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生者の想い

音楽を聴きながら書いたので
流しながらお読み頂けたら幸いです。


俺は冷静で狡い人間だと思う
一昨日夜中に母親から
涙をにじませて電話があった

おばあちゃんが亡くなった
インフル・流行り病が陽性から陰性になる
しかし年齢は95歳で肺を患っていた

大往生といっていい

俺はおばあちゃん子だった
大好きだし寂しいそれは数日経った今も
変わらない

10年前と言わず数年前なら大泣きしていた
だが大きい悲しみは来なかった

母親からの電話は夜中2時
仕事の作業を最低限終わり
かなりの速度超過で帰った

逝かないでと叫びつづけ
身体をさすり呼び戻せばあるいは
ありもしない奇跡を信じたい気持ち
ただ若い頃に息子を2人亡くしている
おばあちゃん

生者の寂しが
肉体からの離脱を引き留めていいのか
親父が亡くなった年齢は60歳
人は死ななくなるとnoteには書くが

順番という死生観はある

俺が今いってもできることもない
けど、衝動的に車を走らせた
母親が泣いている
それ以上の理由はいらなかった

病院にお願いしないで
自分で面倒をみると決めた母

その翌日の事だった
自分をせめている

8月に元気だったおばあちゃんは
年齢もあり
インフル・流行り病で体重は38キロまで減り
数年前に肺炎をしているから
わずかな隙間に逝ってしまった
到着時に看護師さんは来ていて

清められたおばあちゃんは
安らかだった
面影がないと聞いていたから
面影があるようにしてくれたのだろう

せっかく企画をやって
参加してくれているのに
滞らせてしまい申し訳ないです。
企画の選別は少し伸びるかもしれないです。

生者には生活があり
母、おばあちゃん、妹
3人で暮らしていて1人かけた寂しさは
今は俺が補いたいから
仲間にも無理をいいながら
ガソリンくってるのに文句もいわず
現地集合を理解してくれる

今は記事を書くのが精いっぱい(笑)
それは気持ち的なものかもしれないし
物理的には確かに移動が大変だ

自分を責める母を最初に慰めたのは
末の妹だった

大学生活を始めるため地元を離れたあの日
兄を見送る妹の寂しさが伝わり
何度もしぬわけじゃねーんだからと
当時まだ小学低学年だったからね

不覚にも妹の背中が大きいと思った

上の妹もいる京都で教員をしている
お母さんが心配だと連絡が入りまくる

兄弟3人同じ方を向いていた

おじいちゃんがいない分まで
甘やかしてくれた記憶が残るおばあちゃん
自宅で亡くなっているから
何度もおばあちゃんに声をかけてみる

おーい。
おきろー
あさですよー

やっぱり冷たい
俺自身本気なのかはわからない
なかったことにしたい
だが、なかったことにしたら
また苦しい毎日になる

それでも実家に帰ったらいつも
珈琲を飲むか?と
砂糖と牛乳を沢山いれてくれて
飲み終わるとまた尋ねてくる

今飲んだばかり!(笑)
認知とはいえない天然のある人だった(笑)

今年のお盆にかえったとき
なんか帰り際に泣かれたのを思い出す
もう会えないかもしれんからなと

しんみりしてたから
なに。お正月にまたあえるよと伝えたのに

起きたらアツアツの珈琲を
もってきてくれないかなと思う
だけど、でてきたとして
飲むかはわからない。

人の最善のタイミングは俺にはわからない
しかし、母親が痩せていて
みんな無理をしていたことに
気づかなかった

おばあちゃんが最善を選び
自ら歩いてくれた気がするんだ

これからまた仕事だ
生者は順番が来るまで頑張らないといけない
それが先に行ってしまった人たちに
甘えらる根拠のような気がするんだよ

無くすと大切なことに気づく事は多い
そんな間抜けはごめんと思いながらも
もう少し会いにきてたらなーって思う

もし読んでくれたら
たまに大切で距離ある人に
何気なくでいいから話してくれたらいいな
そんな人が増えたら立派な孫で
そんな素敵な孫がいるおばあちゃんは
だって鼻が高いでしょ(笑)

俺は冷静で狡い人間だと思う。

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