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【読書感想文】 痴人の愛

世の中には、あらゆる男を手のひらで転がす「悪女」たるものが存在します。その「悪女」の中でも、谷崎潤一郎作『痴人の愛』(1924)に登場する23歳の女・ナオミは軍の抜いて悪名高いと言っていいでしょう。そんな彼女の魅力にとりつかれたあわれな男・譲治の物語です。

ざっくりあらすじ

ナオミ(23歳)という一人の女に翻弄される様子を、主人公譲治(36歳)が過去を想起しながら語る。出会いは8年前。浅草のカフェで働いていたナオミに惹かれ、「イマドキの、ハイカラで上品な、教養ある女性に仕立て上げよう」とにらんだ譲治が彼女を引き取り、一緒に生活するところから物語ははじまる。最初は純粋無垢でおとなしく、何でも従うナオミだったが、歳を重ねるにつれ娼婦のような大胆な妖艶さを身につけ、次第にあらゆる男を振りまわす「悪女」へと化けていく。

愛を超えた執着心の世界

本書は、谷崎の圧倒的マゾヒズムが露呈された作品です。

マゾヒズム:相手から精神的、肉体的苦痛を与えられることによって性的満足を得る異常性欲。

とことんわがままな悪女・ナオミに翻弄される主人公ですが、それでも彼女を永遠と追い求めつづける。そんな彼の、あわれで必死な様子が描かれています。たとえば、彼のマゾさが全開になっているこちらのシーン。

「『ナオミ、ナオミ』と叫んでみたり、果ては彼女の名前を呼び続けつつ床に額をこすりつけたりしました。(...)おれは絶対無条件で彼女の前に降伏する。彼女のいうところ、欲するところ、総べてにおれは服従する」

主人公のナオミに対する、ちょっと引くほどの渾身たる執着心がうかがえます。ちなみに、これは単純に「主人公はナオミを愛しているからそういう行動に出るんでしょ」と解釈するのは少し違うように思えます。例えば、主人公がナオミと喧嘩したあとのこちらの場面。

「それは私が刺し殺しても飽き足りないほど憎い憎い淫婦の相で、頭の中へ永久に焼き付けてしまったまま、消そうとしてもいっかな消えずにいた(...)だんだんその憎らしさが底の知れない美しさに変って行くのでした」

そうなんです、主人公は別にナオミを愛していないのです。愛していないどころか、もはや「刺し殺しても飽き足りないほど憎い」なんて言ってます。そこには軽蔑を超えた、激しい憎しみの感情があらわになっているのです。にも関わらず、彼は憎らしい彼女の「美」から逃れることができない。この「美」への執拗な姿勢にこそ、愛という単純な形を超えた、究極の執着心、そして裏切られ続けても惹かれてしまうマゾヒズムの概念がうかがえます。ナオミという女、おそるべしです。

谷崎の描く美と官能

谷崎潤一郎は混沌たる大正〜戦後時代を生き抜いた文豪の1人ですが、破壊的なリアリズムを追求する自然文学派とは異なり、自らの「美」を最上とし、それを追い求めた、いわゆる芸術至上主義者です。ちょっと文学史を話すとややこしくなるのですが、わかりやすくいうと、「同じ時代を生きた芥川龍之介などの、どんよりとした暗い文学の対局として存在していた」と考えてもらうとわかりやすいと思います(現に、芥川は谷崎を批判しています)。不安と混乱が溢れる中、ただひたすら官能と美を追い求める谷崎文学は、当時の人たちにとってはどれほど輝いて見えたのか。それは私たちの想像を優に超えるものであったはずです。

個人的には、谷崎が意識して描いた「美」という単体の概念よりも、もうただただナオミという女性のキャラクターに惹かれました。自分より美しい女性に嫉妬しては人前で平気でけなし、複数の男性を本気にさせ、そして彼らを手のひらでもてあそぶナオミ。そんな彼女の姿は、まさに女に嫌われる女の代表格と言っていいでしょう。そんな「最低」な彼女ですが、常に自分という芯を持ち、周りに流されないしゃんとした強さを持つ彼女は、不思議と目が離せない魅力をも持ち合わせています。それは私自身、ナオミのような女性としての自信が足りないからかもしれません。失恋した時や、何かと自分に自信がないときにナオミになりきって読むと、自信がふっとと湧いてくるかも。「強いオンナ」が好きな方に、ぜひおすすめしたい作品です。

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