人生は「命」「時」「運」が決める。

VUCAの時代のキャリア形成

 今から思えばまだなんとなくやばいかな?という雰囲気の最後の頃2020/03/23にオンライン配信01Nightを対面形式でやりました。いまから思うととっても牧歌的。有楽町にあるとって素敵なコワーキングスペースSAAIの和室で対談をしていました。そこでの骨子を記載したいと思います。

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↑ ライブ配信の様子です。スタッフの皆様ありがとうございました。

 事前打ち合わせなど無しの自由討議だったのですが、主旨は、VUCAの時代にどうやってキャリア形成をしていけばいいのか。未来を考えるときには常に過去に立ち返る。そこで思いっきり我が国の歴史を振り返って当日の対談を進めていきました。

時代はネットワーク分散型へ

消えゆく手の時代は今となっては消えた手と言っていいかと思います。自律型ネットワークは全体が不安定になることは北京で蝶が羽ばたけばニューヨークでは嵐になることからも明らかです。私は今回の疫病禍は消えゆく手が消えた手へと加速したと考えています。
 自律型ネットワーク(対概念は軍隊的組織)では個と地元の共同体が鍵となるからです。今後についてWorld Economy Forumは復興力の決め手は非公式なネットワークであると述べています。

 またこの世界経済フォーラムの創設者であり会長であるKlaus Schwab氏はFinancial Timesへの投稿記事で「短期利益主義の企業が最初に苦しんでいる」と指摘し記事の最後は「三方よしモデル(the stakeholder model)を採用した企業としてデンマークの海運大手マークス社やオランダ英国のユニリーバを例としてこれらの企業は社会関係が堅牢で分厚いために危機時に社会を支える役割を利益度外視で行うため疫病禍が終わった後も支援するべきである」と述べています。
 明らかに時代の転換点です。

 今回は当日の話を抜粋して二連載構成にします。というのも、1990年の転換を機に日本は本来なら捨てないといけなかった思考を逆に強化してしまい、本来なら活かさなければならない思考を逆に捨ててしまったからです。この点を対比させていきたいと思います。

 命 運 時で人生は決まる。

 命運時は『文選』(もんぜん)に記載されたVUCAの時代を生き延びる為の主要概念です。文選は、中国南北朝時代の南朝梁の蕭統(昭明太子)によって編纂された詩文集です。戦乱の時代に三命論と呼ばれる、班彪の「王命論」、李康の「運命論」、劉俊の「弁命論」が書かれました。こららは我が国で大事されてきた思想です。このうち「運命論」によると運命は「運」「命」「時」の三つの概念で構成されると考えています。この運命論は平安貴族の教科書でありその考え方は常識でした。

 運

 運とは大きな流れであり天が定める=人知の及ばないものです。運は移ろうものであり、我々が知り得ぬ所で運の働きも変わる。言い換えれば巡り合わせにより偶然出合うものです。
 しかし、このような運を変えることもできる。正確に表すと運が変わることもある。その鍵を握っているのが次の「命」と「時」です。

 命(めい)

 天命と一般に言われるものですが、これは運とは違って自己の内部に存在する概念です。但し、天命と言うとおり自分で変えることはできないものです。努力などでは如何ともし難い、人の意思とは関係の無い、与えられたその人固有のものです。好き嫌いではなく、合う合わないです。例えば、遺伝子レベルの話です。昭和の時代は何でも標準的にできるはずで、できないのは努力不足であると考えられていました。典型例は飲酒で、下戸は酒を飲む訓練が足りないと飲酒を強要されていました。
 残念なことに「命」は知ろうとして分かるものでなく、あれこれやっている内に現れたり、知ったりするものなのです。そして「命」を知るためには自己の内部の声を素直に聞けるか否かが運命を変えるものです。

 時

 よく「潮目が変わる」といいます。潮の流れは「時」によって変わることは海辺に住んでいれば自然と会得しています。これが「時」です。時という漢字の寺はつかむという意味を表す字です。手をつければ持つ。道でつかむことを待つ。つまり、時とは大きな流れが変わる日をつかむという意味です。

キャリアを構築していく

 我々ができることは、時をつかまえることだけです。そして、時をつかみ損ねると運が変わる。時とは、うまくつかめば運が良くなり、つかめなければ不運となる。では、時はどのようにしたらつかめるのか。それは、あれこれやっている内に嗅覚が働きつかめるものだということです。受動のみならず時をつかむことで運は変わると平安時代には考えるようになっていました。

時をつかむには命を鑑みる

 時により命を活かす。ここで、大事なことは、自らの内にある「命」は善いものでも悪しきものでもないということです。例えば、朝おきが苦手で寝坊をする。それ自体はなんら問題の無い「命」なのです。現に、Nature Communicationsに掲載された論文では遺伝子によって決まるので努力や怠惰という問題ではないと論じています(Article number: 343 (2019)) 。

 この命が時をつかんだ例を科学的な知見から紹介しましょう。生徒の睡眠時間を確保するため「朝8時以前の始業を禁じる」法案がカリフォルニア州で可決し米国カリフォルニア州は公立中学校は朝8時以前、公立高校は朝8時半以前に始業時間を設けることを法で禁止しています。
 英国では始業時間を 1 時間遅らせる実験を行ったところ、欠席率が大幅に低下しました。
 このような知見が広まる時により夜型という命は時をつかむことで運が良くなると言えます。例えば、部活の朝練習禁止となれば実はその運動に能力の有る夜型故に部活参加できなかった人が大活躍できて運をつかむと言うこともあり得ます。

外部基準に踊らされない。

 命に基づいて時をつかみ運を変える。これは損得という外部基準とは無縁です。時代は○○だから××というスキルを身につけるというような誰かが決めた外部基準や正解主義の減点恐怖症が運を悪くする。反対に自分の内なる声に従い物事を行いたい人はその命に基づいて時をつかみ運を開くただそれだけなのです。

運をどう捉えるのか

 消える手の時代は1990年頃から始まりました。見える手の時代は管理と統制の時代でした。その時代には人に従順な命の人が運を開く時代でした。しかし消える手の時代にはそういう命の人は明確な指示を誰がしているのか分からないとか。正解が何か分からない、何を信じていいのか分からないとか統制者と正解を外部に求め続け既に消えてしまった統制という幻想を求めて悩み苦しみ運を悪くしていくでしょう。一方統制者と正解が不明なので自己の創意工夫で道を開くという時を捉え運を開く人がいる。ただそれだけなのです。

起業家の先達に学ぶ。

 最後に「命」「時」「運」について我が国の先達特に自ら何かを起こした人はどのように考えていたのでしょうか。

 もともと日本では約650年前に世阿弥は「花とて別にはなきものなり。ただ、時に用ゆるをもて花と知るべし。」と述べています。これは、善いこと(花)というものはない。時が花を決めるのだという意味です。詳細は省きますがこのような考えは、易経の「時中(じちゅう)」概念でもあります。
 世阿弥は、女時・男時という概念で「時の間にも、男時・女時とてあるべし。」「いかにすれども、能によき時あれば、必ず、また、悪きことあり。これ力なき因果なり。」として時をわきまえてとりわけ女時の過ごし方が大事であると解いています。以下歴史上の偉人の言葉に教えを請うこととしましょう(なお敬称は省略します)。

勝海舟

 戦乱の時代のアクセラレータでありコーディネータ勝海舟は『氷川淸話』において「時勢が人をつくる」という見方に徹しています。いわゆる個人の資質ではないのです。

吉田松陰

 「人々貴き物の己に存在するを認めんことを要す。」『講孟箚記』。但し孟子を教えた記録なので元々は孟子の言葉です。また「天下に機あり、務(む)あり。機を知らざれば務を知ること能(あた)わず。時務を知らざるは俊傑に非ず。」『獄舎問答』と塾生に教えています。俊傑とは才徳が飛び抜けてすぐれている人のことです。松陰先生自身もこれは大事だと弟子たちに語った言葉です。才能が飛び抜けて優れている人は時が決めるのだと。そして松下村塾の塾生は松陰先生の教えに従って自らの「命」に従って「時」を知り「運」を開いて生きていったと言えるでしょう。

本田宗一郎

 『得手に帆を上げて』という本をご自身がお書きになったほど。「私は不得手なことは一切やらず、得意なことだけやるようにしている」と明言しています。

盛田昭夫

 「そもそも日本人一般が、自分の能力というものに認識や誇りを持たないのである。あらためていう、不幸な人種である。」「入社試験の面接で、私がいつも志願者にきくことは、こうだ。『あなたの特徴はなんですか』」(文藝春秋 1961年12月号)「得意なことだけ一生懸命やることによってのみ、競争に勝てる。これは簡単明瞭な原則である。」(別冊中央公論 1967.06)と喝破しています。

稲盛和夫

 「自分が得意な事業分野に絶え間なく進出する。得意ではない全くの異分野には何があっても手を出さない」(『日経ビジネス』2014.10.06)と明言しています。

高田明

 『髙田明と読む世阿弥 昨日の自分を超えていく』という御著書の通り、氏の根幹には世阿弥の思想があります。「時を用ふる」「男時・女時」等々高田明氏を支えた世阿弥の思想についてふれています。この本のサブタイトルにあるように、「他人と比べず、「自分史上最高」を全力で追う」こと。正に「命」と「時」を重んじ「運」をつかむですね。

命と時を知る

 我が国の起業家が何を芯に据えていたのか。なによりも大事なことは外部や他人と比べることではない。市場環境分析や競合分析他社成功事例などは歯牙にもかけない。教養のある起業家は古典の概念を大事にした。
 国際派といわれた盛田昭夫氏は「アメリカ直輸入の経営学やマネージメントが、そのまま日本にあてはまるわけがないし、鵜呑みにするのはかえって危険だと、私がいつも云うのは、アメリカと日本とでは、会社の成立する社会的基盤が、根本的にちがっているからである。」(文藝春秋 1965年11月号)と喝破しています。

 先に紹介した『講孟箚記』孟子序説で吉田松陰は、「経書(けいしょ)を読むの第一義は、聖賢に阿(おもね)らぬこと要なり。若し少しにても阿る所あれば道明らかならず、学ぶとも益なくして害あり。」現代語にすると「外国の本(経書)を読むに当たって最も大切なことは、聖人賢人にこびへつらわないことである。少しでも聖賢にこびへつらう気持ちがあれば、外国の本を鵜呑みにし、道を自分なりにきわめることができないだけでなく、学んでも益がないばかりか害さえも生じる。」と。口語にすると「これから外国の本を教えるが決してかぶれて猿まねをするな」と。

 まあ、0→1の起業家に外部に手本があるわけでも分析できる市場があるわけすらなくよって成功事例などはない。

 しかるに昨今では、○○でわ~と経書を吹聴し△△という海外のようでなければならない論がどれだけ蔓延っていることやら。

 疫病禍の時代は全ての人が起業家精神で人生を考えなければならない。外部基準の人は時代に翻弄され自らを見失い彷徨うことでしょう。そしてキャリア不安の時代に・・・という言説に惑わされ運を悪くする。

 最後に、松陰先生は「学問の大禁忌(だいきんき)は作輟(さくてつ)なり。」『講孟箚記』と喝を飛ばしています。現代語では、学ぶために決してしてはならないことは、やったりやらなかったりすることであると。

 そこで次回のための宿題(笑)です。松陰先生は「人々貴き物の己に存在するを認めんことを要す。」とおっしゃりました。これをどのように英語に訳しますか?これは次回に向けた問いです。 

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