当時社会人4年目だった私が抑うつと診断されるまで
皆さんこんにちは!
今回は社会人4年目にして「抑うつ状態」と診断されるまでについてお話しようと思います。
※センシティブな内容なので、苦手な方はここから先は読まないことをお勧めします。
まず最初に言いたいことは、心の病は
「誰しもがちょっとしたきっかけでなり得る」
と言うことです。
「どうせ私は大丈夫」「自分は明るいからそんなことありえない!」そう思う人も中にはいると思います。私もその手の人間でした。
それでは私が診断されるまでについて詳しくご説明しようと思います。
1.この仕事は天職だ!!
新卒で入社してから診断までの丸3年、私は本気でこう思っていました。
なんだかんだ今でも続けているので、本当に天職の可能性もあるかもしれないですが(笑)
引っ込み思案で極度の人見知り、自己肯定感も低めだけど話すことは大好きという矛盾した性格の私は、少しでも自分に自信を持つために大学卒業後は「営業職」に就きました。
広告系の営業をしていて、仕事とプライベートは割と割り切れる方だったので、お客様に人見知りせず毎日楽しくお客様と関わる日々。
元々秀でた才能や特技も無かった私は、目に見える成果にとにかく囚われていました。
囚われすぎていたせい(おかげ?)なのか成績が当時は常によく、3年目になる頃には2回昇進し、チームのマネジメントを任せてもらえるまでになりました。
今まで特技もなく、周りから期待もされてきたことがなかった私はなんとも言えない高揚感に包まれ「この仕事は私の天職だ!!!」と本気で思っていて、「ノルマは達成して当たり前」と考えていました。
この「ノルマは達成して当たり前」という固定概念が、後に私を苦しめることになります。
2.自分の固定概念に支配される
4年目になるタイミングで、人事異動がありました。
仕事内容としては変わらないものの、支店が変わり、部下も初めての中途社員かつ歳上。
そして前述した通り私は元々極度の人見知り。
知らない土地で知らない人たちと仕事をすること、はじめての歳上部下のマネジメントにとても悩むことが多かったです。
また、異動したタイミングで私が担当する予定だった大口のお客様の契約が満期になり終了。
その事も会社は分かっていたはずなのですが、その分の売上もノルマに乗せられていました。
引き継いですぐなので、数字も安定しないのはもちろん、大口分のカバーをすることが出来ない日々。頭では仕方ない部分もあると理解していたし、周りもフォローしてくれていましたが、毎日頭の中には「ノルマは達成して当たり前」「当たり前のことが出来ない自分は恥ずかしい人間」と言う言葉が流れ、そんな自分を責める日々が始まりました。
そこからは落ちていくまで本当に猛スピードで、毎日帰りの車では自分を責めて泣きじゃくり、ただ家族には心配をかけたくないので毎日楽しかった出来事を捏造して話していました。
そんな自分のことをまた責めたりして、辛かったです。
3.それは本当、突然に
そんな日々が始まり7ヶ月が経った頃、いつも通りコンビニで買ったコーヒーを片手に車で出勤しながらその日のスケジュールを頭の中で組んでいました。
会社まで後5分、というところで前の車が急ブレーキを踏んだので私も急いで踏み、そのタイミングでびっくりしてアイスコーヒーを落としました。
「ああ…!片付けなきゃ…!」そう思いながらコーヒーを拾おうとすると、急に(私何やってるんだろう)と頭によぎり涙が止まらなくなりました。
今まで夜に泣くことはありましたが、朝涙が止まらなくなることは初めてで戸惑い、思わずその日は会社を休むと上司に連絡をしました。
そこからの日々は本当に地獄。
一度ストッパーが外れると会社にも行けない日が増えたり、涙がどんな時でも止まらなくなったり、長時間の打ち合わせも出来なくなりました。
そしてその出来事から数ヶ月後、心配してくれた上司に診療内科に行くことを勧めててもらい来院し、抑うつ状態と診断されました。
4.それから
私の場合はそこからは周りのフォローに恵まれたり、元々軽め?で原因もはっきりしていたので1年半ほどで減薬→お試しで断薬期間までに回復を現在しています。
なので安心して読んでもらえると嬉しいです。
どうやってここまで乗り越えてきたのか、私のストレス発散法、治療についてなどは別の記事でまた書いていこうと思います。
それではまた次の記事でお会いしましょう!
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