感覚を編む
現代はやたらと「自由」を叫び、選択を強いられる。どこに就職しようが、誰と結婚しようが、最後の意思決定は自分自身である。
けれど、心あたりがないだろうか?「選択をする」ことにとても疲弊を感じてしまった、と。
そもそも意思決定自体、難易度が高い。人間は面倒になると、考えるのを放棄してバイアスに流されるようにできているそうだ。
自由を強いられる現代の裏側は、なんだかんだで窮屈だったりする。
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そんな人生がデフォルトであるから、アートだとなおさら、どう楽しめばいいか、どう解釈すればいいか、分からないと嘆く気持ちはよく理解できる。
アートの楽しみ方や解釈に正解はない。だからこそあまりアートに関心がない人たちからすると、自身の周りでよく見る「流行りの楽しみ方」や「お手軽な楽しみ方」にシフトしていくのは当然の流れではないだろうか。
仕事の合間を縫ってアートを勉強してから美術館に行こう!アートの楽しみ方を勉強しよう!と強制するのもちょっとおかしい。
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私はアートにまったく詳しくないが、美術館がとても好きだ。しかしアートに詳しくない私がなぜ美術館に行くのか、理由はおもに3つある。
⑴面白そうな企画展があるから
⑵展示作品の興味関心よりも、「美術館」に入ってみたいから
⑶暇だから
1番の理由は、きっと多くの人が美術館に訪れる理由であり、共感してくれるだろう。
街なかで見つけたフライヤーや、SNSで流れてきた情報を見て、面白そうだと感じたら、どれだけ交通の便が悪かろうが足を運んでいる。
しかし私はこの理由で行くことは意外にも少ない。人気の企画展だと混雑が激しくなり、疲弊することもしばしばあるから。
実は大半を占めている理由が、2番目の『「美術館」に入ってみたいから』だ。
こういうと、SNSで映えさせる目的なのかと疑問が飛んできそうだが、実際のところ半々である。
私も美術館巡りが趣味となるまでは、美術館の楽しみ方がよく分からなかった。全作品の説明をじっくり読めばいいのか?お気に入りの作品を見つけなければならないのか?何かを学ばなければならないのか?
しかし私は、展示作品に感動することよりも、美術館の空間に感動している時間が長いことに気がついた。
建物の形、色味、案内サインから、美術館のまわりの環境、空気感や重みをじっと見ている自分に夢中になった。そのあふれた感動の先には、現代らしくSNSに載せて発信し、充実に浸っている。
そして3番目の理由も稀にある。旅先で時間が空いてしまったときはカフェに入るのではなく美術館に入っている。
企画展はもちろん、外観すらも下調べせずに入る美術館は新鮮で、あらたな出会いも導いてくれるからとても面白い。
フラッと入館できることを、もっと広めたい。もしかすると私は、美術館は想像以上にオープンな場所であると伝えたいがために、SNSで発信しているのかもしれない。
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自由を強いられる現代において、私がとにかく大切にしているマインドは、自分の感覚である。
写真を撮ってインスタにあげる行為も、作品をじっくり観賞する行為も、とても素敵な楽しみ方であり、作品について理解ができるもできないも、それぞれ独立した立派な姿勢だと感じている。
あくまでその姿勢が、自分の感覚であるかどうかが大事であるのだと、私は強く提唱したい。
私は美術館において、美術館にいる自分はとても素敵だ!と空間を味わうことにとても幸せを感じている。なぜなら美術館の空間が大好きだからだ。
この感覚は誰から勧められたのではなく、自分の感覚から編み出した「アートの楽しみ方」である。
あなたもまず、自分の感覚を編み出してみてはいかがだろう。編み出し方は、まずインターネットには載っていない。
今まで体験してきた自分の中にあるものから編んでいき、何に幸せを感じているのかを見つけ出していくと次第に見つかるはずだ。その感性は、必ず生活の幸せにつながっていく。
それぞれの楽しみ方に偏見を持った争いは、開かれていくアートの素晴らしさをを後退させていないだろうか。それよりも、自分らしく楽しめる何かのきっかけを探すことに集中した議論の方が、お互い幸せになるはずだ。
これはきっとアート・美術館だけの話ではなく、生活における楽しみ方すべてに通ずる話なのだろう。
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