桜を見に岐阜へ行く〜樹齢1500年・根尾谷淡墨桜〜
母「岐阜で見たい桜がある」
ということで、ついていきました。
根尾谷淡墨桜。私はその時に教えられて知りましたが、日本三大桜の1つのようです。樹齢は1500年と言われていて、継体天皇(聖徳太子の曾お爺さんらしい)が昔植えたと言われている、大昔からの巨木。そんな1本の桜を見るために、岐阜へ行きました。
京都から1泊2日、プチ旅行の記録をしたいと思います。
目次を見たらわかる通り、桜を見る以外はほとんど何もしていませんので…
1日目:大垣城観光、淡墨桜ライトアップ
9時半ごろに京都を出発。目的地は岐阜の中でもかなり西にありますし、JRの在来線で向かいます。滋賀の米原で普通列車に乗り換え、岐阜県へ入ります。途中、かの有名な関ケ原を通ると、もうまもなく大垣です。
というのも、大垣にある大垣城は、関ケ原の戦いの前に、石田三成がいたお城だったようなのです。その辺の詳しいことは大垣城内の展示に詳しく書かれています。
大垣に着き、取り敢えずご飯を…と歩いていると、駅前の商店街で立派な構えのお菓子屋さんを発見しました。
よく見ると「水まんじゅう」を売っています。大垣名物と言えば、水まんじゅう。母の目当てだったようで、お昼ご飯もまだという空腹の中、イートインしました。
私、実はあんこがあまり好きじゃないんですよね。だから1つで良いかなと思っていたのですが、2つからしかイートインできなさそうだったので、2つ頼みました。
するとびっくり、予想をはるかに超える美味しさでした。まさか、こんなにおいしいとは思わず、少し感動した位です。冷たいからなのか、周りのつるりとした生地のおかげなのか、あんこのボソボソと主張してくる感じが全くありませんでした。
この日はあいにくの雨で、岐阜では小雨だったものの、京都ではかなり激しく降っていました。桜を見るためにわざわざ県境を2つまたぐのに…と思って少し気持ちが萎えていたのですが、何だか晴れやかな気持ちになりました。美味しいものって人を支配しますね。
食べ終わると、俄然昼食を食べたい気持ちが強くなりました。気持ちは晴れ、食欲は刺激されたわけです。お店を出て、商店街をお城の方へ近づいていきます。するとコスパのよさそうなお寿司屋さんを発見しました。
「寿し吉」さん。母親が何だかよさそうだと判断したようで、入ることにしました。かくして海なし県に来てお寿司を食べることになったわけです。
お店は全てカウンターで、目の前で握る式の高そうなデザインでした。しかし、昼のセット(椀物、茶碗蒸し、握り、果物)は800円です。昔京都岩倉でも似たような雰囲気で、お昼のセットが3桁のお寿司屋さんを見つけたことがあります。太陽の思わぬ恩恵です。
昼食を終えると、再び城の方へ歩いていきます。
しばらく歩くと見えてきました。
入口の桜ははらはらと散った花びらが雨に降られ、美しく濡れ輝いています。今まで見たどの城の門よりも美しく感じました。
今はこじんまりとしてしまった大垣城ですが、花の絨毯に飾られて雨に濡れる様子には何だかプライドを感じますね。
昔は幾つもの堀に囲まれ、かなり立派だったと思しき大垣城も、今は再建された天守が小さな公園の中に佇むのみです。中は資料館になっていて、主に関ケ原の戦い前後の大垣城、城を取り巻く人々について紹介されていました。入場券は隣の郷土館と共通になっていて、こういうものが割と好きな私にとっては楽しい時間でした。
関ケ原には関ケ原古戦場記念館というかなりお金をかけていそうな最新型資料館があるのですが、そこと合わせて見ても良いのかもしれません。ここがまさしく天下を分けた場所だったわけです。
お城を見た後は、郷土館へ。こちらでも桜が出迎えてくれました。
実は私の傘は広げると桜のようになる傘で、それを夏も秋も冬も平気で使っているのですが、遂に桜と桜傘で写真を撮りました。やっぱり雨には雨の美しさがあるし、雨の楽しみがあるものですね。
郷土館は大垣祭や、江戸時代に大垣を治めていた戸田家についての展示などがありました。
郷土館を見終わった後は、駅の方へ。この後樽見鉄道というローカル線に乗って、お目当ての桜へ向かいます。ただ、まだ時間が1時間ほどあったので、近くのカフェに入りました。
「masu cafe」さん。面白いカフェです。
見ての通り、プリンもお茶もコーヒーも、全て枡の中に入っているのです。大垣市にある枡メーカーがやっているカフェのようで、店内は枡だらけ。テーブルにも壁にも枡がはめ込まれています。
カフェでまったりした後、駅へ向かいます。樽見鉄道はJRではないので、切符購入では最初に「樽見鉄道」ボタンをタッチしないといけません。改札をJRと一緒にしているため、てっきりJRだと思っていた私は購入にてこずりました(買いたい金額が出てこなかった)。
駅員さんに教えてもらって切符を買い、ホームへ。1両でポツンと待っていました。
発車すると、いつも乗っている電車とは明らかに違う音がしたから響いてきます。電気で走っている「電車」ではない、ということでしょうか?山を上って行くことと関係があるのかもしれません。
大垣駅で座席はほとんど埋まりましたが、「モレラ岐阜」で大勢下りていきました。大型ショッピングモールがあるようです。列車が山を登る頃には数組の乗客になっていました。
車窓からはコンスタントに桜が見え、桜並木もいくつか見えました。大垣へ来る途中も桜が咲いているのが窓から見えましたが、この沿線は随分多いものです。駅の周りに桜をたくさん植えている駅もいくつかあって、大変綺麗な列車旅でした。
もう暗くなってしまって、カメラ撮影に向かない時間だったのが残念です。
終点、樽見で降ります。ここからが旅の本番。
電車を降りると、まずは予約していた旅館へ。駅からすぐ近くにある「住吉屋」さん。
宇野千代さんという作家をご存知でしょうか。母はこの作家が大好きなのですが、どうも昔淡墨桜を見に来た宇野千代がこの旅館に泊まったそうです。その折にこの桜を紹介したのもあって、母はこの桜を見たがっていたのでしょう。そんなわけでこちらの旅館を予約したのでした。
チェックインをしている時、さっそく母が宇野千代の話をしていました。ご主人は生前の宇野千代さんに会ったことがあるようで、「懐かしいですね」と言っていました。桜好きで知られる宇野千代は毎年淡墨桜を見に来ていて、そのたびにこの旅館に泊まっていたようです。宇野千代ゆかりのものを飾っている部屋に後で案内してもらえることになりました。
客室は受付や食堂のある建物の隣にある、客室棟にあります。高校生くらいの男の子が案内してくれたのですが、後で聞くと、どうもご主人と女将さんのお孫さんのようでした。4人いて、食事の時も料理を運んだり、ずっと手伝っていました。
客室棟は古いようで、母が少し匂うと言っていました。その時は古い建物だしすぐ慣れるだろうと思って、そのまま夕食へ行きました。
夕食はとてもおいしかったです。特に、あゆの甘露煮だったと思うのですが、1匹が大きいし、柔らかくておいしかったです。また、名物の豆乳そばもおいしかったです。
夕食後は散歩がてら淡墨桜のライトアップを見に行きます。桜は旅館から歩いて15分ほど。結構暗いですが、ところどころに明かりはあるのでちゃんと歩けました。
駅からは逆方向に歩いて川を渡り、しばらく山の方へ坂を上ると、駐車場が見えてきます。そこから更に少し上ると、道の両脇には閉まっている屋台が。昼は営業しているのでしょう。屋台の上に白く光る桜の頂上を見出し、少し気持ちが高まります。
そして桜の前へ
暗い公園の中で1本だけ、白く、大きな桜の木が光っていました。木の周りには柵が立てられ、かなり広い空間が立ち入り禁止になっています。周りの看板を読んで知ったことですが、根の保全のため立ち入り禁止になっているようで、過去に何度も枯死の危機を人の手で救われてきたようでした。てっきり健康に1500年を過ごしていたのかと思っていたので、少し驚きましたね。
雨がしとしと降っていて、人は少なく、静かに桜を見ることが出来ました。何だか御神体でもおかしくなさそうな、立派な桜でした。見る角度によって姿が変わるのも面白く、周囲をうろうろして眺めました。
既に19:30頃だったとは思うのですが、近くでは「Neo cafe」というカフェががまだ営業していました。店内から桜が見えそうだったので、明日行こうという話になりました。
旅館に戻り、約束通り宇野千代さんゆかりの物を置いてる部屋へ。部屋は受付や食事場所のある棟にありました。直筆の色紙や写真、淡墨桜について紹介した文章が飾られていて、私はその時初めて宇野千代さんの文章を読みました。文章には雨の降る中見に行くと桜は枯れる寸前で、痛々しい様子に宇野千代が大変心を痛めたことが書かれています。私が見た桜は力強く花を咲かせていましたが、宇野千代が見に来たときはもう枯死寸前だったようです。
後で知ったことですが、この時は宇野千代さんの働きかけもあって、淡墨桜の延命治療が行われたようです。とすると私がこの桜を見たのも宇野千代さんを私の母が好きだからで、桜が今生きているのも宇野千代さん含め多くの方の努力があってのもの…
宇野千代さんは毎年桜を見ていたわけですが、この桜を見るとエネルギーがもらえるように感じたようでした。「桜にエネルギーを貰いに見に来る人もいるし、逆に桜にエネルギーを返したいと思って来る人もいる」と女将さんは話していました。
そして女将さんの話によると、この旅館では毎年、宇野千代さんの秘書たちがまだ集まっているとのことでした。母は宇野千代が宿泊した部屋を見てみたいと言っていましたが、残念ながらもう無いとのこと。
旅館は6代続いた随分歴史ある旅館のようですが、後継ぎがいないのでもう私達で終わりだと言うことも女将さんは話していました。「宿泊棟も建て替えた方が良いんだけど、もう終わりだからねえ」と言うので、匂いの元に納得してしまいます。色々と見せてもらい、話をして、部屋へ戻ります。
と、ここまではまだよかったのですが、ここからが問題でした。
やはり部屋が匂うのです。なんだかじめじめとして、かび臭い匂いでした。しかもまだ使っていない部屋になぜか綿棒が落ちているのです。私たちは綿棒を持ってきていませんし、旅館には綿棒が置かれていない。なのに…置かれている浴衣や布団も、うっすらと部屋のにおいが漂います。
しかしどうしようもありません。ここで1晩過ごすしかないのです。お風呂に入りじっと本を読んでいると、山の上なので随分冷えてきたのですが、「エアコンだって長い間使っていないんじゃないの」と母が言うのでなかなか点ける気になれません。
結局、寝る段になって点けることにしました。母はあまり喉が良くないので、朝の3時ごろに母が咳をする声で目を覚ましました。その後寝ようとするのですが、かび臭い匂いにまだ鼻が慣れないのです。漂う不快臭を鼻が敏感にキャッチし、ニオイ分子が自分の鼻腔に入ってきているのだと思って気分が悪くなりました。
それでもいつの間にか眠りに落ちて、起きた時には鼻が慣れていました。
2日目:淡墨桜
翌朝は6時に起きて、早朝の桜を見に行くことにしました。外は大変寒く、凍えながら川を渡り、坂を上ります。
川は深く綺麗な青色で、桜も目立ちました。
まだ6時半でしたが、桜の周りは夜よりも人が多く、立派なカメラを構えた人が目立ちました。
昨晩のカメラではうまく映っていませんが、本当は桜の後ろにもう1本の桜が咲いています。そのおかげで日中はより大きく見えます。貴人の付き人のようですね。
ちょうど山の向こうから朝日が差し込んで、桜が太陽の光を受けています。昨日の雨が嘘のように、空は綺麗な水色。車いすに乗ったおばあさんが、「靴下を二枚重ねにすればよかった」と言いながら嬉しそうに眺めていました。
かなり寒かったので、しばらく見て宿へ帰りました。ただ、かび臭い匂いやじめじめした匂いが籠った部屋の空気を入れ替えるため、部屋の窓を開けて出かけていたのでした。
部屋も寒いと嫌だな、でも空気が悪いのも嫌だと思いながらドアを開けると、部屋の濁った空気は、籠ったままでした。
幸か不幸か…正直、こんなにも速くチェックアウトしたいと思ったことはありません。「もう経営する気が無いんだろうね」と母は言っていました。いそいそと身だしなみを整え、荷物をまとめ、荷物を背負って朝食を食べに行きます。
チェックアウト後は再び桜のもとへ。三顧の礼ですね(勧誘するわけじゃないので、違うけれど)。
人はさらに増えていて母親は少し残念そうでしたが、「1本の桜を見るためにこんな山の方まで来るなんて、平和な感じで良いよね」と言うと、この言葉が随分気に入ったようでした。
何だか落ち着かない旅館だったので、母のコーヒー補給も兼ねて、昨夜見たカフェに入ることにしました。
とても素敵なカフェです。写真の通り大きな窓があって、小さなカフェはどこからでも桜を眺められました。
外はかなり風が吹いていて、ひらひらと舞う桜の花びらを眺めながら、美味しいケーキと紅茶を頂きました。とっても贅沢で落ち着く時間でした。普段カフェに行くと本を読んだりスマホをいじったりしているのですが、ここではずっと外の桜を眺めていました。
お店はオーナーの自宅のようで、自宅の前が、自宅と桜のある公園の、敷地の境目になっているとのこと。こんな素敵なところに住めるものなんですね。
お店を出た後は桜の後ろの方へ
淡墨桜の後ろで控えていた若い桜は、二世のようでした。
二世の更に後ろ、階段を上ったところには観音堂と弘法堂があります。早朝の部分で紹介したお堂です。観音堂のご本尊は、淡墨桜から作られたもののようでした。お参りをします。
参拝後は、近くにあるさくら資料館へ行きました。資料館では淡墨桜が何度も天災に遭いながら桜守たちの手で何度も復活してきたことを中心に、展示や紹介がされていました。中には宇野千代さんの紹介もあり、資料館の隣には宇野千代さんデザインのグッズを販売するお店もありました。
資料館を出た後、公園をうろうろしていると、赤い吊り橋を見つけました。
前を行く人について何となく歩いていくと、小さな展望台が。
展望台を下りると、そろそろ駅に向かう時間です。
桜の文章を書く人。それを読んで訪れる人。
訪れた先で、桜を守る人のことを知り、桜が縁となって毎年集まる人がいることを知り、桜を囲んで喜ぶ人を見ました。この桜は1500年もの長い間、人をこうやって繋げ続けてきたのでしょうか。
近くには、淡墨桜を植えたと言われる継体天皇の歌が紹介されています。桜は、政争を避けてこの地へ来た継体天皇が、都へ上るためこの地を離れる時、植えたものと言われています。
身の代と遺す桜は薄住よ 千代に其の名を栄盛へ止むる
あの臭気籠る旅館も、桜の輪の内にある1つです。継ぐ人がいないために建物の再建もせずそのまま長い歴史に幕を閉じてしまうのは、なんとも切ないことのようにも思われます。
樽見駅に向かうと、昨日は閑散としていた駅舎に多くの人がいて、列を作って列車を待っていました。淡墨桜の周辺では、川の向こうまで駐車場待ちの車が列を作っていたので、本当に大人気です。
切符は待ち列に駅員さんがやってきて、直接買うスタイル。どこに行くかと聞かれましたが、実は行先を決めていませんでした。「華厳寺」というお寺があり、参道には飲食店もあると聞いて、「谷汲口」駅までの切符を購入しました。
満員列車に揺られ、谷汲口で降車。
しかし、無計画が祟りまして。華厳寺へ向かうバスはあるものの、それに乗ると着いた瞬間最終バスで戻らなければならないようだということが判明。仕方ありません。ただお腹は空いているので、地図上で近くのカフェを見つけ、行ってみることに。
歩いて10分ほどだったので取り敢えず行くことにしたものの、どうもカフェはやっていないようでした。空腹を抱えながら駅へ戻ります。
すると丁度よいところに、次の列車がやってきました。駅には古い車両が展示されていたので少し見たかったのですが、列車が来たので乗り込むことに。
大垣へ戻ると、ずっと立ちっぱなし歩きっぱなしだったせいで、母はもう足が限界のようでした。駅に併設されたご飯屋さんで遅い昼食を食べます。
食後は最初に訪れた金蝶園総本堂でお土産を買い、京都へ帰ることにしました。
米原で新快速に乗り換えると、もう夕日の時刻でした。空は紫がかった赤色で覆われ、田んぼや川も全て、同じ色で染まっています。そんな中を時折、青みがかった桜色の木が通り過ぎます。
しばらく窓の外を眺めて本に目を落とし、再び顔を上げた時には、日は沈み、淡い藍色の空が広がっていました。
家に帰って結んでいた髪を下ろすと、旅館の部屋のにおいがうっすら鼻を掠めました(力なく笑う)。まあ、もういいんです。
ではこれくらいで
p.s.
iPhone以外の写真はSonyのコンパクトデジタルカメラ、RX100Ⅴで撮影しています。
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