み上げてくるので、録画したものを観れずにいた。そして、やっと昨日、観る気持ちが湧いて8/27放送の『世界はほしいモノにあふれている』を観た。そしてこの言葉に出会えた。

 車を走らせれば、両サイドの田んぼの稲が、黄金色から黄色味を増して、収穫寸前のような色に変化した事に気付く。
 朝とはまた違って、夕方になってアオからアカへ色味を変えた空。
 一日一日、一刻一刻と過ぎていく事が、楽しめる気がした。いろんな意味で、楽しまなきゃ。
 自然界のものは、ただそれだけで時の少しの変化で美化していくような気がして、過ぎる事、経過を楽しめるのもまた人間の務めのようにも感じる。



 彼のDVDを購入した。
 言葉を大事にして話す。意味を考え、表現するように歌う。対面した相手を癒すように笑い、その合間に呼吸する。真剣そのもので、逃げ出す弱さや逃げ出す強さ…その他諸々、、何も見当たらない。逃げ出す必要がないくらい、強さ、弱さ云々…何よりも才能や魅力に溢れている。



追悼。

 毎日毎日考えるうち、彼の自殺を信じなくなった。
 ただ、知り得る現実だけを、受けとめる。

 彼が亡くなって悲しい、ただそれだけだ。

 美化を重ねて生きるヒトが放つ『経年美化』という言葉。そして経年そのものが不可能、彼がどこにもいなくなったという現実。

 それを一瞬のうちに脳のどこかで解釈し、私の心に突き刺さった。そしてじんわりと広がって、私の心を包む。包まれている。今も、これからも。
 この素敵な言葉と私は共に生きていく。

 変わる事を恐れない。恐れないためには、謙虚さやコツコツ努力が必要だと思うが、居なくなった彼はきっとそういう生き方をし、そういう生き方をしようと志したと思うから。
 見えない、美しいままの彼に感謝を伝え続けて、必ず、最期まで、生きていく。


 

 

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