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私は今のチームで課長をする前、海外ビジネスを司るチームにいました。
このチームは地域ごとに担当が分かれていて、各地域一人ずつでした。即ち、私は一人で担当地域を持ち、海外子会社とやりとりをしてきました。
これはどう言うことかと言うと、自分はチームに属していない、と言うことになります。後輩も部下もいませんでした。上司はいますが、全地域の統括という立場なので、同じチームかと言うとちょっと違うところがあります。

こう言う状態で仕事をしていると、日々不安でしょうがありません。自分で考え、自分で交渉して、上申していました。自分なりにもちろん考えていますが、その考えが妥当だと言う材料にはどうしても限界があります。
上司はいましたが、当時の上司は「役員の言う通りにするのが自分の仕事」という思考停止タイプなので、私が意見しても、「そんな君の意見を言ってもしょうがなくて、早く役員のところに行って答えをもらってこないと」としか言いません。
これは苦しい。

仕事には正解はないと思っていますし、自分の意見が正しくなるほど世の中は単純ではないと思っています。何より、私の意見が正解ならば、仕事をしていても発見も成長もなく、なにより私自身が面白くない
だから、私は議論をして一人では見つけられなかった景色を作っていきたいと思っています。

そう思うと、今の私の環境は本当に恵まれています。キャラクターもキャリアも様々なメンバーがいて、ロジカルに意見すれば議論してくれる上司もいる。

他の記事にも書きましたが、昨年まで、私の上司は課長を兼任していました。そこに今年から私が入ったわけですが、上司曰く、「昨年までは自分が実務の目線と職制の目線両方を持たねばいけなかったから、どうしても答えが狭くなっていた。今はそれぞれの立場でアイデアを持ってきてくれるので、自分もアイデアが広がりやすい」とのことです。

やはり、岡目八目というのはあって、一人では思いつかなかったものが、他人の意見を見ることで新しく思いついたりするものです。

私は部下がいる立場ですが、部下の意見を見ることで思いつくことがあって楽しい。部下には、「上司に持っていって違う意見が出るとガッカリするかもしれないが、上司だって初めからそう思ってたわけじゃない。あなたのアイデアがあるから発想できたということを知っておいて欲しい」と話しています。

いつも心掛けているのは、打ち合わせで叩き台を持ってきてくれる人に感謝することです。
口が悪い人がいて、ボコボコにしたり、一歩間違うと人格否定するくらいの言い方をする人もいます。でも、叩き台が無ければ気付かなかったはずなのに、そのようなことを言ってはいけません。正解かを判定するのが打ち合わせの目的ではないはずです。

叩き台を出す人は、叩かれる可能性かあって持ってきます。間違いなく、会社、事業、世の中に貢献しています

議論の中で叩き台と違う方向にいくこともあるでしょう。でもそれは叩き台あってのこと。

勇気を持って叩き台を持ってきてくれる人に心から敬意を示して打ち合わせにのぞんでいきたいと思っています。

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