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怪物と私について

父親が単身赴任から帰ってくると聞いて、手が震え出す娘はあまりいないだろう。

私は父が嫌いだ。そして怖い。怪物である。

話は私が今の年齢の半分、10歳の頃に遡る。私立中高一貫校を目指していた私は本腰をいれて受験勉強をしなくてはならなかった。

元々受験自体も両親の意向ではあったのだが、私はそういうものだと思っていた。

父は厳しかった。今でも覚えている。2階のリビング、広げられた問題集、父の怒鳴り声、机を叩く音。

周りの音は消え、身体が震え出す。「泣くな」と怒鳴られても涙は出てくるし、字は綺麗に書けない。その度にやり直しをさせられて怒られる。

地獄だった。

毎週末にあるテストの後には送り迎えの車の中でテストで失敗したところとその理由、改善点を言わされた。

その後の結果発表がある度にパソコンのある和室に呼ばれ、結果を見ながら反省させられた。常に正座で、足が冷たかった。

それでも私は父親が好きだったのだろう、嫌いだとは思えなかった。どんなに辛くても期待に応えなくてはと思っていた。

小学生だった。周りの受験をしない子に誘われれば勉強より遊びをとっては怒られ、自主課題は増えた。

高学年になると、ふと疑問に思った。

「なぜこんなに多くのことを犠牲にして勉強しているのか」

そもそも親の意向であったから、私には目標が無かった。そして何よりも最も問題だったのは、私に競争意識がない事だった。

私は他人と比べられても、悔しいと思ったことがない。

勝ち負けがあっても、負けても、特に何も思わない。

負けず嫌いの父親にはそれが「やる気がない」と映ったのだ。

その頃には関係も悪化していた。私の彼に対する信用はなかったし、言われることも聞き流していた。

一緒に勉強したくなかったので、塾にこもっていた。塾では分からないことを聞いても怒らないし、いつ休憩していても時間を計られたりしない。

しばらくすると「もうパパは何も言わない」と言われた。

なぜそんなに怒っているのか分からなかった

受験が終わっても、中学に入っても、今でも、父親は私に何も言わない。

言わないのではなく、言えないのだろう。

彼には勉強と成績の話以外引き出しがないのだ。家族の私でさえ、それ以外の話はあまり聞いたことがない。

私は父親を憎んでいるが、同時に可哀想だと思う。

時代に乗り遅れ、子供にも相手にされず、それでも家族のために働いている父親に心から同情する。父は可哀想な怪物だ。

私の家はアッパーミドル階級であると自負しているし、育ててもらった環境は間違いなくいいものである。何不自由なく今まで生きてきた。

それでも父親と仲のいい同級生を見ると羨ましい。心から羨ましいとともに妬ましい。

ただ、私もあんな風になりたい。ではない。

あんなお父さんが欲しかった、と思う。

育ててくれてありがとう。

それでも私はあなたという怪物を憎んでいる。

私自身にもいまだに色々な問題がある。自分でも自身が歪んでいると思うし、腐っているとも思う。

だが私の経験から言えることは、父親との関係が悪かった女の子は苦労する。男性との関係が歪んでしまう。どうかそんな女の子が1人でも減って欲しい。

父親と無理に仲良くしなくてもいい。

怪物からは逃げるべきだ。

この記事が何人に、どんな人に、どんな時に読まれるのかは分からない。

ただ、私くらいの年代の娘さんがいるお父さんたちに読んで貰えたらありがたい。

これを読んで色々言いたいこともあるとは思う。だけど、赤の他人の私のことなど放っておいて娘さんに一言だけかけてあげて欲しい。

「愛してる」

笑ったり、恥ずかしがったり、怒ったり…様々な反応が返ってくるだろうが、恥ずかしがらずに言って欲しい。

もしかしたらそのひと言が娘さんを救うかもしれない。

親の愛とはいつの時代も偉大だが、言葉にしないと分からない。

私が今、もしその言葉をかけられたとしたら泣いてしまうだろう。


「どうしてあの時言ってくれなかったの」

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