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【世界の料理】南アフリカは思っていたよりもカラフルでうまかった

わが家では時々サイコロの旅と称する料理をやっている。
Google Earthのランダム機能を使って世界中から一カ所を無作為に決定し、その土地の料理を作ってみることで家にいながら舌だけは世界を旅してみようという楽しみだ。
今回Google Earthは南アフリカのとんでもない荒野の中にあるSouthern
African Large Telescopeという天文台を示したので、今回は南アフリカ料理だ。

南アフリカといったら何を連想するだろうかという問いで結構歳がバレるにちがいない。
何せ私のような昭和生まれだと、とにかく南アフリカといったらアパルトヘイトだと学校で徹底的に刷り込まれているのだ。
今の若い人には信じ難いかもしれないが、今からほんの30年ほど前までは皮膚の色で自由が保障されたり制限されたりした国というのがあって、公衆便所も黒人と白人は分けられていたり混血は背徳であるということで法律で罰せられたりするのだから、ひどい話だ。
そんな構図は誰が見ても「悪い」に決まっているが、そんな悪いことを「なぜやるんだ」ということは学校の先生は教えてくれなかった。

ともかく南アフリカといったら90年代ごろは世界の悪役といった風情で、アパルトヘイトをやっている南ア政府は人類の敵、ロベン島に収監されているのちの大統領ネルソン・マンデラ氏は人道の英雄みたいなイメージだったように思う。
なので人種隔離政策をやっている南ア政府は悪だからみんなで嫌いましょうといった教育を受けてきたのだけれど、どうも日本の人権教育とか平和教育というのはその対象である独裁者とか執行団体を嫌いにさせることでその効果が得られると勘違いしているので困ったものだ。
盗人にも三分の理ではないが、国家が税金由来の予算をつけて行っている政策にはいちいち暦とした目的があって、それによって得られるメリットや努力達成目標というものが設定されているわけだから、もしそれが何らかの弊害を起こしているとすれば構造的な問題だと考えなければならないのだが、どうやら「世の中には悪い人がいて悪いことをしたくて悪いことをしている」というふうに誘導したがる「いい人」がいて、訳がわからないことになっている。
私にしてみればそういう「いい人」ってのは「悪い人」と同じくらい迷惑だ。

この種の人種隔離政策というのは歴史的に見て褒められるものではないが、そんなものは十字軍やら魔女裁判など人道的に誉めにくい歴史なんてものは世の中にいくらでもある。
問題は、それがなぜ生まれてかつ支持され継続的に行われてきたのかということが問われるべきだろう。
私が中学生だった80年代だと、そういえばオーストラリアも白豪主義といって似たような政策を最近まで取っていたと習ったし、アメリカにしても60年代に公民権運動が高まりを見せるまでは「風と共に去りぬ」の時代の空気が色濃く残っていたというから、2024年の現代から見てみると、帝国主義の時代の最後の残滓が90年代についに南アフリカからなくなったと見るべきだろう。
それ以前の南アフリカというと、アフリカで最も安全な国で、アフリカで最も先進的な国といったイメージも同時に存在した。
映画「ブッシュマン(The God must be crazy)」を覚えている方はおられるだろうか、あれは実は南アフリカ映画で冒頭の大都会はヨハネスブルグなのだが、当時子供だった私はてっきりロサンゼルスかどっかのOLが休暇でナミビアの砂漠に来る話だと思っていた。
国策としての人種隔離政策をやめた南アフリカはその後大混乱になり、かつてアフリカで最も安全な都市だったヨハネスブルグは世界で最も北斗の拳に近い都市になり、赤信号で車を停めた途端強盗に遭って、「なぜ赤信号で車を停めたんだ、危ないじゃないか」と警官に怒られるというような逸話すら出た始末だ。
かといってアパルトヘイトを続けていた方がいいかという話ではなく、単に社会の構造を転換するには一定の激動の期間を経なければならないというそれだけの話だ。
とにかく世の中を善か悪かのフィルターでみるとろくなことがなく、部外者が勝手におかしなイメージを作り上げるほど迷惑で無意味なことはない。

さて、南アフリカという国はもともと誰の国かということはこんにちではあまり意味をなさない。
アメリカ合衆国はアジア系先住民族以外は全て不法滞在者であるというような論と同じになってしまうからだ。
先住民族としてはズールー人やンデベレ人といったアフリカのいろんな部族がいたが、大航海時代になってヨーロッパからインドに向かう経由地として重視されるようになり、17世紀にはオランダ人がやってくる。
元々はオランダの東インド会社が経由地として拠点化を図るのだが、気候がヨーロッパに似て過ごしやすく農耕に向いていたことから多くのオランダ人植民者がやってきて、のちにボーア人と呼ばれ、またアフリカーナーと自称するようになった。
当時の農業は労働集約的産業で奴隷の使役が不可欠であったのだが、これは先住民族のみならず当時オランダが植民地を持っていたマレーやインドネシアからも多くの労働力が奴隷として連れてこられる。
そういう秩序を保つために作られたのが人種隔離政策というわけで、同様の構図は19世紀のアメリカ南部の綿花プランテーションなどでも見られ、いい悪いは別として当時のスタンダードには違いない。
やがてヨーロッパではフランス革命の後ナポレオンが一世風靡したり落ちぶれたりしてパワーバランスが大きく変わり、同時に起きた世界初の産業革命を背景にイギリスが帝国主義の先駆けとして世界中に領土を拡大する時期になると、南アフリカにも別の風が吹いてくる。
オランダは正式に南アフリカの権益をイギリスに譲渡するのだが、先に住んでいたボーア人はこれを嫌い、さらに奥地に移動して独自の国家を持つようになる。
トランスバール共和国とかオレンジ自由州というのがそうで、奴隷制を前提とした農業主体の社会であったボーア人は奴隷制廃止を訴えたイギリスと真っ向から衝突、のちにイギリスの正規軍が投入されボーア人を鎮圧するボーア戦争が起きる。
これは焦土作戦をともなうろくでもないものでイギリスの議会ですら「不名誉である」という声が上がったそうだが、農民が主体であったボーア人はゲリラ戦を展開するなどして英軍相手に結構善戦したというから歴史は面白い。
こうして南アフリカは大英帝国の一部としてイギリスの支配を受けるのだけれども、時は進んで1961年には独立して女王のエリザベス2世を擁する立憲君主制をやめ「南アフリカ共和国」というこんにちの国家が成立する。
その理由が、人種主義政策を非難していたイギリスに嫌気がさしたためだというが、非難は簡単だがやはりこういうことは当事者になってみないとわからないことは多いに違いない。
ここまで見ていて、誰が善玉で誰が悪玉かわけがわからなくなるに違いないが、つまりそういう見方自体が物事の本質から遠ざかるというべきで、感情抜きで事実の因果関係の連続として捉えることで割とすんなり理解できる。
言うなれば皆善玉の役を演じることもあれば後で悪役に転じるということで、その瞬間における悪玉が誰かを追及することにはあまり意味はなく、なぜこういうことになっているのかという構造自体に目を向けて初めて有意義な話ができるといえよう。

そんなわけで南アフリカにはどうしても何だか後ろめたいような負のイメージがつきまとうのはそういう背景があるからだが、社会を構成する人間自体は当然ながら一様ではなく全て「個人」の集合なので、黒人だろうが白人だろうがインド人だろうがすばらしい人物もいれば当然クズもいる。
結局のところフタを開けてみなければ実態はわからないもので、「A人とB人は対立しているはずなのになんでこの二人は仲がいいんだろう?」なんて愚問を抱く必要もないわけだ。
当の私も昔新疆ウイグルを旅行した時にホータンの漢人のタクシー運転手が郊外の村のウイグル族の人となんのわだかまりもなくウイグル語で会話しているのをみて、「はて?」と思ったものだが、そういう先入観はそこで暮らしている人の個別の事象にはあまり関係がないものだと感心したものだ。
構造的には対立していても個人間の関係は別だということはこれまで幾度も体験してきていて、そもそも人間は幸福を追求するようにできている生き物なので、条件に制約があったらあったでその中で何とか楽しく生きていくようにできているに違いないと思う。
当然異文化同士の交わりというものも発生し、地域性をよりカラフルにしていくのだが、今回はそんなカラフルな南アフリカの料理を楽しんでみた。

前述のように南アフリカを構成する民族はかなりカラフルだ。
土着の先住民族の他にオランダ系がいて、イギリス系のアングロサクソンがいて、さらにオランダ系がかつて奴隷として連れてきたマレー系やインドネシア系がいて、加えて大英帝国が植民地運営のために連れてきたり商売のために自発的にやってきたインド系がいる。
こういう文化が混じりまくった土地の料理というのは例外なくうまいもので、それぞれの文化のうまい部分同士が合体するわけだから、これは期待できる。
調べてみると、スパイスを多用した肉料理が名物のようで、なるほど東南アジアの香料諸島を支配していたオランダが加わっているだけのことはあるな。
オランダ人というのは元々は食に大して冷淡なのか、ジャガイモとチーズとパンさえあれば世界中どこにでも行くと言われるほど淡白な食文化で知られている。
またオランダ人の後に支配者となったイギリスもまたステレオタイプな食文化の面ではどちらかというとあまり高評価はされない傾向にあるようだが、ともにヨーロッパの新教国であるオランダとイギリスの料理もいろんな食文化と混ぜ合わせることでどのように化けるのかが楽しみだ。

さて、今回作ったものは2品、ともに肉料理で一つはBoboteeというハンバーグのような挽肉料理、もう一つはPeriPeri Chickenという鶏料理だ。
ともに結構なスパイスを使う。

Boboteeは、まず大量の香辛料とハーブとジャムを加えたものを肉と玉ねぎのみじん切りに混ぜ合わせるのだが、香辛料はほぼカレー粉と言っていいもので、日本語のレシピサイトだとそのままカレー粉と記載されている。
これにジャムを加えるのは何だかイギリスの肉料理の匂いがするな。
玉ねぎはみじん切りにしたものをすぐに混ぜるのではなく一旦炒めてから挽肉に混ぜるというのが珍しいが、玉ねぎを炒めてカラメル化することで出る甘味を生かそうというあたりはインドのカレーにも通じるものがある気がする。
これをバットに敷き詰めてから卵を牛乳で割った卵液を掛け回すのが面白い。
このまま焼くとプリンのような層が表面にできるようだ。
そうしてオーブンで40分ほど焼くと、ものすごく巨大なハンバーグの塊のようなものができる。
これを切り分けて土曜日の晩飯にし、残ったものは全部おにぎらずにした。
おにぎらずは最近わが家の備蓄糧食としてよくやる手法だが、これだとしっかりと味がついたライスバーガーのようなものが大量にできるので便利だ。

パンも焼いてみた
焼き上がったところ
クリーム色をしているのはプリン状になった卵液
切り分けると四角いハンバーグが大量にできる
土曜日の晩飯
残ったものは玉ねぎのケチャップ和えと一緒におにぎらずにする


Periperi Chickenというのはペリペリソースというスパイシーな漬けダレに鶏もも肉をマリネしておいたものをオーブンで焼くというもので、ペリペリというのはズバリ日本語のピリピリと同義であるそうだ。
もしかしたらこのことから南アフリカ語(そんなものあるのか?)日本語起源説みたいな本を出す奴が出るかもしれないな。
これは大量の唐辛子粉にニンニクとパプリカを加え大量のレモン汁で溶いて塩とスパイスで味を調整するというもので、いかにもスパイスを食っているというようなわかりやすいビジュアルになる。
肉を漬け込むと真っ赤っかで、いかに日本食が普段スパイスと無縁であるかを思い知らされる。
これをオーブンで40分のんびり焼くと皮もパリパリになって実にうまそうなものに仕上がった。

自家調合のペリペリソースで鳥もも肉を漬け込む
焼き上がるとこうなる
ついでにオーブンでジャガイモも焼く

ところでこれを食べるにあたって盛り付けが肝心、何でも南アフリカにはThe Seven Coloursという盛りつけの習慣があるそうで、一枚の皿にタンパク質と炭水化物とさまざまな野菜を彩りよく盛り付けるのがいいらしい。
そんなわけで、炭水化物としてイギリス式のローストポテト(なぜかわが家ではロシア訛り風にローストポチェトと発音する)を肉の下の天板で焼き、たまたま冷蔵庫にあった作り置きのフムス(中東の豆ペースト)やコールスローやビーツなどを切って並べたら結構賑やかなものができた。
これを南アフリカ産の赤ワインでいただくというのが本日の日曜の晩飯、これはビールを飲む人だったらビールが止まらなくなるだろう。
うまいうまいとあっという間に平らげて、すっかりシアワセになった次第。
やっぱり異文化理解をやるには感覚的に伝わる料理と音楽がいいもんだ。
さて次はどこの国をわが家の台所に持ってこようか。

今夜日曜日の晩飯
The Seven Coloursといって彩よくいろんなものをバランスよく盛り付ける
やっぱり肉はオーブンで焼くに限る
ものすごくジューシーだが旨みが凝縮される

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