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涅槃について考える



 葬儀の場で涅槃という言葉を知り、興味を持った。  涅槃とはサンスクリット語で「ニルヴァーナ」、「仏教における概念であり、繰り返す再生の輪廻から解放された状態のこと」である。
 仏教の世界では「生きることは苦しむこと」とされている。生き死にを繰り返す輪廻から解放された涅槃の世界は、生の苦しみの全くない、極楽浄土の世界なのかもしれない。

 涅槃を感じたことについて、まとめます。

 太宰治著『人間失格』の中に、「自分には幸福も不幸もありません。ただ、一切は過ぎて行きます。自分が今まで阿鼻叫喚で生きて来た所謂『人間』の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思はれたのは、それだけでした。ただ、一さいは過ぎて行きます」という文章がある。
 物語の終盤、主人公は、心身共に病んでいる状態でありながら、どこか幸せそうに見える。
 生きている人間に沸き起こるありとあらゆる感情から解放され、解脱する。本来ならば死後に迎えられる涅槃という極楽浄土に、生きながら到達したかのように感じられた。

 三島由紀夫著『金閣寺』に「殺仏殺祖」という、禅の教えが出てくる。「仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。父母に逢うては父母を殺せ。親眷に逢うては親眷殺せ。始めて解脱を得ん。」
 自分を惑わせるもの、自分に迫ってくるものは、例え仏であっても親であっても徹底して否定しなければいけないという教えだ。
 物語の中で、主人公が執着し続けた金閣寺という象徴。最終的に金閣寺の業から逃れた主人公は、解脱して、涅槃へと到達したのではないか。一度は死を選ぼうとした主人公も、最期は安楽の涅槃で生きる道を選んだのだ。

 これらの小説から、自分なりに涅槃を解釈し、理解することができた。人間の業から解放され、涅槃の世界で生きることは、とても幸福そうだ。生きることに疲れたら、涅槃を思い出す。
 涅槃という極楽浄土で、  死ぬまで幸せに生き続けたい。

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