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自分の意思で自分の喜びを見つけていく

こんばんは。
小説家として活動している藪田建治です。

今日はHSPアドバイザーとしてYoutubeやVoicyなどで活躍されているRyotaさんの放送を取り上げます。

この放送のチャプター2にある心の余裕のある生活と余裕のない生活の違いを取り上げたいと思います


1心に余裕のある生活


まず始めに僕は今回取り上げた放送の中で1番のメッセージは、日々の生活の中で希望を持って生きるということだと思っています。

生活に必須ではないですけど、文化的な生活、幸福を感じる生活には欠かせない。
能動的になれる生活。これは希望がなければそんな気持ちにはなれません。

どういうことかというと、例えば音楽や映画ってまあ正直なくても生きていけます。衣食住だけの生活と捉えると必要ではなくなります。

でも心に余裕があり、自分の生活をもっと楽しくしたいとかもっと幸せを感じられる瞬間を多くしたいと前向きに捉えられる余裕があると、趣味を取り入れようとしませんか?
その代表例として音楽だったり、映画だったり、漫画というものが挙げられると思います。
推しの新しいアルバムが近々出るからそれまでは頑張るとか、集めてる漫画の新作が来月出るから発売日に何が何でも買いに行ってやるとか。
能動的な行動は気持ちを前向きにさせてくれますよね。

運動も同じではないでしょうか。心に余裕があれば運動も能動的になりませんか?盆休みまでにもっと身体仕上げたい、あの人に振り向いてもらいたいからもっとダイエットしたいし筋肉質にしたいとか。

ちなみに僕は運動嫌いなのでながらでやっています。本当は運動や筋トレだけに集中した方が効果あるだろうし、フォームがしっかり出来ているかは怪しいですけど、サッカーの試合を見ながら筋トレをしています。
筋トレを本気でしている人からしたら間違った方法だと思いますけど、こうすると続けられるんです。自分なりのアレンジを考えてみて下さい。

また人によれば美味しいものにも貪欲になりますよね。次はあのお店のランチを食べたい、オムライスでどこか1番美味しいか知る為にもっとレパートリーを知りたいとか。これも能動的に調べたり、アンテナを高く張って知ろうとする意欲が見られる。これもすごく大事なことじゃないでしょうか。

2心に余裕がないとどうなるか

まず休むことがまず優先されないでしょうか。
それが悪いことだとは思いませんが、休むだけになって翌日の仕事で頭の中が真っ暗になったり、週明けの仕事を考えただけでもう他に何も考えられなくなったり。
僕も以前はそうでした。当時上司との折り合いが悪く週明けの仕事のことばっかり考えて、もう何も手につかなかったりしてました。
こんな状態だと文字通り心に余裕がなくなっている。
考え方自体もどんどんマイナス面ばかりクローズアップしてしまい、将来に対してもただただ悲観的になってしまうのではないでしょうか。

先に挙げた音楽にしろ、グルメにしろすごく消極的になってくる。音楽も新しいものを聞こうとしなくなったり、曲を聞くこと自体が億劫になってくる。
グルメにしてもそこに喜びを感じるというよりは、ただ栄養補給の為にする、空腹を満たすための作業のようになりがちだと思います。

でもこれだと生きる喜びのようなものが感じられないですよね。

3自分の意思で選んでいく

最近よく思います。自分の意思で選んだり、能動的に楽しみを自分で作っていくことの大切さを。
例えばストレス発散や余暇も与えられたものをただ消化していくだけでは本当に楽しみとは言えないのではないでしょうか。
流行っているから、みんなが好きだからなんとなく自分も好き、もちろんそれでも良いのですが、自分から得ようと行動するから得られる幸福感や充足感の方がずっと自分の心を満たしてくれる。

誰かに行かされたテーマパークってそこまで楽しくない。ただなんとなく行くショッピングモールってどこか時間が流れているだけのように感じる。

そうではなく自分の意思で、自分はこれをしたいからやる。この純粋な気持ちを大事にして欲しいと思います。それが他人から見てどうだとか、世間体を見てとかはどうでも良い。

まず自分の意思、自分の興味ありきで良いんです。

放送の内容からは少しズレているかもしれませんが(笑)でもこの放送の本質はここだと思います。

最初は小さなことから決めて良いと思います。今日のランチ何にしようかな。今日帰りに自分へのプチご褒美にどんなコンビニスイーツを買って帰ろうかな。そんなことからでも良い。
それから仮に自分が絵に興味があるとしたら、週末に家から1番近い場所にある美術館に行ってみて、その帰りに絵の具の具材を買ってきて、夜書いてみようかとか。
自分の意思で何かをする練習からしてみて下さい。

4ショートストーリー

最近なんか仕事させられているばっかりで、自分ってものがなくなっている気がするな。
自分ってなんの為に仕事してるんだろな。なんの為に生活をしてるんだろな。
隣に座っている学生のスマホの画面がちらっと目に入った。
ごめんと思いつつも、彼は漫画を見ていたのが分かった。

漫画か、そういえば最近読んでないな。学生時代あれだけ時間を費やして読んでいたのに。
自分でも書いて漫画好きの友達と見せ合いをしてたのにな。
あの頃の意欲はどこにいったんだろ。

電車を降りて、家まで歩いて帰る。
さっきの学生が読んでた漫画は何てタイトルなんだろう。どんな内容なんだろう。自分の知らない漫画がどんどん増えていく。
まだ8時か、確か本屋さん9時までだったよな。
急いで駅まで戻って本屋さんに行ってみるか。

漫画のコーナーに行くと知らない漫画がいくつもある。
読む時間なんてあまり持てないけど、ここまで来たんだ、ちょっとタイトルでいくつか買ってみるか。
それから週末自分でも書いてみようかな。久しぶりになるけどなんかそんな時間も今の自分には必要な気がする。
もっと自分から楽しみを見つけようとしたり、自分で楽しさを生み出していく時間。

ただ言われたことをする時間、タスクを課せられた時間じゃなくて、自分から動く時間が。

じゃあちょっとこの帰りの道中でどんなストーリーにするか考えようかな。
非現実なストーリーでも良いし、現実的なものでも良いんだけどな。

でも現実を忘れる時間ってのも良いもんだよな。
じゃあ空想に耽ってみるか。

なんか電車に乗ってた時よりイキイキした自分がいる。
こんな時間を自分は欲してたんだな。自分から作るのも帰ってから読む漫画も楽しみだな。

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