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-Calling-


独りに押し潰されそうなとき
繰り返し繰り返し聴く曲がある

言い聞かせるかのように
あるいは
救けを求めるかのように

繰り返し 繰り返し 



ドラマ『ガラスの仮面』の主題歌として、毎週のように聞いていた小学校の頃から好きな曲ではあったけど。 
 
あのときは、十五年、二十年という時を超えて、こんなにも自分を支えてくれる曲になるなんて思ってはいなかった。




この声が聞こえるかい
wow wow wow wow
今なら聞こえるかい
どうか苦しまないで



「calling」って、「天職」って意味もあるんだよ。 

天職。使命。

ソウルワーク。
ライトワーク。 

天に導かれて進むと決めること。 

魂に沿って生きるということ。 

その苦しさも喜びも、逼迫も煽情も、
すべてがこの曲には込められている気がする。

 


けがれなき想いが ぼくらを呼んでいる
I can hear the calling


どれだけ離れ 顔が見えなくても 互いに忘れないのは
必要とし 必要とされていること それがすべて
他には何もない

きみといるとき ぼくはぼくになれる そういう気がする

言葉よりはやく わかりあえる 輝く瞬間 あざやかに

いままでもこれからも
約束などすることはないだろう

だれにも真似できない 同じ夢を見よう
Can you hear the calling?


「ツインレイ」というものも、 
それぞれが、それぞれ「自分の魂の声に従って生きる」ということを決めたときに交わる相手だと思う。 


だから、相手との間に、一切の約束や保証や、確証はない。


フォーカス対象は、自分。 


相手との関係や距離、過ごした時間、
相手の言動がどうこう、、、
ということではなくて、
焦点を当てる必要があるのは、自分自身。


ただ、自分を信じることができるかどうか。 


誰に否定されても、誰に笑われても、
誰にどんな拒絶を受けたとしても、 
それが例え「相手から」であろうとも、

ただ、自分が信じたものを信じ抜くことができるかどうか。

自分が心から求めるものに、自ら手を伸ばすことができるかどうか。 


誰にも認めてもらえない自分を、
自分だけは認めることができるかどうか。
赦すことができるかどうか。
受け容れることができるかどうか。


自分のことを「無条件に愛する」と決めたときに、
ようやく切り拓かれる道。 


いつ辿り着けるかも分からない。
本当に辿り着くのかも分からない。


終わりも完成も見えないセカイ。 


距離にも、時間にも、言葉にも、形にも、何にも囚われずに、
ただ「見えないチカラ」に従うことができるかどうか。

「自分にだけ聴こえている声」に素直に導かれることができるかどうか。


社会や常識を超えたところにあるセカイ。 

時間や空間を超えたところにあるセカイ。


普通に生きていたら、到底信じられない、
これまでに経験したことのないセカイだから、
誰だって立ちすくんで、逃げたくもなる。目を逸らしたくもなる。 


 

だから

繰り返し 繰り返し 
確かめるんだ
 
その声を

この声を




それにしても・・・
 
稲葉さん。 
どうして、こんなにカッコいいんだろう
 
溢れ出る色気。野性味。爆発力。 
 

色気って、
本気で自分を生きている人から放たれる引力なんだと思う。 

抑えられないもの。
表面的でないもの。 
人間の本能に訴えるもの。 

つくろうと思ってつくれるものではなくて、
醸し出そうと思って醸し出せるものでもない。 


だから、みんな、その理由が知りたくて、その出所が知りたくて、
自分もそれを手に入れたくて、引き寄せられてしまうんではないだろうか?

誰だって本当は、聴こえているんじゃないだろうか?





ご支援、誠に感謝します♡♡♡