「踊れない」ダンサーと「できない」子供たち パート5 ~コンテンポラリーダンスと発達障がいの狭間で~

<「普通」に「できない」子供達>

前章の終わりで私は、“「発達障がい児」と呼ばれる子供達との出会いは、まさに自分自身との出会いだった”と書いたが、言い換えればそれは、子供達が「できない」ことと、私自身が「できない」ことが、とても良く似ていたという事だった。
更に言えば、彼ら、彼女らが抱えていた「できなさ」は、私自身が抱えてきた「生きにくさ」と、どこかで通じているような気がしたのだ。

だからこそ私は、この“「できない」ということ”を掘り下げて考えていけば、やがて自分の「生きにくさ」の正体にぶつかるのではないかと考えた。

“「できない」ということ”とは一体何なのか?“
今回改めて、皆さんと一緒に考えてみたい。
あわよくばそこに、現代社会を「生きやすく」するためのヒントが、「普通」を紐解くヒントが隠されていることを期待して。

<発達障がいの現場から>

私達大人にも、日々生きている中で「できない」ことは沢山ある。
苦手な事や嫌いな事、我慢できない欲求や、辞められない習慣など、人にはそれぞれ様々な「できない」が沢山ある。
それにも拘らず、私達はよく他人に対して「なんでこんなことが出来ないの?」とか、「出来て当たり前でしょ?」と口にしてしまう。「普通」という呪いである。

誰もが「できる」ことが、その人にとっては「できない」ことかもしれない。
逆に、誰も「できない」そのことが、その人には「できる」ことかもしれないのに。

だんだん頭が混乱してきそうなので、話を一旦、私の実体験に戻そう。

まずは「できない」ということについて、私が「発達障がい児」と呼ばれる子供達の療育の現場で感じたこと、考えたことを、書き出してみようと思う。

・「できない」には必ず理由があり、その理由は「人」によって異なる
・「できない」ことを「できる」ことにするよりもまず、「できない」ことに寄り添う「人」が必要
・そしてその「人」の存在が「できる」を生み出すこともあれば、時には「できなくてもいい」を生み出すことがある
・更には「できない人」に「寄り添う人」や、「できない人」を「できるようにする人」、そして「できなくてもいいと許容する人」の存在、それぞれのバランスが、子供達の「生きやすさ」を生み出す
・「寄り添う人」「できるようにする人」「できなくてもいいと許容する人」になるには何の資格もいらないし、この三者は重複、交換、分業が可能である
(ここでいう三者に当てはまるのは「親」「療育者」「学校の先生」などの大人がスタンダードだが、そこに子供達「本人」が入ることもある)

こうして書き出してみると、 “「できない」ということ”にとって、如何に「人」の存在が重要であるかが、よくわかると思う。
一つの「できない」に対して、多くの「人」が関わることで、状況は様々に変化していく。

「私はダンスが踊れない」という呪いに縛られ続けたのは、私が一人きりで「できない」を抱え続け、更に「できない」から目を逸らし続けたからだったのだ。

「できない」を心の奥では受け入れられず、「できるフリ」をすることに努力し続けた結果、私は壊れてしまった。「できるフリ」をし続ける道は、一見「できている」ように見えるので、傍に「寄り添う人」は現れない。

やがて「できるフリ」が、やめられなくなっていくと当然「できる」には繋がらないし、「できなくてもいい」にも辿り着けない。私は一人でこの袋小路にハマってしまった。
私の「できない」には「寄り添う人」が足りなかったのだ。

そんな「踊れない」ダンサーは、発達障がい児と呼ばれる「できない」子供たちと出会ったことによって、自分の「できない」と向き合うことになる。

<「できない」に隠された真実>

なぜ、私は一人で抱え込んでしまったのか?
思えばそれは、私が今まで「できる」側の人間だったからだ。(「できる」と思い込んでいる側ともいえる)

子供のころの成績はよく、スポーツも美術も音楽も、よく「できた」。
小学生の終わりに、私はひどいイジメにあったが、そんなイジメですら、乗り越えることが「できた」。
やれば「できる」し、実際「できてきた」のだ。

だからこそ、私は「できる」側の人間として「できない」側の人間を見下してきたのかもしれない。
「できない」に苦しむ人の気持ちが分からなかったのではない。
「できない」は甘えだ。やれば「できる」。そう思っていたのだ。

同時にそれはイジメられた時の辛い気持ちを忘れようとする意志でもあった。
かつての自分が、イジメられても何も「できない」人間だったことへの嫌悪だったのだ。

私はイジメを自力で乗り越えたのだから、お前らも自力で這い上がってこい。
私はかつての「できない」私には絶対に戻らない。
小学生の私はそう誓ったのだと思う。

しかし、私はダンスに出会う。
そして、ダンスは、私の人生の中で最も「できない」ことだったのである。
(パート6へ続く)

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コンテンポラリーダンサー、振付家でありながら長年「踊れない」と感じてきた筆者が、海外での経験や、発達障がい児との出会いの中で、「できない」…

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