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僕が一番欲しかったもの

音楽を聴きながら書いたので
流しながらお読み頂ければ幸いです。

なんか、昨日夜中
ボールペンで描いた絵を只管
マウスで描きなおしていた。

全く別物だとコメントをもらったけど

同じものに見えるけども
それぞれ線から書き直している
もちろん、トレース(なぞり)は
しているけどね。

一覧で並ぶときに
俺のコンテンツには色がないし
そもそも俺はそれほど
心は根暗ではなくて根明だから

ボールペンだけみていると
病んでいる人に見えて

色を塗ると、いかがわしいデザインが
余計に病んでいる人に見えるという(笑)

絵を見て元気をもらえたと
ここnoteでもコメントをもらえたけど
どこかの国の外国の方にも
同じ言葉をもらえるとき

そりゃ文化の違いはあるけども
心は共通なのだろうなって思うよ

要するにそこに言葉の壁があるけど
絵というものはそれを超えていく。

そこを意識してしまうと
最近凄く違和感が生まれてしまって
noteで記事を書いて
コメントを閉じるのだけど

それをX(twitter)で紹介してくれて
コメントをつけられている。
紹介はありがたいけど
不義理でもそれにお礼をするのは
辞めようと思う。

1つにはnoteの補助効果のXが嫌なんだ

Xを開きタイムラインをみては
イイネをつけて、返ってくることもなく
何してるんだろうか?と思ってしまった。

それだっておはようとか
そういうことで終始しているような
tweetだったり

コミュニティーを望み
コミュニティーの中で名誉を重んじて
コミュニティーの中で身を守り
気づけば小さな世界で
敵だ味方だと騒いでいる

俺とあなたはこのnoteにおいて
記事を書いた人、読んでくれる人
それもそれを相互に繰り返すことで
安定感はでてくるかもしれないけども
同時に馴れもでてくるだろう

でも、Xではnoteも知っている人に
過ぎないという事。
Xでしか知らない人より距離が近い
担保にはならない
ただ、そう思えないとき
何かのSNSに偏りがある

まぁそれは悪いことではなく当然
だけど認識するしないで踏み外しは減る

世界の主流って交流だろうか?
あるいはフォロワーの数だろうか?
やたらとXではフォローをしてきて
それをベースに何かコンサルをしたい
そんな想いが透け透けだけど

お前から教えて貰えることは
結局コンテンツがなければ
空しさだけが残る生きた教訓だけだ

枠、宝箱を必死につくっているけど
肝心の宝が詰まっていない。
宝って俺自身だし、あなた自身でしょう
要するに中身。

でも、俺もフォロー増やしに
舵を切ることにした。

担保があるんだ。

それは絵が奇抜なことではない
それは色使いが明るい事ではない

正直売れるとしたら
ボールペンの画用紙の方だろう
それを考えたらマウス画って無駄なんだ

けど、楽しんでくれるならと凝りはじめたら
マウス画の方が時間がかかりはじめる

でも少しずつではあるけども
世界が俺を認めはじめている
オリジナルスタイルなんて言葉が
で始めた

最初は1人2人とはじまるものだ。
そんな言葉を自分に投げかけて
戦うことにした。
コミュニティーは大事だと思う

でも、そこをよりどころにしたくない
世界にコミュニティーを作りに行く?
それも違うんだよね。

世界を楽しませにいくんだ
それが俺のコンテンツなんだ

結局
画家になるとか
作家になるとか
そんな肩書はどうでもいいんだよ
そこにこだわれば張りぼてになる。

俺は世界を笑顔にしたいんだ

ただ、金は欲しい
それも目が眩むほどの!!(笑)
文章を書くなら読まないと
絵を描くなら観ないと
その過程で認知されていく

10冊も売れない作家より
1万人が楽しむような人になれたらいい
それだけのことさ(*^ー゚)b

世界との距離は果てしなく遠い
それはわかり始めた
だが同時にわかった
届くなってね。

心が距離を詰めていけることに気づいたから
俺のコンテンツは世界と戦える。

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