見出し画像

自己満

音楽を聴きながら書いたので
流しながらお読みいただければ幸いです。


なんだか記事を書いては
出さないで保留している
なんとも効率が悪い(笑)

どうも思っていることとは
裏腹な言葉が出るような気がする

本当言うと
飽きているのではないか?
それは記事を書くことに対して
無理して書いてないか?

これがスランプってやつか?
というとそうでもない

わりと出さない記事は
普段から結構多くて

何よりいつもそうだけど
必ずしも出すことを前提に記事を書いてない

それはどういうことかというと
視点って2つあるんだよね

それは書いた俺と読むあなた
それとは別に書いた俺と読む俺

自分の書いた記事で
人様を感化しようと
思いあがったものではなくてね
自分が割と感化されているんだ(笑)

要するに自己陶酔タイプの変態がいるなら
それは俺だということになります(笑)

だってそうでしょう?
人を満足させたって乾いていく
満足すべきはいつだって
自分だもの

逆に言えば
自分が楽しくないのに
人が楽しいわけないじゃない

面白い話は
たいして面白くない話でもさ
物凄い熱量で必死に語っていると
その滑稽味だけで笑えてきたりするんだよ

なんか突然電車の中で
笑い出したらみんなつられて
爆笑したYOUTUBEを紹介してもらった
こともあったな

多分、これだけ記事を書いているけど
3分の1くらいは出さずにお蔵入り
それがいわば俺のバックボーンかな

それって効率の良さからすると
無駄なんだけどね
だけどそれを踏まないと
言いたいことがわからなかったりするし

出せないけどこれは面白いなとか
ニヤニヤしたり
そういう事が楽しさにつながる

思うに
アインシュタインがどれほど
天才だろうとベロを出すように

星新一だって司馬遼太郎だった
きっと原稿を取りに来られる前に
思いっきりバカなことを
書いて遊んだりしたのではないか

そういう弛みの部分があるから
また張り詰めることもできるような
気がするんだよね

どこに向かうにしろ
将来どうなりたいビジョンがあるにしろ
最短の道だと思って進むとき
寄り道は絶対必要で
その部分がより深みになることはある

思うにnoteスランプになる人は
スランプになって嘆くより
書けないこともまた成長痛のようにさ
まぁそんなときは

誰も読まないけど
自分を笑かしてみたりするといいかもね
そういう無駄なことが
実は最短だったりもするのかなとか

あなたは
そんな生真面目な人だったか?
どこかでふざけたい人じゃないの?

肩の力を抜くことができれば
全力投球もできるようになる

面白いもので
人って滑稽でそういう面が好きなのに
自分がいざ滑稽になることは嫌うんだよね

そんなに賢いと思われないことで
案外賢いと思ってもらえることもある

柔よく剛を制す
そんなことは確かにあるよね


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?