翠雨の高雄巡り~雨と私と杉と~
以前嵐山の古書店にて購入した東山魁夷の小さな画集。彼が変幻自在に描き出す緑に、時を忘れて魅入ってしまう。ページを捲る手が止まらない。
特に目を惹くのが北山杉の杉木立を描いた『青い峡』という作品。四角形の世界に立ち篭める翠嵐に息を飲む。神秘的であるとともに、人間を寄せつけない刺すような畏れを纏った空気。この風景を作り出したのは他でもない人間であるということに面白さを感じる。
私が通っていた大学とこの杉木立とは位置的に近く、北へ向かう車窓から何度か目にしたことがある。上へと向かう直線が山奥まで幾列も続く風景に、無機質さ、不気味さを感じていたのを思い出す。
人工環境への歪んだ嫌悪があったことは間違いない。イングリッシュガーデン的な西洋式庭園よりかは日本風の庭園を好んだり。モダンな建築風景よりかはその土地の自然と調和した町並み、風景を好んだり。こんなことにも繋がっているのだろう。
勿論それは「人工―自然」の浅はかな二項対立でしかなく、「人工=自然破壊」「伝統的なもの≠自然破壊」という短絡的な思考でしかないだろう。第一に伝統的なもの定義すらも曖昧であるし、そもそもが事実に基づかない感覚的判断だ。そう、無知ゆえの、というやつである。
まあそんな身の上話はほっとくといたしまして。実際に「いまの」自分の目で確かめるのがいちばんってもんでさあ。斯くして京へ上るのであります。
1.神護寺
何処かへ出掛ける日に、これほどまでに雨が嬉しかったことがかつてあっただろうか。部活の遠征とかは置いておいてですよ、ええ。観光、旅行にあったて、雨が降っているという事象に興奮したのは初めてであろう。当日早朝より予定されていた草野球の試合、これが中止になった連絡を受けたときも、頭の中に浮かんでいたのは山肌から湧き立つ白い煙、朦朧とする山の端である。
上は目的地へと向かう途中、未だ大阪府下に居る時点での写真。素晴らしいでないの…
始めに向かった先は高雄山神護寺。和気清麻呂の名前は神託事件の文脈でのみしか目にしていなかったので新鮮。山の中に巡らされた小径と点在する建造物の数々。規模こそ大きくはないものの、比叡山や高野山、書寫山、宀一山を彷彿とさせる。
古くは平安の世から長い時代が流れるこの寺院だが、この日に特筆すべきであったのは翠雨を受けて耀く新緑。力いっぱい身を乗り出した枝々の先で、木漏れ日さえ通さんとばかりに溌剌と咲き誇る緑たち。縛られることの無い彼らは、我々の視界さえ遮る。
緑に見え隠れする建造物。その姿はさながら雲海に見え隠れする山々、棚引く雲がかかった名月である。屈みながら緑のアーチを抜け、寺院を巡る。
山岳寺院ならではの高低の位置関係を楽しむ。上から見たり、下から見たり。建造物の見え方だけでなく、緑の映り方のイメージも変わってゆく。
境内の中で興味深かったのが奥ほどに位置する「閼伽井」だ。弘法大師自ら掘った井戸として伝えられているそう。歴史のスケール感が面白い。この日は複製品のみしかお目にかかれなかったが、神護寺の宝物には源頼朝、平重盛らの肖像画も。宝物虫払い行事が行われる5/1~5でのみ拝観が可能とのこと。また来年あたりお邪魔しようかしら。
山を下る前に一帯を展望できるスポットにて嵯峨清滝を望む。壮大なる山々とそこから湧き出す煙、それと雲の境界が曖昧になるとともに、薄く霞むは愛宕山の秀雅なる稜線。感嘆の息を漏らした刹那、画集の中の一枚の絵が浮かぶ。
「ああ、来てよかったな…」
既に大満足である。
2.高山寺
次に向かったのは栂尾山高山寺。
日本最古の茶園前の看板。瑞々しい紫陽花が美しい。至る所に緑が繁茂する境内。湿気を纏った空気を切り裂く冷たい風が心地よい。雨の匂い、鳥の鳴き声、水の流れる音。五感を総動員させつつも、やはり息切れがすべてを掻き消す。実感するは梅雨の素晴らしさでなく運動不足…
やっとの思いで石水院へ。水滴をその体に華麗にも散りばめたクチナシさんがお出迎え。艶やかな葉の緑と麗しくも儚げな花の白が美しい。
石水院での写真は下の一枚のみであるが、『鳥獣人物戯画絵巻』や子犬の彫刻、富岡鉄斎筆の「石水院」額など文化財が数多く収められていた。建造物の内と外に明確な境界がない造りもまた興味深い。吊り上げ式の蔀戸と格子戸の影響か。
個人的に堅いシンメトリーの構図の背景に自然のモチーフがある光景は大好き。絵画、掛け軸としての風景のようなイメージ。奥に見える山などその土地独自の借景など映り込めばなおよし。
ともあれこの石水院は明恵上人時代の唯一の遺構。つまり後鳥羽上皇の時代、鎌倉初期である。抹茶などを飲める場所もございますので、機会があれば。是非とも歴史と自然に浸ってみてください。
3.中川
最後に訪れたのは北山杉の里、中川である。先に訪れた二つの寺院をゆっくり回り過ぎたこともあり、時間的にはかなりタイト。162号線を急ぐ。
5分ほどで木造倉庫群に到着。よくぞ辿り着いたと言わんばかりの霧。上に魔王の城でもあるのだろうか…
朽ち果てることなく形を保つ木造建築。昭和10年ごろに建てられ、現在は使われていないそう。川端康成の『古都』の情景が頭に浮かぶ。力強く凛と立つ杉と人々の生活。互いに支え、長い長い時を超える。
この北山杉は植林してから製品として完成するまでにおよそ30年という時間を要するそう。古くは室町の世より世代を超えて受け継がれるこの風景。無機質なんてもってもほか、幾度の再建を繰り返す寺社仏閣、城郭よりよっぽど時の流れを感じたり。自然と人との関わり合いという意味で原初的なものを感じたり。
それにしても今年に入ったあたりからか、これまで何とも思っていなかったことを楽しめるようになったものだ。杉を見に行くなんて当時の私からすると到底在り得ないだろう。
この日は「雨」を心底楽しめた。初めてのことだ。新しい「私」との出会いとでも言うべきか。来年からはこの季節を待ち遠しいと思えるのだろうか…難しい話は止めておくとして、ひと先ずは良い旅ができたことへの感謝を。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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