奇跡を奇跡で終わらせないために

ワールドカップ初戦ドイツ戦、日本代表は世界中の下馬評をひっくり返して優勝候補の強豪国に勝ちました。勝利の要因はいくつもあると思いますが、奇跡を祝福して歓喜に満ちたと同時にこのままでは日本は強くなれないなと確信してしまいました。あの勝利における監督の交代策、選手の頑張りは素晴らしかったです。ですが、あの奇跡を当たり前にすることはできないいでしょうか。私は日本代表は正しい監督がチームを率いることができるとワールドカップで毎大会ベスト8,4を目指すことができるチームになり得ると考えます。世界中での日本人選手の評価は高く、ヨーロッパのトップチームで活躍する選手ももはや珍しくありません。チームへの高い献身性、団結力は世界でもトップクラスだと思います。選手はトップクラスに近い選手が揃っています。では監督はどうでしょうか。代表の監督を務める森保監督のサッカーはいい意味でも悪い意味でも平凡です。単調な20年前のサッカーが森保監督の基本的なサッカーです。現代サッカーはここ数十年でヨーロッパを中心に目覚ましい発展を遂げました。その発展を支えたのは攻撃の多様化、守備の複雑化です。様々な形を見せる現代サッカーですが、残念ながら現代表を率いる森保一監督はその複雑さを理解できていない人物です。彼の現役時代に現代ほどの複雑さを持ったチームはほとんどありませんでした。あったとしても森保監督にそのサッカーと深く関わる機会はなかったと思います。そんな乏しい知識の中監督をし、チームを率いて4年が経ちチームとしての攻撃守備の最適解を見つけられないままこの祭典を迎えてしまいました。現在の戦術は選手がアイデアを出し合いチームの方針を決めているそうです。ですが、選手は90分360度からの相手からのプレッシャーと戦いながらプレーし一試合平均で12キロほどの距離を走らなければなりません。いくらヨーロッパのトップリーグでプレーしている彼らでも選手として戦術を決めるのは限界があります。監督の戦術とは配置は現代サッカーにおいて最重要点の一つです。その一つを欠落しつつドイツに勝てる日本にはサッカー大国になる明るい未来があるのではないかと私は考えます。
*(ここまで聞くと監督批判と捉える方もいると思いますが、森保監督も実は被害者の側面を持った人物です。現代サッカーはよくわからない人間に監督をさせているのは日本サッカー協会の会長、田嶋幸三氏です。彼に一番大きな責任があると私は考えます。森保監督の日本代表の監督を辞任したいというオファーを断り続け森保監督に無理をさせているのは田嶋会長であり、任命責任も彼に伴うからです。)
日本サッカーの監督に質を向上するには、日本サッカー協会の抜本的改革と監督への正当な評価をできる環境づくりと、日本人指導者の育成です。
日本サッカー協会の抜本的改革とは、ヨーロッパのサッカー強豪国の戦術を基準とした指導要領の改革です。年齢制限のあるサッカー日本代表、所謂、アンダー世代の監督や指導者は数十年前の指導法を現代も信じて採用しています。所属クラブでは代表よりも遥かにレベルの高い内容の戦術や練習をしてるのにも関わらず、世代別代表の監督は何も教えてくれないという内容の声は至るところで聞かれます。サッカーは他のスポーツに比べ個人戦の要素が少なく、サッカーは誰がどこでいつプレーをしてもいいスポーツなので個人での差は集団で埋めることが比較的可能です。日本のメジャースポーツが個人戦スポーツが多いのが起因しているのか、日本代表チームのポテンヒットを一番過小評価しているのは日本人かもしれません。ヨーロッパのトップクラスのチームの戦術をデータとして集め、代表選手を呼び決めたコンセプトに合う形を練習で監督が落とし込む、このような監督としての当たり前のことができる監督がいい監督だという評価基準を変えることがまず日本サッカー協会の変革の一部です。決して、監督は上の協会の言うことをよく聞くからなどという監督の実力を無視して使い勝手のいい人間を選ぶその選考における価値観から日本サッカー協会は変えなくてはなりません。ただ、日本人監督でこの成功例は数は多くありません。ですので、必然的にヨーロッパでの指導経験のある外国人監督と招聘する必要があります。故にこれは比較的短期的な目標になります。日本サッカーのレベルを飛躍的に上げるには母国の監督育成にも力を入れなければなりません。優秀な日本人監督を増やすことに一番効果的だと思われるのは、指導者ライセンス制度の変革、撤廃です。現在、指導者ライセンスの取得にはとてつもない時間がかかる上に、最上級、Jリーグのプロクラブを指揮できるほどのライセンス取得にはもともとその資格を持っている人間の紹介などという排他的なシステムがあります。これは現役を引退した選手が次の就職先として監督というポジションを取りやすくしている他ありません。”紹介”という謎の多い項目が必須事項になっていることから新興勢力に立場と職を奪われたくないという既得権益を守ろうとする思考が垣間見えます。ですが、これを完全に撤廃してしまうと危険な部分もあるので、個人的には少年少女の育成年代のある一定のレベル以上の指導者になる場合に必要な項目とし、Jリーグなどの企業が契約する監督に関しては基本的に自由にすべきだと考えます。企業が誰でも選べるとなると、指導者は自らをアピールすることにも集中し結果的により健全な競争が起き、指導者のレベルの向上にもつながると考えます。

以上の観点を向上させることは日本のサッカーのレベルアップに大きく影響し、日本がブラジル、ドイツ、スペインなどの世界の強豪国と肩を並べて戦うことも夢ではないと考えます。少なくとも私はそう信じています。


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