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No.25 - 自己肯定感を高めるために「努力」をする人たち


こんにちは、安斎響市です。

今日は、やたらと「自己研鑽」について語る人たちの気持ち悪さ、「読書」や「勉強」をするのが偉いと思っている人たちの気持ち悪さについて、書きます。



以前、ある読者の方から、「安斎さんはどのような自己研鑽をされておりますでしょうか?」という質問をいただいたことがあります。

私は、ちょっと戸惑いました。


自己研鑽ってなに? って。


そのときは、とりあえず「自己研鑽と呼べるようなものは特に何もやっていない」と答えました。実際、これといって何も思い浮かばなかったからです。



自己研鑽って何だろう? というと、辞書にはこのように書いています。

"自己研鑽"

自分自身のスキルや能力などを鍛えて磨きをかけること。

Weblio辞書 より



はぁ…… そうですか… という感じです。


まあ、これ、そんなに深く考えることでもないのかもしれませんが、私はこの「自己研鑽」が大好きな人たちの行動心理こそがキャリアや人生を考えるヒントになるような気がしたので、この記事を書き始めました。



ざっくりいうと、

周りから認められるため、自己肯定感を高めるために「勉強」や「読書」をするのは、もうやめませんか?

という話です。



何のために「勉強」や「読書」をするのか?


「自己研鑽」って何でしょう?

英語の勉強とか?
資格試験を受けるとか?
仕事関連の知識を身に付けるとか?
本を読むとか?


こうして見ると、私は上記すべて、日常的にやっているような気もしますが、特にそれを「自己研鑽」だとか「自己投資」だとか思ったことはありません。

20代の頃は、めちゃくちゃ語学の勉強をしまくって、膨大な時間と労力を費やして日英中のトリリンガルになりましたが、そのときでさえ、それを「自己研鑽」「自己投資」だと思ったことはありません。

ただ単に、新卒の就活で大手ホワイト企業に入社したかったので、学歴が低い自分には何か武器が必要だと思って一生懸命勉強していただけですし、大手メーカー入社後も、海外駐在という目標を叶えるために必要だったから語学スキルを磨いただけです。

特定の目的のために必要なことをやっていただけで、「自己研鑽」だと思ってやったわけではありません。


おそらく、自分がやっていることを「自己研鑽」「自己投資」と呼んでしまった時点で、それは単なる自己満足なんじゃないかと私は思います。


「自己研鑽」「自己投資」って便利な言葉ですよね。

それをやっていること自体に何か意義があるような言い方です。


でも、よく考えてみると、社会人として仕事に関連する知識を身に付けるのは当たり前のことですし、読書をするのは、別に偉いことでもなんでもありません。



私が昔いた会社の、同じ部署の先輩で、

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