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介護私記 旅立ちは眠るように20230423

 2023年4月23日午後4時35分ごろ 私の祖母は旅立った。記録としてここに書いておきたい。この日は午前5時ごろから下顎呼吸という状態になり12時を過ぎると手足は冷たくなり始めていた。
 午後2時にいつものヘルパーさんが来てオムツ交換をしてくださる予定だったが、状態を見るや看護ステーションへの電話を勧められた。ヘルパーさん曰く下顎呼吸の状態になってから大体24時間で亡くなるケースが多いそうだ。なんとなく終わりが近いと感じていたがついに来てしまったという感じがした。看護ステーションからは何もせず見守るだけでいいというアドバイスをもらい家族全員でベットの側で最後の時間を過ごすことを決めた。ヘルパーさんは今日は何もしていないという理由で作業内容を書かずに家を後にした。
 午後3時には今まで2秒に1回動いていた顎が5秒に1回になり、ゆっくりと力尽きようとしているのが目に見えてわかった。身体はもう、首筋まで冷たくなっていた。ペンライトを当てても瞳の瞳孔も動かなかった。午後4時30分ごろ顎が動かなくなり、5分間動かなかったため看護ステーションに電話をして医師看護師各一名ずつに来てもらった。
 医師には死亡診断書を、看護師には体のケアと服の着せ替え(家族が最後に着せたい思い出の服)を家族と一緒に手伝ってもらいながら行った。まず死亡を確認し、その場で記入すぐに死亡診断書は出来上がった。この時点で医師は去る。
 あとは看護師と家族で身体の清掃、背中の褥瘡の処置、足の処置、着替え、洗髪、化粧の順番で行った。一番大変なのは着替えだった。身体は固まり始めていて脱がせるのも着せるのも大変だった。身体を横向きにし、肩と膝を持って支えている私の手には冷たさが伝わってきた。今まで幾度となく触れている祖母の体も、何か別のもののように感じていた。全てが終わると午後8時を回っていた。呼んだのが5時で終わったのが8時。途方も長く感じたあの時がたった3時間だとは思えなかった。看護師は最後に幸せな最後だったと優しい言葉をかけてくれた。
 簡単な食事を済ませ。午後9時今から葬儀社が来て遺体にドライアイスをセットし、葬儀のプランについて説明を受けた。諸々の説明を受け費用の概算は大体100万程度とのこと。この日は細部まで詰めずに翌日に持ち越しへ。長い1日が終わった。

最後に
 今でもほんとに幸せな最後なのかと疑う自分がいる。この気持ちの正体は、もっと何かしてあげられたんではないだろうか思いということにしておきたい。看護の仕事をしに家にきてくれた看護師の言葉を信じることにする。私は そんなこと考えたってどうしようも無いだろって ことを考えるのが趣味のようだが、この事に関しては考えることをやめた。
 祖母の唇に筆でルージュの塗り広げていくと、私にはその顔は安らかに眠る幸せな顔に見えてしかたなかった。
 
 
 

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