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noteスランプな時に

音楽を聴きながら書いたので
流しながらお読み頂ければ幸いです

毎日投稿がしんどいという記事を読んでいると
その記事がもう読める事を伝えたいのだけど

自然体で書けばいいという
俺のアドバイスはなかなか響かない

これだけ連投を続けているのに
連続投稿は10日まで到達していない

ちょいちょい切れるんだよね
そこに拘っていない

クリエイターって言葉があるから
皆少し襟を正すのかな

単に自分みたいなものが・・・と
自己肯定感が高くない状態でも
読んでもらうからにはと肩に力が入るのかな

きっといい人で真面目な人なんだよね
ふざけた人生を歩んできたからさ
そういう人を見ると少しだけ
もっと力を抜けばいいのにと思うんだよね

俺はスキの数は気にするけど
それでも単なる数字遊びで

クリエイターって何?って話だけど

読ませる文章を書ける人か
とてもきれいなイラストを描く人か
写真の魅せ方が凄い人なのか

正解のような正解じゃないような

定義なんて人それぞれだから
俺の定義を出せば

それは心を見せてくれる人

たった1枚出された写真に
7分魅入ったこともある。
何も語られないその写真は
心を物語ることがある

文章もそうさ
一生懸命書いたものより
それを出し続けた結果
疲れたんだーーー!と魂の叫びが
一番読めたりする

そんな気付きは本気だったから
結構感じている人は多いように思う

奇麗な文章を書こうとして心がでていないと
その文章はただの無機質なものになる

だけど記事を書くとき
苦しい想いを素直に綴れば
楽しい想いを素直に綴れば
哀しい想いを素直に綴れば

誰かに届くことがある

その心が届いたなら
俺にとってはあなたはクリエイターなんだ

書けない事がネタになると語る事がある
それは何でもネタになる
と伝えたいわけじゃない

書けないと思ったその苦しさは
そのままストレートな想いが乗るから
読ませる記事になるんだよ。

自分が心を乗せて書いたものを
くだらない日常なんか誰が読みたいの?と
あなたは思うかもしれないけど

そうじゃない

美味しそうな料理の写真をみて
誰のために想いをこめてつくったのか
そんなありきたりの日常を読めば
俺も頑張れるんだよね

個人的にはヒーローは要らない
共感できる隣人こそ
クリエイターだったりする

一張羅は毎日着られても
こっちも身構えて疲れちゃう

ジーパンでTシャツで
気軽な感じでいけばいい

文章を上手くなりたいとよく見るけど
本質が違う気がするんだ

文章もイラストも写真も
それは心を魅せる手段にすぎない
その練習をすればいいのだと思う

素直に心を出す練習かな?
さらに高騰テクニックは
哀しい事を書いた時でもさ
最後は明るく締めくくるとか
そういう練習をすればいいかも

書けなくなったことは
行き止まりじゃない
心の成長の中で起こるものだ

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