さようならシュンペーター論


0→1Booster Conference 2020にて

 2019年12月4日(水)有楽町国際フォーラムに1000名を超える人々が集いかつ国際的に有名なイノベーターの集まりInov8er's Conferenceも併設された大きな大会でした。その会合で私は、01ブースター代表の鈴木規文氏と対談を行いました。お題は、Corporate Accerarationについて。
 何点かの要点の内の一つが、さようならシュンペーター。こんにちはカズナーでした。

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↑0→1Booster Conference 2020の様子 1000名入る会場が満員
すごいですね。こういう日にはやく戻りますように。

新結合の遂行(Durchsetzung neuer Kombinationen)銀行家が起業家の例

 前回第一勧業信用組合新田理事長がコロナ倒産を防ぐために奔走する話からの学びを述べました。元々シュンペーターがいう新結合の担い手とは「交換経済の監督者」である銀行家を念頭に置きます。「銀行家はたんに『購買力』という商品の仲介商人であるのではなく、またこれを第一義とするものでもなく、なによりもこの商品の生産者である。(中略)彼は交換経済の監督者である。」と(『経済発展の理論』岩波文庫(上)p.198)。新田理事長はまさに起業家の働きと言えましょう。
 しかしながら、このシュンペーターのイノベーション論には誤解と共に重大な欠点があり実は今日起業家論を語るうえでの有効性は喪失したと言えます。今回はその問題点を指摘しましょう。


イノベーションとは技術革新でも発明でもありません

 シュンペーターは「単に新しいことを行ったり、すでに行われてきたことを新たな方法で行うということ」(『企業家とは何か』第3章 東洋経済新報社)を指摘した言葉がなぜか我が国では長い間「技術革新」と誤解されることとなりました。
 元々シュンペーターは、企業家と発明家を概念的に区別しなければならないと指摘している(『企業家とは何か』4章 東洋経済新報社)にも関わらずです。

 我が国では、1956年の『経済白書』で「このような投資活動の原動力となる技術の進歩とは原子力の平和的利用とオートメイションによって代表される技術革新(イノベーション)である。」と訳されて以来永らく「イノベーション=技術革新」とされてきました。この背後には当時の社会背景があり、正に時代は技術革新が明るい未来をつくるという真っ盛りで例えば『世界』1957年3月号特集「技術革新と現代」だとか、鉄腕アトムの連載が1952年(昭和27年)4月から『少年』で始まるなどしていました。

 1958年にはこれは幻想だと。「現代の世界文明の大部分は,主として欧米先進諸国におけるここ数世紀の科学技術上の業績を基礎として築かれたものであり,事実われわれはこれを吸収消化して,日常の生活のなかでその恩恵を享受している。かえりみて,これまで日本人は,海外文明をとり入れ,自分のために使うことは行ってきたが,新らたなものを加えてゆくうえで,どれだけのことを人類に対して行ってきたのであろうか。」(『科学技術白書』1958年第1部1章)と自前でないことが指摘されるのですがこのような実態は無視され日本には「ものづくり神話」「技術大国神話」が跋扈します。いや、神話泥酔状態が続いたといった方が適切でしょうか。

 このように、シュンペーターの議論は、技術開発や製造業という背景と整合性があるのですが特に起業家論ではとんでもない欠陥があります。
 新結合であれば、木に竹を接ぐのも新結合なのですが、なぜ、新結合が新市場を拓くのかを説明することはできません。まして既存の新しい組み合わせを思いつくのが起業家であったにせよ(銀行家のように)どうやってそれを発見できるのでしょうか?
 こう考えると、シュンペーター論を担ぎ出した議論は大半が後付け論だということに気づくでしょう。うまくいった例のみを取り上げて新結合がなされたと。新結合は実態・実物論なので工業社会の概念なのです。
 穏やかに言い換えてもクリステンセン教授の言う「逸脱的イノベーション(Disruptive Innovation)」は説明できず「持続的イノベーション(Sustaining Innovation)」の説明にとどまるものだと思います。

起業家独自の能力とは何か?

 このような疑問に応えているのが Israel M Kirzner (1973)です。残念なことに我が国ではさほど注目されていません。起業家とは、常に利益の機会として情報に注意を払う。技術や天才という素質に依存しない。既存市場参加者の無知を活用できる。と主張しシュンペーターの起業家観を鋭く批判した研究者です(『Competition and Entrepreneurship』)。

 カズナーは「起業家は、既存の市場参加者の無知が故に経験から学ぶことができないためにずっと前から存在している利益の機会にすぐに気づきます。 This group of entrepreneurs would, in our imaginary world, immediately notice profit opportunities that exist because of the initial ignorance of the original market participants and that have persisted because of their inability to learn from experience.(Competition and Entrepreneurship. p.14)」と。

 カズナーが注目したのは知識であり無知(ignorance)概念なのです。この考え方が1990年以降の脱工業化社会、知識社会で有効な考え方として今日では定着しています。日本以外では。

 例えば、ipadの原型は映画「2001年宇宙の旅」にでてきます。しかし、多くの既存市場の企業は見逃していたのです。この形状と操作方法の情報端末を。見逃す理由は既存市場活動者にとって「逸脱的(Disruptive )」としか見えないからです。

 一方、人が見逃すところを見逃さない起業家は「命」に基づくからと世の東西を問わず言えます。

既存企業の無知(others ignore)に注目する起業家は

 では既存市場の無知に注目する起業家と問われて誰が頭に浮かぶでしょうか?
ダイソン社では、Our business is built from a desire to solve the problems others ignore. を掲げます。日本支社ではホンダカブやSONY Walkmanが展示している部屋から事務所側に扉一つ入った部屋の壁に大きく書かれています、英語で。日本語では、「私たちの目指すものは、とてもシンプルです。 それは、他者が見過ごしている問題を解決することです。」と穏やかな表現で訳されていますが。

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