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英語を話せるようになりたいなら、「単語を覚える」のはもうやめよう。


英語の勉強をしようというとき、ほとんどの人は「単語帳」から入ります。

新しい英単語の意味を覚えて、スペルを暗記して、その単語の発音を繰り返し練習して、自分が持つボキャブラリーを増やそうとします。

私自身も、その道を歩みました。
結果、失敗しました。


単語をいくら覚えたところで、そんなに意味がないということに気が付くまで何年もかかりました。
若い頃の何年もの貴重な時間を「単語帳の丸暗記」に費やしたのですが、びっくりするくらい効果は出ませんでした。悲しい黒歴史です。

今日、お話しするのは、「本気で英語を話せるようになりたいのなら、単語の暗記を今すぐやめよう」ということです。
英語をあまり思い通りに話せない段階の人が、頑張って単語を暗記してもまったく意味がないからです。

単語の勉強は早くやめた方がいい…。
じゃあ、代わりに何をすればいいのか? 他の何に努力を注げば、最短で英語を話せるようになるのか?

この記事では、それを簡潔に説明していきます。

10分程度もあれば読めるので、ぜひ最後までお付き合いください。もしかしたら、あなたの今後の英語学習がガラッと変わるかもしれません。

英語を話せなかった頃の自分


当時の私は20歳の大学生。
英語を話せるようになりたくて、なりたくて、本当に仕方がなかったです。帰国子女の同級生がめちゃくちゃ羨ましくて、もう堪らなかったです。

東北の農家の家に生まれた私は、高校を出るまで東京にさえ行ったことがありませんでした。(修学旅行で東京ディズニーランドに行きましたが、よく考えるとあれは千葉県です)
そんな私から見ると、「幼少期をNYで過ごした」なんてキラキラした生い立ちの人は、もはや雲の上の住人のように感じました。とてつもなく綺麗な発音で、流暢にぺらぺらと英語を話す様子に、嫉妬心が爆発しそうでした。というか完全に爆発していました。

その爆発のエネルギーを、私はすべて注いだのです。単語帳に。

バカなことをしていました。本当に愚かな大学生だったと思います。もっと他にやり方があっただろうと。でも、当時はそんなことは誰も教えてくれません。

本屋さんに行って「英会話」コーナーに行けば、見つかるのはTOEICの対策本か、もしくは単語帳や会話語彙集です。「TOEICを受けるにしても、まずは単語だろう」と思ってとにかく単語帳を暗記しました。何かに取り憑かれたかのように、単語帳の鬼と化しました。

その鬼の攻撃力は、ゼロでした。どこをどう探しても、金棒が見つかりませんでした。
単語を暗記するための大量のカードだけが、ひたすら机の上に溜まっていきました。

そして、鬼は気づきます。「これじゃない」と。

暗闇の中に見えた光、それは…


その発見には、明確なきっかけがありました。
あるとき、私の身に予期せぬ出来事が起こったのです。「大事件」と言ってもいいです。

大学の留学生が集まるパーティーで、ピザを食べながらワイワイと会話をしていたときのことです。
「会話をしていた」と言っても、当時の私には英語で楽しくおしゃべりをすることなど完全に無理ゲーなので、その場に座ってただ愛想笑いをしていただけです。

周りのみんなが大爆笑しているとき、一体なぜ笑っているのかさっぱり分からなかったのですが、私もとりあえず合わせて笑いました。みんなが笑うのをやめたとき、私もさりげなくやめました。そんなダサい大学生でした。

全然英語は話せないのだけれど、その場にいれば、自分も徐々に話せるようになるんじゃないか、ネイティブスピーカーの英語が聞き取れるようになるんじゃないかと思って、大学の掲示板に留学生交流イベントなどの案内があれば、その度に積極的に参加するようにしていました。

よく「英語のシャワーを浴びるのが大事」と言いますが、あれは嘘だと思いましたね。シャワーは何度も何度も大量に浴び続けているはずですが、一向に話せるようにはなりません。
どんなに浴びたところで、ただビショビショに濡れただけでまったく実になっていません。水資源のムダ遣いです。一体何なのだろう? この状況は。

そのパーティーの途中で、一筋の光が差します。

不意に、一応私にも理解できる内容の会話が聞こえてきたのです。
それは、アメリカの家庭の食卓に並ぶ調味料を置く台、通称「レイジースーザン」の話題でした。

スーザンの悪夢


レイジースーザン? おいおい、今だれかレイジースーザンと言ったな? 聞こえたぞ!!
まさか、あのレイジースーザンのことか!?

この前、単語帳で覚えたばかりの語彙だ! 間違いない! 今だ! 今なら私でも会話に入れそうなタイミングだ!!
行くぞ!! 千載一遇のチャンスだ!! 嗚呼ありがとう単語帳! おめでとう単語帳!!

そう思って、唐突なドヤ顔を炸裂させて「それなら知ってるよ! レイジースーザンだろ!?」と渾身の一撃をブチかましてやりましたが、次の瞬間、なぜかその場が凍り付いていることに気が付きます。


「What’s Lazy Susan? (レイジースーザン? 何それ?)」



ロサンゼルス出身の留学生も、カナダ出身の留学生も、オーストラリア出身の留学生も、香港出身の留学生も、誰一人として「レイジースーザン」を知らなかったのです。

そんな馬鹿な!?

いや、いま確かに誰かが「レイジースーザン」って言ったよな…… と思っていたら、その言葉を発したのは、同じく英語勉強中の同級生女子。日本人です。
なんと、「レイジースーザン」という語彙を認識していたのは、私と同じ単語帳を使って勉強していた彼女だけでした。

日本の英語教育の敗北です。
その場の外国人が誰も知らないのに、日本人2人だけが知っている謎の語句「レイジースーザン」。

日本人だけが使う英語、「レイジースーザン」。
誰だよ、スーザンって。

この状況は一体何なんだよ、おかしいよ!!
絶対おかしいよ! 確かにその語彙は、本屋で一番売れ筋の単語帳に載っていたじゃないか!!

必死に勉強したんだよ! 全部暗記したんだ!!
なのに、なんで外国人に通じないんだよ!! スーザンって誰なんだよ!!

たどり着いた、「答え」


そのとき、私は「単語帳の鬼」をやめました。
「単語帳の鬼」の攻撃力がゼロであることを思い知ったからです。

鬼というか、ピエロでした。
ネイティブスピーカーに通じない英単語を必死に覚えていた私は一体何なんだろう、と。

一応断っておきますが、「Lazy Susan」という語彙は英語にちゃんと存在します。根も葉もない嘘ではありません。(当たり前ですが)
たぶん、この言葉を普通に使っている英語話者も世の中にはいると思います。ただ、もしかしたらその言葉は古臭くてもう使われていないのか、地域によって言い方が違うのか、真相は定かではないです。

ただ、事実としてあの日の留学生パーティーの場では、「Lazy Susan」は誰にも通じませんでした。

「レイジースーザン」。
「怠惰なスーザン」という見知らぬ女性への侮辱の言葉だけが、その場に残りました。


パーティーの参加者の中に「スーザン」という名前の人がいなくて本当に良かったと思います。こんなの、例えるなら「バカな田中」「不潔な石井」などと言っているのと変わらないのだから。

あの日、単語帳で覚えたばかりの必殺攻撃呪文「レイジースーザン」がなぜ発動しなかったのか、本当のところは私には分かりません。
ただ、明らかに真実だと言えるのは、「単語帳を丸暗記したところで、英語を話せるようにはならない」という悲しい結末でした。

さようなら、すべての英単語帳。
そして、ここから私の快進撃が始まるのです。

もう、単語なんて要らない。覚えても役に立たないのだから。

要らない、単語。
捨ててしまおう。
君を探し、彷徨うマイソウル。

そうだ。単語じゃないんだ、大事なのは。
単語を覚えることで表現の幅を増やしていくのではなく、「知っている単語だけで何とかする」。その姿勢が重要なのではないか?

これこそが語学習得の奥義であることを、当時の私はまだ気が付いていません。

そのとき何かの偶然なのか、神様の思し召しなのか、スーザンのお導きなのか、なぜだか私はこの結論にたどり着いたのです。

「知っている単語だけで何とかする」。
それは、外国語を話すための最強のテクニックでした。

トリリンガルへの道


20歳当時、大学生だった私は、日本語以外の言語を一切操ることができませんでした。
東北の田舎町から出てきたばかりで「んだべ」「んだなぁ」と地元の訛りが抜けていなかったので、日本語さえろくに操れていなかった可能性があります。

21歳で、私は海外留学をしました。
1年間、異国の地で揉まれに揉まれました。今度浴びたシャワーには、きちんと効果がありました。もしかしたら、シャワーヘッドが高級品に変わっていたのかもしれません。

22歳になったとき、私はTOEICで950点を叩きだしました。
ほぼ満点です。そればかりでなく、その時にはHSK(漢語水平考試)と呼ばれる中国語試験の最高級、つまり「英語でいうTOEIC900点以上」に値する資格を中国語でも同時に取ることができました。

そして、その資格を武器に「私はトリリンガルです」とアピールして、某大手有名企業の入社試験に合格、内定を手にすることができました。

それから、その大手メーカーに入社し、数年後に海外営業部に異動、20代で海外駐在も経験しました。
そのさらに数年後、外資系企業に転職し、管理職に昇進。英語を武器にグローバルキャリアを歩む、もはや「転職強者」と言っていいくらいの人材になることができました。
その半分以上は、語学スキルのおかげだと思っています。英語、そして中国語がなければ、このキャリアは到底あり得ませんでした。

一体なぜ、こんなことが起こったのでしょう?

私は、帰国子女でも、高学歴エリートでもありません。東北のド田舎の農家に生まれ、公立中学・公立高校 & ヒップホップ育ち、大学の偏差値はちょうど50に少し足りないくらいです。
たぶん、『鬼滅の刃』で言えば村田さん程度の強さです。『ドラゴンボール』で言えば大体ヤムチャくらいです。

日英中のトリリンガル = いわばベジータくらいの強さに、一体どうやってヤムチャごときが…?? 一体なんの修行をしたんだ?

その答えこそが、「知っている単語だけで何とかする」です。
シンプルに見えて超強力。これが私のビジネス英語戦闘力を爆発させたのです。

語学習得の究極奥義「言い換え」


一体何を言っているんだ? こいつは?

そう思った方。あなたの頭は極めて正常に働いています。本当におっしゃる通りです。何がなんだか分かりません。

でも、あえて言いたい。
「あなたにも、すぐに分かりますよ」と。

不気味でしょう? 気持ち悪いでしょう?
大変申し訳ありません。無駄話はこれくらいにして、本題に入ります。

本題に入るのが遅いって? なんだと!?
おっしゃる通りです!! ここまで全部前置きです!! バカヤローーー!!!

前置きのエピソードが長すぎて、この記事の最後の行までもうあまり残りがないのですが、ここからが本題です。



「知っている単語だけで何とかする」。


これはつまり、「単語力」「語彙力」ではなく「言い換え」で対応するということです。

具体例を挙げましょう。

あなたは、「目薬」を英語で何と言うか知っていますか?
正確な単語で言うと、artificial tearsというらしいです。他にも色々と言い方はありますが、口語的にはeye dropsと呼ぶ場合が多いようです。

この単語・熟語を知らない場合、まあ目だから「eye」かな? というところまでは出てきても、なかなか「drops」にはたどり着けないかもしれません。
もともとこの語彙を知っていたという人を除いて、一般的な日本人が「eye drops」という単語を自然と想起するのはほとんど不可能でしょう。「artificial tears」なら、なおさらです。英語初級者には厳しいと思います。

でもね、こんな単語、覚える意味はないんです。

「目薬」でしょ?
「eye medicine」と言えば、それで良いのです。「eye(目) medicine(薬)」という超簡単な直訳で、実は十分に通じます。

もちろん、これは完璧な英語ではありませんよ? どちらかというとダサい英語に部類されます。

でも、通じます。
これを聞いて「ああ、目薬のことを言いたいのね」と察してくれない人はほとんどいません。

もし、「medicine(薬)」という単語も出てこないときは、「something like… water you use for tired eye. (なんていうか、アレ。目が疲れたときに使う水みたいなやつ!)」とでも言っておきましょう。

これはめちゃくちゃレベルの低い英語ですが、通じます。確実に通じます。コミュニケーション可能です。
これを聞いて「ああ、目薬のことを言いたいのね」と察してくれない人はほとんどいません。

これが「言い換え」です。

「something like… water you use for tired eye. (なんていうか、アレ。目が疲れたときに使う水みたいなやつ!)」

この中で一番難しい単語は、「water」「tired」「something」あたりでしょうか。
あえて中学生レベルの単語だけで言い換えたので、極めて酷い英会話表現だとは思いますが、英語なんて相手に通じれば勝ちです。

ちょっと身振り手振りで、「こういう、このくらいの小さいやつ!」というジェスチャーを加えればもう完璧です。ほぼ確実に通じます。初級者の段階ではこれで十分です。

完璧に話せなければ「話せない」わけではない


私が、20代前半のほんの2~3年くらいの間に一定レベルの英語と中国語を身に付けることができたのは、会話に「言い換え」を取り入れたからです。

というか、外国語話者のほとんどは、恐らくこの技術を使っています。単語力を鍛えるのではなく、「知っている単語だけで何とかする」という手法です。

もちろん、それより先のレベルに進むためには、一定の単語力・語彙力が必要になります。流石に、ずっと中学生レベルの語彙だけで語学力を鍛えるのは長期的には無理です。
ただ、「英語がまったく話せない人」から「ちょっとだけ会話ができる人」になるための、ゼロ⇒イチの第一歩としては、単語力よりも「言い換え」の方が圧倒的に強い武器になります。

逆に、この段階で「単語力メイン」で勝負するのは非常に難しいと言っていいです。
結局、ボキャブラリーって覚えても覚えても無限に広がっているから。仮に「基本的な会話レベルの単語だけ身に付けたい」としても、平気で4,000語とか覚えないといけないですし、その4,000語を全部覚えたところで、ありとあらゆる会話に全部対応できるようにはなりません。

一方で、「言い換え」が上手くできるようになると、中学校の授業で習うレベルの単語だけで、ほとんどすべてのシチュエーションに対応できるようになります。本当です。

たぶん、私が海外留学に行った時点で、会話に使っていた単語はすべて中学生レベルの語彙です。それ以上の語彙力では決してありませんでした。
そこから、英語を話して生活したり、現地の学校の授業を受けたりする中で、少しずつ周りの人たちの真似をして吸収して、ボキャブラリーを増やしていった形です。

「英語を話せるようになるために単語力を鍛え上げた」のではなく、「英語を話せるようになる過程の途中で少しずつ語彙が増えていった」という言い方が正しいです。

以前、単語帳で勉強をしていた頃は、自分が英語を話せるようになっていく自覚はまったくありませんでした。
一方で、「言い換え」によって実践的な英語に慣れていくうちに、単語帳など使わずとも語彙が自然と増えていくのを強く実感しました。



実は、この裏にあるのは、「完璧な英文法と英単語を使って話せるようにならなければ “話せない” わけではない」という大前提です。

日本人は、とにかく恥ずかしがりです。一億総シャイボーイ・シャイガールです。自分の話す英語が間違っているんじゃないか、他人から見て恥ずかしいんじゃないかと気にし過ぎです。そんなの誰も気にしていないのに。

いいんですよ、間違っていて。
最近、2週間くらい欧州諸国を周っていて改めて思ったのですが、ヨーロッパの人たちが喋る英語って実はそんなに上手くないです。訛りまくっているし、文法もめちゃくちゃです。でも、みんな堂々と英語を話しています。誰一人「恥ずかしい」だなんて思っていません。

いいんですよ、間違っていて。
私の英語なんて、10年以上英語で仕事をしているのに未だに間違いだらけです。完璧からは程遠いです。めちゃくちゃ恥ずかしいレベルです。まるでゴミのようです。

でも、私は外国人と英語で話していて、「自分が言いたいことを上手く伝えられない」という事態は基本的に起こりません。「ほぼない」ではなく「まったくない」です。100%自分が言いたいことを相手に伝えることができます。
もちろん、細かいところまで本当に正確に伝わっているかは相手側じゃないと分かりませんが、少なくとも問題なく会話が続いているし、特に誤解などは生じていないので、「内容は通じている」と考えるのが自然でしょう。

このレベルに達するのに「単語力」「語彙力」は必要ありません。
ただし、「言い換え」は必須です。

「単語力」よりも「想像力」


もう一つ、具体的な例を挙げましょう。

お好み焼きって何? どんな食べ物? という質問に、あなたは英語でどうやって答えますか?

例えば、こんな答え方をすることができそうです。

Okonomiyaki is a popular street food in Japan, particularly famous in the Kansai region of Western Japan. It is cooked on a griddle and topped with a variety of ingredients, such as pork, seafood, vegetables, sauces, and sometimes mayonnaise.
The name "Okonomiyaki" comes from "okonomi," meaning "favorite," and "yaki," meaning "grill," suggesting it is "your favorite food on the grill."

There are two main types of Okonomiyaki: the Osaka version and the Hiroshima version. However, if you refer to it as the "Hiroshima version of Okonomiyaki" in front of native Hiroshima people, they will definitely kill you. That is a Japanese kind of the clash of civilizations. Seriously, do not underestimate the local spirit of Okonomiyaki.


ただし、この返しができるのは、ある程度の英会話スキルと単語力がある人だけ、そして少々のアメリカンジョークスキルがある人だけです。

あまり単語力や語彙力、表現力に自信がない、私のような卓越したユーモアとギャグセンスもないという人は、次の言い方で十分です。

Okonomiyaki?
Yeah, it’s Japanese Pizza!!


「お好み焼きとは、ジャパニーズピザです。」
これで十分です。

それでもよく分からないと言われたら、「OK! You can try!! Go Go Go!!!」と言って1枚注文すればいいだけです。豚玉あたりが良いでしょう。あとは勢いで押し切れます。

このように、瞬時に「ジャパニーズピザ」という言い換えが出るかどうか、そこで勝負は決まっているのです。
大事なのは言い換えです。詳細な説明を可能にする語彙力や表現力ではありません。そんなものは、初級者の段階では特に必要ありません。

ええ、もちろん、「ジャパニーズピザ」なんて言ったところで何の説明にもなっていないのは分かっています。お好み焼きはピザではないのだから。たぶん関西人にブチ殺されます。

ちなみに、「たこ焼き」について同様に説明を求められたときには、「Octopus Dumpling(タコの餃子)」とでも言っておけばいいです。もし、Octopusという単語さえ出てこない場合は、「Small Seafood Ball(小さな海鮮の玉)」でもいいです。

大丈夫です。これでもある程度は通じるので、外国人との英会話コミュニケーションという意味では成立します。ただ、関西人にブチ殺されるだけです。

「完璧」を捨てて、滅茶苦茶で自己流な「ポンコツ英語」を始めよう


冗談はこのくらいにして、最後に一番大事なことを言います。

ポンコツになりましょう。
あなたは今日からポンコツです。ダメ人間です。レイジースーザンです。


何を言いたいのかというと、「流暢に完璧な英語を使いこなす自分」という妄想を捨てろということです。

日本人はみんな、完璧主義です。
少しでもミスをするのを嫌がります。自分の英語を他人に聞かれるのを恥ずかしがります。もし間違っていたら嫌だからと、大きな声で堂々と喋るのをためらってしまいます。

ドイツ人やチェコ人、フランス人などの英語はめちゃくちゃです。インド人の英語なんて、どう考えても日本人より下手です。文法も発音も壊滅的です。でも、誰一人「恥ずかしい」なんて思っていません。普通に毎日、英語を使って仕事をしています。

こういう、「みんな下手くそだけど普通に英語でコミュニケーションを取っている」という環境にすでに慣れているから、それをいちいち気にすることがないのでしょう。

多くの日本人は、極めて恵まれた独自文化の中で育ち、「周りにいる人たちの99%以上が日本人で、ほぼ全員が流暢に完璧な日本語を話す」という環境に逆に慣れ過ぎてしまって、言語習得に対して心理的に求めるレベルが高すぎるのではないでしょうか。

人によっては「Sorry my English is terrible…. (ごめんなさい、私の英語は下手くそなので)」と、初対面の人に突然言い出す人もいます。これは、最低最悪の自己紹介です。

英語が下手くそ?
それがどうした?? 下手に決まってんだろ! ネイティブスピーカーじゃないんだから!


私の英語は、とても下手くそです。ゴミです。
だって、日本語だって東北訛り丸出しのいなかっぺ大将なのに、まるでハリウッドスターかアメリカの外交官みたいな流暢な英語をしゃべり出したら気持ち悪いでしょう。 そんなのは誰も期待してないでしょう。

違います。全然違います。
今、あなたに期待されているのは、「ジャパニーズピザ」です。
今、あなたに期待されているのは、「目が疲れたときに使う水」です。

期待されているのは「レイジースーザン」ではありません。
スーザン、お前はもう引っ込んでろ。



覚えておいてください。

英語は「言い換え」で大体上手くいきます。
英語に「正しさ」は要りません。正しくなくても「伝える」方法があります。


英語は、暗記した「単語力」の豊富さ・幅広さではなく、言い換えの「想像力」で喋るんです。
完璧な英語を話す必要なんてありません。下手くそでも稚拙でも、相手に内容が通じるなら「英語を話せます」と自信を持って言っていいはずです。

英語を話せる人と、話せない人との間にある決定的な差。
それは、「自分は英語を話せる」と思っているかどうか。たったそれだけの違いだったりします。ほとんどは姿勢とメンタルの問題です。

え? それでもやっぱり、流暢でカッコいい英語を話したいって?
それはもう、あきらめてください。

私はもう15年近く、毎日のように英語で仕事をしてきました。新卒の新入社員時代からずっとです。でも、私の英語はいまだに完璧からは程遠いです。全然カッコ良くないです。間違いだらけのポンコツです。
それでも、日系グローバル企業の海外営業部で働き、20代で海外現地法人の駐在員マネージャーになり、30代前半で外資系企業の管理職に就任し、社長直轄のプロジェクトリーダーを務めました。

もう、流暢でも完璧でもなくても、これで十分だと思いませんか?
下手くそで構わないと思いませんか?

でも、私は、「ごめんなさい、私の英語は下手くそなので」なんて絶対に言わないですよ。
私の英語は、とてもとても下手くそです。それは自覚しています。でも、みんなに通じます。NYでも、ロンドンでも、バンクーバーでもシドニーでも問題なく言いたいことはすべて通じます。

完璧な英語を話す必要なんてありません。
最も正確な単語を100%的確に選び抜いてパーフェクトに使いこなす必要なんてないです。中学生レベルの語彙で十分なんです。単語の勉強なんて、もうやめてしまいましょう。

「知っている単語だけで何とかする」。

それが、外国語を話すための最強のテクニックなのだから。


※あとがき

この文章は、note創作大賞 2024 応募用のショートコラムとして書きました。

SNSでよく流れてくる「覚えておきたい英語表現10選」や、本屋さんの売上ベストセラーランキングに毎年食い込む定番の「英単語」系書籍コンテンツに対するアンチテーゼです。

先日も、「俺は学生時代、あの単語帳を使っていたんだ」「僕はあの単語帳を買って勉強をしたよ」と雑談をしていた人たちを見かけましたが、事実として、その会話をしていた中の誰一人、英語を流暢には話せません。とんだ茶番です。

単語帳でいくら勉強したところで、英語を話せるようにはなりません。それが事実です。

ある意味で、単語帳は麻薬のようなものです。
お手軽に「勉強している」気分になれてしまうからです。


スピーキングやリスニングで「上達してきたな」と実感できるようになるには、相当な時間がかかります。なかなか英語スキルが伸びている感覚を得られないので、モチベーションが上がらず努力が続きません。

一方で、ボキャブラリーを覚えるのは、非常にわかりやすく日々の成長を実感できます。今日は10個覚えたぞ。昨日も一昨日も10個ずつ覚えたから、今週30個覚えたな。ヨシヨシ……。という具合です。たとえ、それが「レイジースーザン」のような一生使う機会のない語彙だったとしても。

もしかしたら、単語帳は、日本式の間違った英語教育の弊害なのかもしれません。受験のペーパーテストを勝ち抜くことだけに特化した学習コンテンツという意味では。

だって……

毎年、年間ベストセラー書籍のランキングに「英単語帳」が上がってくるくらい多くの人が日々英語の勉強をしていると本当に言えるなら、今頃もっと日本人の英語習熟率は上がっていてもいいはずじゃないですか?

まあ、出版社や英語講師の立場としては、そのままで良いのかもしれません。みんなが英語を流暢に話せるようになって次々と英語学習から卒業してしまったら、もう単語帳は二度と売れないし、英会話スクールの生徒が集まりませんからね。

ずっと英語を話せないまま、一生無駄な勉強を続けてもらった方がビジネス上の都合が良いのです。単語の丸暗記さえしていれば、なんとなく「やってる感」は出るので、お金を払う側は満足できますしね。

でも、本当はそうじゃないよね?
みんな英語を話せるようになりたいよね??


そう思って、この記事を書きました。

今度こそ英語を身に付けたいと奮起する人にとって、今日の記事が少しばかりのヒントになれば幸いです。

以上、お相手は、安斎響市でした。

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