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【感想文】芥川龍之介『玄鶴山房』

久々にnoteを開きました。まずはあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。ながらく文章を書いていないので、うまく書ける自信がこれっぽちもないです。がんばります。

今回は芥川龍之介作の短編集『玄鶴山房(1978)』の感想文です。本書は短編集で、他には晩年の頃に書かれた『歯車』なども同本に含まれています。最近なんだか「自分のアタマでちゃんと考える」ことをしたくて、近現代小説(特に戦後昭和時代)に興味を持ちはじめました。近年の大衆小説もじゅうぶん面白いのですが、読みやすいからサラサラと読んでしまう。それと比べると、壮絶な過去を生き抜いてきた文豪達の物語は奥が深い。今回はダーク描写で有名な、芥川龍之介の短編集の感想文です。

ざっくりあらすじ

主要人物である老人堀越玄鶴と、その家族らが住む「玄鶴山房」のお話。物語はすべて「玄鶴山房」という屋敷の中で完結し、その中に住む家族の人間関係に焦点が当てられています。同じ屋根の下には玄鶴の愛人がいたり、看護師がいたりと、複雑な関係上、人間臭い利己心や嫉妬心が垣間見ることができます。これも芥川の巧妙な場面設定のおかげなのでしょう。

玄鶴:家の主人。肺結核を持つ。隔離された「離れ」で寝たきり生活。
お鳥:玄鶴の妻。腰を痛めている。玄鶴同様、寝たきり。
お鈴:玄鶴の娘。
重吉:お鈴の夫。銀行勤め。
お松:女中(召使い)
武夫:お鈴&重吉の一人息子。小1。
甲野さん:玄鶴の看護師。
お芳:4,5年前に働いていた元女中。玄鶴の妾(=愛人)。
文太郎:玄鶴と愛人お芳の間でできた息子。

人間臭い

この小説はとにかく「人間臭い」。特に注目すべきは、看護師の甲野さんです。彼女は玄鶴の家族ではなく、彼の看護師として同じ家に住み込んでいます。そのため、悲惨な家族事情を外部者として傍観できる立場にいます。そんな彼女の言動がとにかくサイコパス。彼女は家族内で問題が起こるたび、その悲劇を側から楽しんでいるのです。

そんなゾッとするような甲野さんの言動ですが、彼女の内なる感情をのぞいて見ると、それは私たちの感情からそこまでかけ離れたものではないことに気づきます。今回はそんな甲野さんの感情をのぞいてみます。

自分より優れた者に対する「嫉妬心」

甲野さんの「病的な言動」の原動力の一つとして、お鈴&重吉夫婦に対する嫉妬心が挙げられます。お鈴は家の家主(玄鶴)の娘であり、また「甲野さん」が世話をしている病人です。玄鶴はもともとお金をかなり持っており、したがってその娘であるお鈴、また結婚相手の重吉は経済的に余裕のある生活をしています。そんな「富裕層」である夫婦に、甲野さんは嫉妬を隠せません。

「お鈴は彼女には「お嬢様」だった。重吉もー重吉はとにかく世間並みに出来上った男に違いなかった。...こういう彼らの幸福は彼女には殆ど不正だった」

例として、物語では甲野さんはこの夫婦の仲を乱そうと、夫である重吉に「好意あるフリ」をします。結果、お鈴の母であるお鳥はこの様子を見て、重吉に「お鈴では物足りんのか」ときつく当たることになります。甲野さんはこの状況を見て、心の中でほくそ笑むのです。また、重吉のよそよそしくなる態度を見て、「自分のことがそんな魅力的な男性だと思っているのかしら笑」と心の中で蔑みます(こわい)。このように、夫婦を自分より「下」であると認識することによって、どうにか自分の心を正そうとしているのです。

なぜ彼女はこのような病的とも言える嫉妬心を持ち合わせているのか。きっと誰しも嫉妬心を感じたことがあると思いますが、嫉妬心は自分が欲しいけど手に入らないものを、他人が持っている時に感じる劣等感から生じるものです。つまり、人間自分に自信と優越感があれば、他人に嫉妬するようなこともないのです。

「甲野は職業がら、冷ややかにこのありふれた家族的悲劇を眺めていた、ーというよりもむしろ享楽していた。彼女の過去は暗いものだった......この過去はいつか彼女の心に他人の苦痛を享楽する病的な興味を植え付けていた」

甲野さんも例外ではなく、彼女の過去は相当暗買ったことが伺えます。それと比べると、お鈴夫婦の生活は彼女にとって余裕のある裕福な暮らしだったのでしょう。

人の苦しみを楽しむ「快楽心」

甲野さんの感じる嫉妬心とついて回るのが「他人の苦しみを楽しむ」姿です。嫉妬心で溢れた人間の心を癒すのに、他人の苦しみほど甘い蜜はありません。

例として、物語ではお鈴&重吉の一人息子である「武夫」と、玄鶴&愛人の間で生まれた文太郎が喧嘩する場面があります(ややこしい)。言ってしまえば、立場の強い一人息子と、愛人の間で生まれた立場の弱い息子同士の喧嘩です。

「内心には冷笑を浮かべていた。が、勿論そんな素ぶりは決して顔色に見せたことはなかった」

表では2人の喧嘩を必死に止めようとする甲野さんですが、内心ではニヤリ、です。この感情と行動の不一致が鮮明に描かれているからこわいのです。甲野さんたる人物を知らない人だったら「こわい」で終わりますが、前述したように彼女にはなにかしらの暗い過去からついて回る「劣等感」があるはずです。相当嫌な過去なのでしょう。

自分に対する劣等感、お鈴夫婦への嫉妬、子供たちの暴力(=苦しみ)への喜び。これらの複雑な交わった感情はすべて彼女の暗い過去という一つの場所から生じているのです。

本書からみる芥川の視点

甲野さんのこのような言動から紐解くと、芥川本人の他者に対する関わり方を垣間見ることができます。甲野さんは前述したとおり、根っこからの悪い人ではなく、彼女なりに暗い過去を背負い、それに押されて劣等感や嫉妬心という、人間くさい感情を持ち合わせていることがわかります。このような甲野さんを見ると、彼女を真っ向から批判するのはなかなか難しいのではないのでしょうか。

では、家族内で起こる複雑ないざこざ問題は、一体誰が悪いのか。誰を責めることができるのか。本記事では触れていませんが、ほかの登場人物も甲野さん同様、さまざまな感情を持ち合わせた人間がそれぞれ利己的に動く姿が描かれています。そんな姿を見ると、なんだか人間ってどうしようも救いがたく、哀れで不器用な生き物に見えてきます。このような諦め、諦観した考え方は、芥川が自殺前に見ていた世界そのものなのでしょう。

最後に

芥川龍之介の本は『羅生門』以来読んでおらず、また晩年に近い作品はもっと「死」を感じるような物語なのかなと思い、今回はあえて彼の晩年の頃(彼の自殺半年前)に書かれた本を手に取りました。予想通り、読み終えた後はまあまあ胸くそわるかったです。笑 昔は太宰治が好きでよく読んでいたのですが、同じような「人間なんてどうせ」精神を感じました。村上春樹の本に出会ってから、なんだか自分の感受性も変わったなあ、と思ってみたり。今度は違うジャンルを手に取ってみます。

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