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年間読書人氏の記事を添削する 第一回:「たつき 『けものフレンズ』 の非凡性 : 演出家・たつき監督のすごさについて」

序文-年間読書人って誰?-

どうもこんにちは ”車輪の再発明”です。

βテストはいつ来るのか教えてくれよ

いきなりですが最近、真フレ(※1)界隈で年間読書人なる人物が話題となっております。
具体的にどんな人か?というと
・アニメーション監督であるたつき氏の大ファンで、たつき氏がプロジェクトにいない現行けもフレアンチ
・趣味は漫画アニメ書籍の評論であり、膨大な量の記事を投稿している(その割には文章がなんというか・・・・・・稚拙)
・「ネトウヨいじめ」を趣味にしている(多分あらゆる趣味の中で最悪の部類に入ると思う)
こんな感じの御仁で、その人柄や文章のインパクトから、最近不作気味のたつき信者=珍獣(※2)界隈に現れた金輪際現れない一番星の生まれ変わりとして、誰もが目を奪われている状態です。
好きな相手は?タイプは?さぁ答えて
といった感じでより深く知りたい方は、以下のnoteに詳しく記載されておりますのでご参照くださいませ。

 そこで、本日はそんな彼の文章の添削を行っていきたいと思います。

理由-なんで添削するの?-

 「他人様の文章を添削するなんて、もるにあの怨霊って奴は結構傲慢だな」 
 なんて思われる方もいらっしゃると思いますが、これにはきちんとした理由があります。

 最初に伝えた通り、年間読書人氏はたつき(アニメーション監督)のファンで、漫画アニメ書籍評論を行っております。
 そして必然的に、たつき監督および彼が担当したアニメ けものフレンズ無印(以下無印)を賞賛し、反対に彼が関わっていないアニメ けものフレンズ2(以下2)を貶す評論を複数投稿しております。

 つまりはこれらnoteをたつき監督信者が見てしまうというリスクが存在するのです。
 どこがリスクだよ!?どっちもハッピーハッピーじゃん!と思った方、普通はそれが正しいです。ただしこれには読書人氏とたつき信者のやっかいな性質が関わっております。

 最初に述べた通り、読書人氏の文章は死ぬほど読みにくいです。(具体的な読みづらポイントは後述します) 
 そしてたつき信者の方もたつき監督降板に関わる騒動にて
 テレ東「アニメ無印に関わる費用・報酬はたつきサイドにちゃんと支払っています」(当時はたつきのツイッター告発放火にて、「テレ東がアニメ無印の報酬をたつきサイドに支払ってないんじゃないか疑惑」があったので、その釈明)
 テレ東「TVアニメの監督が交代するのはままあることです
 これら2つを悪魔合体させ、
 「テレ東が「未払いはままあること」と発言した!!!!」
 というマジカル読解力を発揮した事件があるレベルで文章を理解する力に欠陥があります
 そして読書人氏は(上記の吉成学人氏のnoteに詳しい)、例え思想や立場が同じであっても、些細な方向性の違いでブチ切れ、相手をボロクソに貶し始めるというトリコの特殊調理食材レベルの面倒くささを持ちます。

 これら3つを合体させると、
・滅茶苦茶読みづらい読書人氏のnoteを見てたつき信者が解釈違いをする
・たつき信者の解釈違いに読書人氏がブチ切れ、相手を徹底的に中傷する
・内ゲバによりたつき信者界隈がえらいことになる
 という志を同じくする同士が攻撃し合うという悲劇が発生することは想像に難くないでしょう。
 実際、こちらのnoteにてたつき監督ファン(信者ではなくあえてこう表記します)のアッキー氏に読書人氏が攻撃を行っています。

 そのような悲劇を防ぐため、読書人氏の文章を分かりやすくなるよう添削し、たつき信者の皆様にも理解できるように改善していく必要があるのです。

問題-どこがどうダメなの?-

 背景の説明をしていたら前置きが滅茶苦茶長くなりました。というワケで早速添削に入りましょう
今回添削する記事は~~~~こちらッ!

タイトルの通り、たつきのアニメ監督としての凄さを持ち上げるものになっております。文章の大まかな構成は
①読書人氏の考える「表現力」について
②たつき監督のどこが凄いか
③たつき抜きけもフレのどこがダメか

となっています。

それでは早速、読書人氏の文章の問題点を見ていきましょう

1.無駄が多すぎる

具体例として、上記に示した①読書人氏の考える「表現力」についてを見てみましょう。

たぶん、『けものフレンズ2』(以下『2』と表記)を、たつき監督による『けものフレンズ』(以下『1』と表記)と同様に楽しめる人というのは、実際のところ、その区別がついていないのだと思う。
〈中略〉
「ボクシング」ファンは多くても、「ボクシング」ができる人はごく一部であり、「ボクシングのできる人」の中でも「プロ」になれるほどの力がある人は、ごくごく一部なのだ。
それを、すべて引っくるめて「ボクシング好き」という言葉で表現し、さも「内容的にも、ほぼ同じ=同等」だなどと考えるのは、所詮、現実にある「違い(格差)」を見ようとしない、誤魔化しでしかないだろう。
〈超中略〉
だが、「絵が上手い」と一言で言っても、それは「デッサン力」だけの問題ではない。
同程度の「デッサン力」があっても、そこには「表現力のある人」と(比較的)「表現力ない人」がいる。
〈ハイパー中略〉
しかし、ならばどうして「原作どおりであればいい」などという考え方に支配されるのかといえば、それは「生き生きした表現」と「そうではない表現」との区別がつかない鑑賞者が、その区別のつかなさにおいて「原作どおりであればいい」と要求しがちだからである。

https://note.com/nenkandokusyojin/n/n6859548964a3

以上、しめて5765字となります。

長っっっっっっっっが!!!いや長ぇよ!
長すぎて大陸ソシャゲの巨乳キャラを見た時みたいになってしまいましたが、改めて見てもまぁ長いこと。この記事の前置きも1400字程と結構長いですが、その4倍以上です。
しかし長くても中身があればいいんですよ。問題は・・・・・・どう考えても無駄な部分が多すぎるということです。

例えば、「泣いている」といっても、ただ「涙を流していればいい」というものではない。「嬉し泣き」もあれば「悔し泣き」もある。その程度のわかりやすい区別なら「口や眉」の形で区別もできるだろうが、「大切なものを失い、その喪失感によって、本人も自覚しないままに、静かに涙を流し続けている」となると、そこでは「表現力」の違いが大きく出てしまうだろう。そもそも「鈍感」であり、その意味で「表現力を欠いた」アニメーターだと、「大切なものを失い、その喪失感によって、本人も自覚しないままに、静かに涙を流し続けている」などという「キャラクターの感情解釈」は、演出家が指定しないかぎりは、決して思い浮かびもせず、ただ「悲しそうに泣いている」とか「呆然として泣いている」という表現にとどまるのが精一杯なのである。そのアニメーターが、「デッサン力がある」という意味で「絵が上手い人」であったとしても、だからと言って「繊細な表現」ができるという保証など、どこにもないのだ。(423文字)

https://note.com/nenkandokusyojin/n/n6859548964a3

 見るだけでゲンナリするような長文ですが、この文章の問題点は導きたい結論に対して不要な文章が多すぎることにあります。
 上記の文章で言いたいことは
表現力=デッサン力ではない
表現力によって成果物には大きな差が出る
 の2点であり、それに対して「キャラクターが泣いているシーン」を例に出して解説しています。
 それらを踏まえて文章を再構築してみると、

「例えば、「哀しくて泣いている」といっても、「大切なものを失った喪失感で、本人も自覚しないままに涙を流し続けている」
くらい複雑な感情が存在する場合もある。そこでは「感情を拾い上げて作品に出力する表現力」の違いが大きく出てしまうだろう。その意味で「表現力を欠いた」アニメーターだと、該当のシーンもただ「悲しそうに泣いている」レベルの拙い表現になってしまうのだ。この「表現力」は「デッサン力」や「絵が上手さ」によって保証されない。」(218文字)

 と、大分スッキリさせることが出来ます。
 読書人氏の文章はこんな感じで、腐れ大学生がレポートでやるような文字数稼ぎが延々と続きます。なので上記のポイントを意識すれば、かなりコンパクトに纏まるはずです。
 しかし読書人氏の文章の問題点はもう一つあるのです・・・・・・

2.結論繰り返し過ぎ

たぶん、『けものフレンズ2』(以下『2』と表記)を、たつき監督による『けものフレンズ』(以下『1』と表記)と同様に楽しめる人というのは、実際のところ、その区別がついていないのだと思う。「区別をつけない」のではなく、「区別がつかない」のだ。
〈中略〉
「けもフレ」ファンの中にも、本当に『1』と『2』の区別がつかない人が大勢いるだろう。
〈中略〉
したがって、多くの人が『1』と『2』の区別がつかないとしても、それは、仕方のないこと、否定できない現実だと、認めざるを得ないのである。

https://note.com/nenkandokusyojin/n/n6859548964a3

 現行けもフレファンへの中傷とレッテル貼りのカーニバルですが、この「1と2の区別がついていない」という主題は、1回言えば問題ないはずです。ですが何度も何度も同じことを繰り返すため、文章を読み進めるにあたって行ったり来たりの徒労感を覚えてしまうのです。
 対策としては、一度結論を述べたらそれっきりにするのが良いと思います。(適当)

 大まかな問題点を洗い出したところで、具体的な添削に入っていきましょう

添削-実際にやってみた-

 ここでは先に提示した①~③の各ブロック毎に、読書人氏の文章を見ていきましょう。

①読書人氏の考える「表現力について」

 先にも記した通り、5000文字以上を誇る本文最大の難関です。先ほど述べた二つの難関のせいで、読み進めるだけで精神がゴリゴリ削られていきます。(けも2見てうつ病になったとかほざいてるたつき信者に見せたら完全に精神壊れそう)
 ですが大まかに彼が言いたいことは分かるので、箇条書きで書き出してみましょう。

・アニメ無印もアニメ2も好きな人間は、その区別を付けることが出来ない人間である。そして区別が付かないということは、あまり良くないことである。
・アニメにおいてこのような差異を生み出すのは「表現力」である。そしてこの表現力は、「デッサン力」や「画力」に依るものではない。

 この2つの主題を元に、概要を書き出してみます。

 アニメ無印とアニメ2は、全くの別物である。そしてそれらを「両方とも好きだ」という人間は、作品の区別を付けることが出来ないのだ。
 「区別を付けない」ことは一見「平等」であり美徳に思えるけれども、異なるものを一緒くたに見てしまうことは、あまりよろしくない。
 では無印と2の違いに見られるような、「アニメ作品の差異」はどこから産まれるのか?それは「表現力」である。そしてよく誤解されていることだが、この「表現力」は「デッサン力」や「画力」ではない。
 例えば泣いているシーン一つ取ってみても、そこに秘められた感情の機微などを読み取り、しっかりと作品へアウトプットする必要がある。その力こそが「表現力」であり、仮にデッサンだけ上手かったところでこれらを為すことは出来ないのだ。

 これはあくまで「概要」であり、(最悪このままでも良いと思いますが)もう少し「肉付け」が欲しいところです。読書人さんが出していた「具体例」を数点付け加え、冒頭の導入を工夫するだけで良いでしょう。(※3)
 勘違いしてしまいがちですが、①の部分はあくまで導入です。該当記事のタイトルにもある通り、本文の主題は②たつき監督のどこが凄いかです
 その5000文字書くリピドーは②にぶつけましょう。

②たつき監督のどこが凄いか

 この文章の主役、寿司で言う大トロと言っても過言では無い部分です。さぞかし力が入っていると思われますので、早速見ていきましょう。

前記のレビュー「『けものフレンズ』と『宇宙戦艦ヤマト』:『2』という呪い」で紹介した、たつき監督による『けものフレンズ コミックアラカルト』の表紙画について、私は、『この表紙絵は、たつき監督のセンスの非凡さを、非常によく表している。キャラクター解釈の深さ、ということだ』という注釈をつけたが、たぶん、この言葉の意味を十全に理解した人は、ほとんどいなかったであろう。
なんとなく「褒めているな」と思っただけで、読み流した人が99パーセントだったのではないだろうか。

https://note.com/nenkandokusyojin/n/n6859548964a3

期待の出来る導入ですね。では続きも行きましょう。

だから、ここでは、このイラストのすごさを、具体的に解説しよう。
まず、かばんちゃんから見ていくと、
・「帽子を脱いでいる」というのは、リラックスを表現している(惰性的に、帽子を被らせたまま、にはしていない)。
〈中略〉
次は、サーバルである。
・サーバルの見開かれた瞳には、文化的なものへの驚きと好奇心がみなぎっている。
〈中略〉
以上のように、このイラストには、かばんちゃんとサーバル、それぞれの「性格」が、深い理解において「表現」されており、また「両者の深い関係性」までもが、よく表現されている。
〈中略〉
そして、ここで忘れてはならないのは、たつき監督のこうした「深いキャラクター理解」は、何もこのイラスト1枚にとどまるものではなく、『1』という作品の端々に反映されている、という事実なのだ。

https://note.com/nenkandokusyojin/n/n6859548964a3

 ん?なんか〆に入ってない?まさかイラスト1枚だけ触れて終わりってワケじゃないでしょ?

次にその対比物として、『2』を主題とした、同じ『けものフレンズ コミックアラカルト』の「ジャパリパーク編その4」の表紙画を見てみよう。
〈中略〉
しかし、個々のキャラクターについては、さほど深く掘り下げられてはいない。このポーズや表情は、この3人ではなくてもよくて、「仲良し3人組のプリクラ」として、キャラクターはいくらでも「交換可能」なのだ。「元気な二人と、圧倒されがちなもう一人」というトリオであれば、別に「カルカラ、サーバル、キュルル」である必要などない、「一般的な状況」の表現にとどまっているのである。

 はい。
 ②のたつきageは画像1枚で終わり、③の2sageのフェーズに入りました。
 

 ②の文字数は2000文字ちょっと。導入の半分以下です。バランスを考えろバランスを。

 閑話休題。恐らく②は読者が一番読みたい部分ですから、(尺稼ぎや結論ループはやらない前提で)もう少し膨らませても良いと思うんです。
 そもそも無印はアニメで、たつき氏はアニメ監督な訳ですし、
アニメ本編の該当シーン
たつき監督が勝手にタイトルロゴとOPを入れて自分のチャンネルで公開したばすてき
読書人氏は何故か見ていないケムリクサやirodoriの同人作品
 などから引用して解説すれば良いと思うんですよね・・・・・・
 たつき監督にしても、ついでで作ったDVDのジャケよりかは本腰入れたアニメの方を褒められた方がうれしいと思います。

 私は無印についてはあんまり好きではないため、上手いこと持ち上げる文章が浮かびませんでした。なのでここの添削は出来ません。読書人氏には思う存分、5000字どころか6000,7000,10000字くらい語って欲しいと思います。
 
 
・・・・・・出来ますよね・・・・・・?

③たつき抜きけもフレのどこがダメか

不要っ 退場っ 以上っ

 流石にこれだとアレなので、何故「たつき抜きけもフレのどこがダメかパート」が不要なのかというと何かをsageるために何かをageることは良くないからです。

 sageられた側
・単純に不快になる
 ageられた側
・sageられた側からの心情が悪化する
・sageられた側以外の外野から「あそこのコンテンツって他を平気でsageられる奴ばっかりじゃん」という悪いイメージを持たれる
・ageたコンテンツに「叩き棒レベルの価値しかない」とケチが付く

 とまぁこんな感じで、百害あって一利なしです。
 利益があるのは、「sageる側のコンテンツが嫌いなだけでageる側のコンテンツが好きなわけでもなく、ただただ叩き棒が欲しいだけの蛆虫」のみであり、Xでたつきファンを騙りながら2を攻撃し本命のブルアカやウマ娘でシコってる下郎共がこれに該当します。
 この③パートは2600文字と②より多く、上記の叩きたいだけの蛆虫味を感じますが、読書人さんはそんな人間じゃないと信じていますよ、マジで。

総括-まとめと提案-

 以上をまとめると読書人氏の当該noteは、
・①パートはもっと簡潔に
・②パートはもっと盛る
・③パートはカットでOK
・全体的に無駄を少なく、簡潔に

 することが出来れば、もっと良いものになると思われます。
 
 文章自体は書ないことはない人だと思うので、もうちょっと工夫があればグッと見やすくなりそうなものです。
 読書人さんの反応を期待しております。また読書人さん以外でも、ご意見ご感想お待ちしております。

禁断の”柴田勝頼”二度打ち
読書人氏が持ち上げまくっていた「宗教画」

※1,2
 真フレ=反たつき、現行けもフレファン
 珍獣=親たつき、現行けもフレアンチ くらいの認識でおkです。
 下の名前が酷すぎると思うかもしれませんが、実はたつき監督直々の銘々だったり・・・・・・
※3
 今回はあくまで元の文に従って添削していますが、無印と2の区別云々の話はぶっちゃけ支離滅裂で意味不明、かつそんなに必要ないので、最悪「表現力」の話から入っても良いと思います。
 ③カットするなら余計要らないと思います。


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