見える手の時代
前回、見えざる手のナンチャッテ理論話をしたので、今回もこの話題の延長で。素晴らしい本があります。
資本主義を飼いならすTaming Capitalism
英国史の研究書で興味深い本がありますのでこの本から。
見える手Visible hand
最終章のタイトルでもある見える手とは、見えざる手の対概念で、この本の鍵概念です。この見える手とは社会や市民による規制や不買運動などの排斥を意味しています。人々に幻影を見せてお金をだまし取る輩に社会がむしばまれないように。言い換えると企業の社会的責任を執らせるとも言えるでしょう。
この見える手は、この御著書の中にAlfred Chandler(p.277)と引用されているように経営手腕に関連づいています。
市場に任せておくわけにはいけないという論争でリーマンショック批判にも登場した概念です。
幻影(project)と幻影師(projector)
なぜ、見えざる手に任せた自由主義ではいけないのか。そこには企て(project)と企てる人(prohector)が存在するからなのです。これらの人々は、新技術を用いた社会課題解決者として登場するのですが、その性質は、「金銭を得るための悪徳商法に関連している」‘being associated with unscrupulous schemes for getting money’.p.69からなのです(Novak 2008からの引用)
起業出資詐欺や企業の好き勝手が横行する中で
確かに、幻影師を社会から排斥する仕組みは必要不可欠。識字率が決して高いとは言えなかった英国では、演劇などで啓蒙していた。
デジタル幻影師が跋扈する今日に有効な教訓を与えてくれる研究書です。