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コロナに罹って死ぬ場合の遺言のようなもの

筆者はコロナショックで外出規制が続くフランスに住んで18年になります。イタリアで起きているような医療崩壊がここパリでも起こり、酸素吸入器などの機材が不足すれば、医療の現場は必然的に治療の優先順位を決めるためトリアージ(命の選別)をしなければなりません。その際、もしも自分がこの新型コロナウイルスに感染し重篤化したら、他の人に治療のリソースを譲ることを決めました。この文章はそのための意思表示であり、重症になってからでは遅いので先に書いておくものです。そして死ぬとしたらこの際、普段は敢えて口にしないことを段階的に主語を広げながら述べてみる試みです。基本的に熱に浮かされたうわ言のようなものです。

トリアージと移民、障害者

筆者は移民であり、車イスで生活する重度の障害者でもあります。
ですがそのことを卑下したりヒロイックな自己犠牲精神に酔おうとしている訳ではありません。フランスは移民だからという理由で治療の優先順位を下げるようなことはしない国です。では障害に関してはトリアージの対象になるでしょうか?
これは私にはわかりません。ただし障害者だから選別されても仕方がないと主張したいわけではありませんし、ましてや障害者の意見を代弁するような立場には全くないことをお断りしておきます。

トリアージの語源はフランス語で、元々はリソースの限られた野戦病院でフランス軍が始めたシステムだそうです。マクロン大統領が「我々は戦争状態にある」と述べたことが思い出されます。
トリアージの実施に関して、事実上医療現場の判断に委ねられていますが、これは精神的負担が重いため、いずれ各国各所でルールが明文化されていくでしょう。

それがどのような内容で、自分が罹患した際どのような状況になるかはわかりません。ただ、他者によって救う価値のより低い命であると選別されるよりも、自らの主体的な意思で他の人に治療リソースを譲ることを決めたい、ということです。
私は富や名声の類とは無縁ながら非常に幸せな人生を送ってきました。子供の頃に事故で死ぬところを当時の救命医療で救われた命です。もちろん死にたくはないですし、もっと生きてやりたいことはあります。家族に迷惑をかけたり悲しませたくないので、外出禁止も遵守して暮らしています。ただ、当たり前ですが人生はいつかは終わるものです。
生に執着するあまり自分の存在を過大評価せず、まだ先の長い若い人に譲る勇気を持ちたいのです。

これは極めて個人的な選択であり、一般的には体調の危険を感じたら直ちに必要な治療を受けるべきである点は繰り返し強調しておきますが、私自身は治療も検査も受けないつもりです。
この決断は私が移民であることと全く無関係とは言い切れないかもしれません。障害がある身ながらも居場所を与えてくれた国に、何かできることといえば納税と社会保障費の支払くらいですが、医療リソースを圧迫しないことで恩返しとまではならないにせよ、雀の涙にも満たない間接的な貢献ができればという思いはあります。権利を主張するばかりの移民でありたくはないですし、また、祖国日本の医療リソースに負担をかけることの無いよう、終息するまでは帰国しません。こんな風に考えるのは日本人だからなのかもしれませんね。

グローバリゼーションと独裁国家

世界中で膨大な数の人を死に至らしめ、甚大な経済的損失をもたらした新型コロナウイルス。経済的に追い詰められて生きていけなくなってしまう危惧もありますので被害者の人数が最終的にどのくらいになるのか想像もつきません。筆者は元々テレワークなのですが、それでも自粛とオリンピック延期で大きな痛手を被りました。

コロナショックでグローバリゼーションは終焉を迎えるでしょうか?
確かに今世紀に入りグローバル化の弊害ばかりがクローズアップされる事象が続き、この新型ウイルスの世界的な蔓延が不可逆的な致命傷をもたらしたように見えます。
ただそれでも、コロナ終息後も鎖国し続けるような極端な政策を採る国はおそらくないでしょう。
よく云われるように飛行機の無かった時代にも伝染病の蔓延は起こりましたし、そして自給自足で全てを賄えるような国ももはやほとんどないのですから。

であるならば尚更、世界の枠組とあり方は必然的に見直されるべき時です。
何故なら、グローバル化した世界に於いては、一国の情報隠蔽が如何に世界中に取り返しのつかない甚大な被害をもたらしうるかが明らかになったからです。

新型コロナウイルスが人工的なものであるかどうかや、生物兵器ではないかという疑惑、これらは現時点では不確かな噂、フェイクニュースの域を出ません。
そのような憶測よりもむしろ、昨年末の時点で事の重大さを認識し医師仲間に注意喚起した武漢の救急科の医師が激しい譴責を受け、失踪させられている点。このような隠蔽体質こそ大問題です。

そして中国外務省報道官による「米軍が武漢にコロナウイルスを持ち込んだ可能性がある」という言説は証拠を提示していない以上、卑怯な責任転嫁と見做さざるを得ません。

今はほとんど誰もそんな話を真に受けていませんし、かの国が出す数値データを信じている人も少ないでしょう。ですがあたかも真実かのごとく誤認されるようになるまで執拗に嘘をつき続けると、やがて嘘をついている者まで自身の嘘を信じるようになることがあります。ましてやとかく人は自らが信じたいものを信じる生き物。他国を悪者にする陰謀論は自国の責任を認めるよりも遥かに魅力的でしょう。世界最大の人口を持つ国の人民が嘘を信じるようになると、それはもはや歴史の捏造です。そしてそれは独裁国家では容易なのです。
極端な例え話をすれば、今から数十年後には「あれは日本が撒いたウイルスだ、だから日本は被害が少なかったのだ」という話にされないとも限りません。そうさせないためにも、ウイルスの発生源のみならず、責任の所在も明らかにしておくべきでしょう。

ところがSARS同様に中国内(武漢市)から発生したにもかかわらず隠蔽を画策し、あまつさえ認めるどころか他国の対応を批判する有様です。これは虚勢を張っていながら実は、巨大すぎる損害を被った世界の怒りの矛先が中国共産党に向くことを恐れているようにも見えます。中共が自ら責任を認めることは決してできないでしょう。

経済面で見れば、いち早く工場を再稼働させ世界中に医療品を売り捌き一人勝ち状態です。
それでなくともチャイナマネーに依存する国があまりにも多く、中国共産党によるウイグル人に対するジェノサイドが横行しているにも関わらず、西側諸国だけでなくウイグルと同じイスラム教の国々ですら見て見ぬふりです。

このような中共の恫喝外交を放置すれば、いずれ取り返しのつかない住みにくい世界になりかねません。民主主義は歪められ言論の自由を失い、自国の首相を批判しても逮捕される心配のなかった時代を懐かしむことにならなければいいのですが。日本がそのようにならないことを祈ります。フランス人を黙らせるのは厄介でしょうし武漢P4ラボとの関わりが深いフランスの動向にも注目しています。

もちろん一般の中国人が責められるべきではなく、彼等もまた被害者なのですから、中国人民が言論の自由を勝ち取れる日が来ることを願ってやみません。

地球環境と人類

ビル・ゲイツ氏が5年前に発していた警告は現実になってしまいました。

ひと度パンデミックが起こってしまえば、人間の経済活動基盤は想像以上に脆弱なものでした。
そして疫病の流行は昔からありましたが、それは自然の摂理が人口の抑制に動いている、とも解釈できるかもしれません。

地球温暖化の危機が叫ばれて久しいですが、これまで充分に有効な対策ができていいなかったところへ、コロナショックの数少ない、というよりは唯一のメリットですが、大気汚染が大幅に改善されましたよね。これは示唆に富んでいるように思えます。人類が経験したことのないような規模の行動制限を行って初めて挙げることのできた副次的な成果。とはいえロックダウンが終わればまた元の汚染レベルに戻るのに時間はかからないでしょう。

これは最後のチャンスではないでしょうか。事はもはや、地球全体でバランスを考え取り組まなければなりません。国レベルで争ったところで、地球に住めなくなれば一蓮托生なのですから。それが自由競争の結果なら、人類の敗北です。
環境問題やウイルス対策なども含め、より実行力のある国際的な枠組が必要でしょう。世界中の国々が団結せずに解決することは最早困難です。
そのためには経済優先の拝金主義を止め、抜け駆けや不正を抑止し、人口を増やし続けなければ維持できない経済成長の幻想から脱却する価値観の大きな転換が必要でしょう。
その際、言論を統制し正しい情報を開示しない独裁国家は容認できませんし、自国民を虐げ難民を発生させるような国家元首も放置できません。隣の国力が落ちたと見るや牙を向くような国も抑止しなければならないでしょう。WHOや、ジェノサイドを止められない国連を見ると、度々失敗してきたこれらの枠組を刷新すことが果たしてできるでしょうか。

実際には難しいでしょうね、国々が協力できるならもうしていますよね。もしそのような地球規模のサスティナブルな改革を断行しようとすれば、皮肉にも真逆の結果を招くかもしれません。人類は科学技術や医療を発展させ、かなりのところまでやって来てはいたのに、どうしてもモラルは一定水準以上に高まらず、挙げ句分断してしまうのはヒトのさがなのでしょうか。

だいぶ主語が大きくなりました。話を戻します。
つまり私は何もできないので、せめて個人的にできることを、自由意思で選択する次第です。
ですがそれは、私の命があなたのそれより軽いから、という訳ではありません。
ヒトはそれぞれに価値があり、またある意味平等に無価値でもあり、遠くから見れば誤差の範囲程度の違いしかないのですから。
そして生き延びることができたら、「こんなことを書いちゃってたのか〜」と、後年若干の安堵と恥ずかしさとでもって笑いたいものです。




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日本大好きなのにふと気付けば人生の三分の一パリ暮らしのデザイナーです。 デザイン・ウェブ制作会社 ABC Japon 代表取締役。 車イスだけどバンドでドラム叩いたりもしてます。人生無理。 https://www.kyo.com

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