見出し画像

猫と暮らすまでの前日譚と、暮らすことになる500日くらい前からの出来事と

我が家には、2匹の猫がいる。
推定11か月でべっ甲のレビィと推定4か月で茶シロのコタである。

大いに食べ、よく眠り、信じられないくらい全力で走る。
ちなみに猫は時速換算50kmで走りまわる。
砲弾の飛び交うが如く恐ろしい環境で、いま私は暮している。

ネギを口にしてしまわないか、急な夜泣きはどうしたことか、信じられないくらい手が掛かる。ちなみに猫はネギを口にしてしまうと溶血性貧血や急性腎不全で死んでしまう事もある。

そもそも猫は好きなほうだった。

私が20代の半ばから夜ごと通っていたBarに猫がいた。
どこかに捨てられていたそうで、見つけられたときに小鍋の中でまるまっていた姿から「ヒジキ」と名付けられた黒猫だった。
何とも素晴らしいネーミングセンスである。

私はその、黒い小さな塊が大好きになった。
飲みに行けば膝で眠り、オーブンにもぐり込んでフードのオーダーを止め、信じられないくらい愛らしかった。
一度だけ、その店の前を通り抜けて違う店に行こうとしたことがある。
ぴょんと飛び出してきた姿に、その黒い塊を抱きかかえて見知ったスツールに腰を落とすしかないと観念した。

彼女を撫でない日は、なかった。
その知らせは、前触れもなく不意だった。
彼女が出掛けたまま戻らないという話を聞いて、私は飼い主になる前にペットロスの辛さを知った。

---

それから10年ほどして、私は練馬に住んでいた。

1階の角部屋で、窓を開けると野良猫を見かけることがあった。
あるときは親子だったり、べっ甲だったり黒シロだったりサバだったりといろいろだ。見かけるたび、窓からエサをあげるようになっていた。
残りものはゴミをあさるクセがつくし猫にも良くないと聞いて、私は飼い主になる前に猫エサの相場を知った。

べっ甲とハチワレの2匹が常連になった。
ラナコにハチと呼ぶようになった。

ある日、仕事中に当時まだ結婚前の妻から連絡があった。
「窓から入ってきちゃった!」というのだ。

べっ甲の、ラナコのほうだという。
その日は仕事も早々に大急ぎで家へ帰った。
少しずつ頻度は上がり、気がつけば朝な夕なと毎日のようにラナコが窓から訪ねてきてくれるようになっていた。

画像1

私も妻も、彼女が大好きになっていた。

また、ある日。
ラナコの後ろをついて歩く、小さな影があった。
親子だったのか、そんな素振はあったが確証もない。
数日は警戒していた子猫だが、気がつけば窓から上がりこむようになった。それどころかエサを食べ終えるとラナコを見送ってからソファで眠り、そのまま一晩を過ごし、そのまま居座り朝ごはんを食べ、出掛けたくなれば窓際で鳴き、入れて欲しければ網戸をガリガリとひっかくようになった。

少しずつ居座る時間は長くなり、散歩がてらトイレだけ済ませて戻るような日もあった。気がつけばロフトまで上がってくるようになり、いつのまにか私の足元で眠るようになった。

カギどころではないドリルのようなシッポをしていた。

画像2

いーくん、と呼ぶようになっていた。

しかし、やはり野良猫である。
私はダニと思われる激しい痒みに襲われて、痒さのあまり引っかいた傷痕は今も消えず残っている。
それでも追い出すことなく、いーくんと過ごした。
気がつけば、毎日その名前を呼んでいた。

ある日のこと、仕事で帰りが遅くなった。帰るなり妻が、いつも帰ってくる時間くらいから玄関を見てじっとしていた。ずっと待ってた、と言った。
もう、腹は決まっていた。
私と妻は、いっそ外へ出なければならない理由について考え、やはりトイレであろうという答えに行き着いた。そのほかには思いつかなかった。

それは、トイレさえあれば家猫に出来るはずだという結論でもあった。
いよいよ私は、飼い主になる前に猫トイレを買った。
私がトイレを買って帰った日、いーくんは戻ってこなかった。

妻曰く、とても良い天気で、外に出て、白い小さな蝶を楽しそうに追いかけているのが見えた。あまりに楽しそうで、家に閉じ込めておくのは、やはりかわいそうかもしれないと思って眺めていた。こちらを向いて、短く鳴いてそのまま走って行ったそうだ。

なんだかラストシーンみたいだな、と思ったのを覚えている。

少しでも時間があれば窓の外を眺める毎日が続いた。
いーくんは、もう姿を見せてくれなかった。

入れ替わるように、なぐさめるように、ラナコが居着くようになった。

今夜は大荒れの嵐になる。
そんな夜に、いつもの時間に彼女が訪ねてこなかった。
きっと、もうどこかへ隠れている。
そう言う妻の言葉に頷きながら、どこか気になっていた。

風がびょうびょうと吹き荒れていた。
どこかで看板が外れて飛んだような音が聞こえた。

そのとき、聞こえた。

妻はそんなわけがない、と言う。

たしかに聞こえた。

大嵐の中、狭い部屋には不釣り合いな大きさの窓を開け放った。
吹きすさぶ風と、大粒の雨が飛び込んできた。
ついでに、びしょ濡れの猫も。
ラナコだった。

濡れた体を乾かしてあげると、彼女は嵐が過ぎるまでぐっすり眠った。
眠るラナコを見て、妻が言った。
お腹が大きくなってる。

私たちは大慌てで、地域猫を保護しているという方に連絡をとった。
すぐに相談に乗ってくれ、保護して生ませようという事になった。

その方はご主人とふたりで訪ねてきてくれて、捕獲器を置かせてくれないかと近所の家々をまわってくれた。聞けば、界隈では何度か野良猫捕獲作戦が展開されているとかで協力的な方が多かったそうだ。

あっけなく捕獲器に閉じ込められたラナコを見て、ご主人の方が言った。
「これ、生まれてるね」
ほどなくして子猫が2匹みつかった。

その日のうちにラナコは避妊手術を受けた。
翌日には戻ってきたが、鳴きながら近くを歩き回るのをやめようとしない。

子猫たちは里親を探して貰えることになり、動物病院で検査やダニとりなど処置を受けている。いくら鳴いても、出てくるはずがなかった。

ラナコが子猫を呼ぶ鳴き声は、朝までやまなかった。

夜通し悲しい鳴き声を聞きながら、どうにか親子の面倒を見られないものだろうかと考え始めていた。ネックは私の甲斐性だった。
しばらくして、2匹の子猫はお医者様と警察官の方に引き取られたと連絡が来た。なんてキチンとしたお仕事をされている方々か!
きっと幸せになる。

くらべて自分の不甲斐なさに打ちひしがれた。
2匹の子猫を探して鳴きながら近くを歩きまわるラナコの声が、ぐいぐいと私の胸を締め付けた。

--

入籍に向けて、私たちは引っ越しを考えていた。
ラナコを連れて行くか、部屋を選びながら最後はいつもその話になった。

いよいよ部屋が決まり、それはペット可の物件で、いよいよ私たちは答えを出さなければならなかった。そのために選んだ部屋でもあった。

考えに考えて、やっと決めた。
猫は、家につく。
私たちはラナコにさよならを言う事にした。

荷物を運び出す日にもラナコはやってきた。
ガランとした部屋を、不思議そうに歩いていた。

引っ越しを終えた翌週、その気もないのに最後の掃除と称して何もなくなった家へ向かった。掃除道具よりも猫エサが目立つ荷物を担いで、だ。
1週間ぶりのラナコは、すっかりよそよそしくなっていた。

そういうものか、と納得しようとした。
ラナコと子猫の保護騒動のご縁から知り合った近隣の方へ、挨拶に伺った。
少し前までラナコが私たちのいた部屋の窓に向かって鳴いていたと聞いた。
本当にお別れだというとき、彼女はひと鳴きもせずにチラと私たちを一瞥して、するりと飛び乗った近所の屋根にごろりと寝そべった。

ひと鳴きもしてもらえなかった私は、きっと飼い主として御めがねに叶わなかったのだ。どうやら私は飼い主になる前に、猫に捨てられた。

---

新しい元号が発表されたら、くらべて響きの良いと思うほうに決めよう。
令和と発表されて、そう話していた私たちは入籍を5月1日に決めた。
その少し前、妻の実家へ伺った。
ご挨拶である。

1月21日だった。

それらしい事も言えず仕舞いで、なんだか飲みに伺っただけのようになってしまっていた。
実家の窓の外に、猫たちが遊びにくるという話は妻から聞いていた。
リビングの広さに見合う大きな窓を妻が開けた。
驚き逃げた猫たちの中に、さっと部屋に飛び込んできたべっ甲の塊がいた。真っ直ぐに、じっとこちらを見ていた。

少しラナコに似ている。

私は、頭を撫でた。
ほどなくして妻は抱きかかえていた。
もう、決めていた。
彼女の実家に挨拶へ伺った日、私たちは帰り道でホームセンターに寄った。

私は大きなケージを担いで帰った。
妻は宝物のようにキャリーを抱えていた。

帰りの電車で、ああでもないこうでもないと話し合った。

家に帰り着く少し前だった。
名前はレビィに決まった。

妻が抱えていたキャリーから「のあー」と声がした。

今日で24週と5日め。

画像3

ようやく私は、いま飼い主になろうとしている。
医者でも警察官でもないが、いまからでも良い飼い主は目指せる。
努力の甲斐なら、いくらでもある。

少し長くなってしまったので、続きは次の機会に残しておきたいと思う。

この記事が参加している募集