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私が「お笑いバージン」を捨てた夜に考えたこと。ー又吉直樹『実験の夜』ー

 お笑いが苦手なのに、ついに吉本を見に行ってしまった。すべては又吉直樹さんのせいである。

「ねえ、又吉さんってどういう人?」

 私は関西出身なのだけど、今まで吉本新喜劇というものを見る機会がなく、毎年開催されているらしいお笑いのグランプリ(?)の内容もよく知らない。実際、劇場(渋谷のヨシモト∞ホール)に行ってショップを覗いてみたのだけれど、人気芸人さんたちをモチーフにしたグッズのラインナップを見ても、私が知っているのは「横澤夏子さん」だけだった。それくらいお笑いに疎いので、たぶんこのコラムでもすごくとんちんかんなことを書くと思うけど、「こいつしょーがねえな」というテンションで許してもらえると嬉しい。素人なので、そもそも「吉本」と漢字で書くのが合ってるのかさえ分からない。

 そんな私がついに「お笑いバージン」を捨てることとなった理由は、又吉直樹さんである。私はこの人のコラムが昔から好きで、あのちょっと薄暗くて不思議なユーモアを含んだ話し方や、和服をお召しになるのも素敵だなあと思っていた。

 ある日、テレビを見ていたら又吉さんが『辞書占い』みたいな遊びを紹介されていて(詳細は忘れてしまったが、ランダムに辞書を開いて選んだ単語がお悩みに対する答えになっているというような流れだった)私はめちゃくちゃびっくりした。
「まさか自分と同じことをやっている人がいたとは…!!」
と思ったからだ。

 あと私は学生時代、どこかの文学館で開催されていた太宰展のポスターをずっと自室に貼っていたくらいだったので(めちゃくちゃ恥ずかしいが、今でもそのポスターは好きで捨てられない)、自分と同じような暗いタイプの人がまさかお笑い業界にいるとは思わず嬉しかった。
 その後、いろんな人に「ねえ、又吉さんってどういう人?」と尋ね回ったので、今では又吉さんが何かに出演されると「又吉さんが今、NHK!」などと誰かから連絡がくる状態になっている(みなさんご協力ありがとう。どうかこれからもよろしく)。

21時半開演のイベントってなに!?

 そんな又吉さんが、これだけ有名になられた今でも月1で『実験の夜』と題された即興ライブを開催されているというのは情報として得ていたのだけれど、「そもそもいつやっていて、どうやってチケットを取るものなんだろう?」と長らく疑問だった。「ピース」の公式サイトを検索してみても、それらしきスケジュールは見当たらない。どうも演劇のように前もってチラシが配られたりするような公演ではないらしい。
 それにもしチケットが手に入ったとしても、「お笑いライブ」という体裁のものに私はついていけるのだろうか? 私が好きなのは文章を書いたり、喋ったりしている時の又吉さんだけかもしれない。そんな不安も正直あった。芸人・又吉直樹がどんなふうなのか、私はなにも知らなかったから。

 そしてある日、私はついに、又吉さんの告知ツイートを見つけることができた。

「2月23日(土)渋谷無限大ホールにて、『実験の夜』21時半開演です。そして、『実験の夜』の終わりに、深夜なので恐縮ですが、場所を移動して、もう一つ何かやろうと考えています。場所が25名で満員になるので、参加人数に限りはあるのですが、ぜひ。ちなみに参加者が0人でも開催します。」

 なんとこれがツイートされたのは、イベント前夜の22日だった。
それを見た瞬間「まじか」と呟いた。あらゆる方向から驚いた。
「告知がまさかの前日?」
「開演がなぜ21:30?」
「売れっ子なのに定員が25名の深夜イベント?」
「参加者が0人でも開催とはいかに?」

 もう「?」しかない。
実は今までにも、又吉さんが出演されるイベントには足を運んだことはあった。作家・中村文則さんとの対談イベントや、マームとジプシー『書を捨てよ町を出よう』にゲスト出演された時などである。その時は普通に前売り券をチケットセンターで購入すればよかったのだが、この『実験の夜』の突拍子のなさは何だろう? もうこれは見て確かめるしかない。
 私は慌てて吉本のチケットサイトにアクセスし、慣れない手続きを「わー」とか「ひー」とか言いながらこなして、なんとか立ち見席のチケットを手に入れた。チケットは1,800円だった。思ったより安い。

この人、頭の回転が速すぎる…!!

 翌日、私はグーグルマップを片手にヨシモト∞ホールに辿りついたものの、劇場の場所を間違えて7階まで行ってしまったり、立ち見席の列だと間違えてトイレの列に並んだり、失敗をしまくった。やっとこさ立ち見席で空いているスペースを見つけて荷物を下ろしたら、隣の女性に「そこにもう一人来るんで」と冷たく言い放たれてしまったりもした。もうルールが何一つ分からない。
 ヨシモト∞ホールは地下にあって、200人くらいのキャパの綺麗な劇場だった。若い女性だけでなく、男性客や年配の方もいて、全体的におしゃれな方が多いという印象を受けた。やがて又吉さんが一人で舞台に登場し、
「今日は100をテーマにしたい。何か僕らが面白いことをしたら、後ろのスクリーンに映し出されている数字が一つずつ減っていく。それが0になるまで僕たちはここから出られない」
というルールを説明して、他のメンバー3人を呼んだ。

 そこからが凄かった。なんせこれは実験の場で、基本的にすべてが即興なのだ。
「逆に絶対見つけたらあかんっていうルールの隠れんぼをしてみよう」
「ロマンチックにしか答えたらあかん大喜利をしよう」
といった下らない事を、大真面目にどんどん実行していくのだが、もちろん又吉さんの意図が他のメンバーにうまく伝わらない場合もあれば、観客にちゃんと届かない場合もある。その時の又吉さんの判断の下し方がとにかく見事だった。「ダメだ」と思ったら容赦なくそのネタを切り捨て、自分から手本を見せて場を引っぱったり、ストーリー設定をとっさに考えて他のメンバーをうまく導いたりする。まるで優秀な演出家の手腕を見ているようだった。「100」の数字を一時間でうまく減らせるように、どこまでも手早く冷静に全体を仕切っていく。

「この人、頭の回転が速すぎる」
「あのルックスを裏切る、強さと男気」
「実はめちゃくちゃタフで、芯がある人なのでは」

 突飛な発想にくすくす笑いながらも、いちいち感心しながら見た。こんな人が『火花』を書いたのか、納得だ、と思った。そして思い出したのだ。ああ、これはあの人の舞台に似ているぞ。イッセー尾形さんの一人芝居に。

「才能があるからこそ」観客に合わせられる

 私は学生時代、劇場スタッフのアルバイトをしていて、イッセーさんの舞台にほぼ全入りしたことがある。イッセーさんはいくつもの短い一人芝居を次々と着替えてはこなしていくのだが、少しでもウケない演目があるとセリフを変えたり、演目自体を削ってしまったりした。私たちからすると
「えっ、もったいない。確かにお客さんの反応は薄かったけど、すごく良い作品だったのに…」
と思えるようなものもどんどん切り捨てていく。なので初日と千秋楽では、その芝居は内容も上演時間もまったく違うものに変化していた。
 正直、あそこまで観客に合わせて作品を変えていくというのが、当時の私にはよく理解できなかった。それが自分のイズムであるなら、貫いてもいいんじゃないの? だってイッセーさんにはあれだけの才能があるんだから、もう少し粘ってもいい気がするのに…と。

 でも今なら分かる。「才能があるからこそ」観客に合わせられるのだ。彼らには無数の引き出しがあり、すぐに内容を差し替えることができる。そしてエンタテイメントが何たるかということも絶対に忘れないからこそ、彼らはつねに世の中に求められる存在でい続けられるのだろう。
 映画『沈黙—サイレンス』やドラマ『アシガール』でも、イッセーさんはすごく目立っていたし、一見「奔放すぎる演技」をしていた。でもあれはきっと、様々なものを取捨選択した上での表現なのだと思う。裏で慎重にコントロールしているのに、あたかも好き勝手に動いているように見えるなんて、実はめちゃくちゃプロで、かっこいいことではないだろうか。
 そんなことを、舞台上の又吉さんを見ながら思い出した。

 自分自身にはストイックなのに、アウトプットの方法は柔軟で自由自在。
それはとても特別なことで、誰にでもできることではない。

 その『実験の夜』の後、又吉さんは下北沢のカフェで自著『東京百景』の朗読イベントを開催されたらしい。場所は非公開で、チケットを手に入れた人だけに伝えられるという。『実験の夜』参加者の中から希望者で抽選を行ったのだが、私は残念ながら外れてしまった。そのイベントは24:30〜26:30までの予定だったので、参加した人たちは全員、帰宅難民決定だ。なんともロックな企画だなあと思う。こういうことをやっちゃう芥川賞作家、最高だ。

 初めてお笑いライブに参加した結論から言うと、芸人・又吉さんは、私の好きな作家・又吉さんと同じだった。当たり前かもしれないが、「お笑いが苦手」な私が見ても、又吉さんの舞台はとても魅力的だったし、小説やエッセイから垣間見れる人物像と変わらないなと思った。もうヨシモト∞ホールに行くのも怖くないし、「ピース」のネタも(今さらで申し訳ないけれど)チェックしていこうと思う(今のところ私が知っているのは「ハンサム男爵」のアレだけなので、皆さんオススメのネタを教えてください)

 あれから1週間が経つのに、私はいまだに「このお坊さん、絶対モテようとしてる。なぜ?」という大喜利に対して「袈裟がGUCCI」と答えた又吉さんを思い出して笑っている。
 そういうことが、今なんだか幸せで、とても嬉しい。

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