日本最古級の縄文遺跡・大平山元遺跡にて日本人のルーツを妄想する
「世界最古の国・日本」のルーツともいえる縄文時代が、意外と先進的で文化レベルが高かったことが分かってきている。
そんな縄文遺跡群が世界文化遺産に登録されたわけであるが、その中でも「最古」の大平山元(おおだいやまもと)遺跡にフィーチャーしてみたい。
大平山元(おおだいやまもと)遺跡とは?
青森市から車で40分ほど走った津軽半島の中ごろにある大平山元遺跡は、世界文化遺産に登録された縄文遺跡群の中でも「最古」である紀元前13000年ほどのものと推定されている。
「現在のところ北東アジア最古級の土器」が出現しているというところがポイントである。世界最古の国・日本を考えるうえで、ここの遺跡を外して語ることはできない。
観光スポットとしては、青森市内にある山内丸山遺跡の方が有名であるが、世界最古の国・日本の”空気感”を知るために現地を訪れてみたw
山があり、森があり、川がある
縄文時代における現時点での「最古」の遺跡・・・という響きを聞いて、イギリスにおけるストーンヘンジのような、何か特別な”聖地感”を期待していなかったといえば嘘になる。
しかし、大平山元遺跡は、日本のどこにでもあるような山間の里の中にあった。残念ながら、特別な”聖地感”はなかった。
けれども、あとから考えたらこの「ごく普通の日本の山里」に遺跡があることにこそ、重要な意味があるように思えてきた。
大平山元遺跡のまわりには、ごく普通の山があり、森があり、川がある。
当時は稲作は行われていなかったから、広大な平野部に暮らす必要性はない。狩猟採集生活を行っていた古代縄文人にとって、山の幸、森の幸、川の幸があることが大事であり、それこそが日本という土地の豊かさの現れでもある。
特別感のない、ごく普通の山間部で暮らせるということ自体が、縄文時代が長く安定的に続いた要因なのだと思う。
古代日本における「気候」の問題
古代の日本を考えるうえで、無視してはいけない大きな要因がある。それは「気候」である。
大平山元遺跡で生活が営まれていたと推定される時期は、日本列島が最も寒い時期であったことが分かっている。
青森県の気温の推定である。
1万5680年前の温度が最も低くて気温5.2度、その後徐々に温暖化が進み、6670年前に最高の気温20.0度。そして現在は気温16.7度となっている。
つまり、大平山元遺跡で生活が行われていた時期の青森は、現在よりも10度以上気温が低かった。ということは、地球全体が寒冷化していた時代であり、海面は今より低く、ユーラシア大陸と日本列島は一体化していた。陸奥湾もほとんどが陸地だった可能性があり、そうすると大平山元遺跡は海からかなり離れた内陸部の山間にあったこととなる。
海に近い方が貝なども採りやすいし、何よりもっと温暖な地域に住んだ方が自然のめぐみも多そうだ。そういう意味では、大平山元遺跡は、同時期に存在したはずの集落群の中で、マイナーな存在だったのかもしれない。(当時の海に近かった縄文人集落跡は、現在では海の底)
あるいは、厳しい気候のデメリットを上回るメリットがあったのか。遺跡の公式HPには「良質な石材を採取できる場所」と書いてあるので、もしかしたら石材の採集に特化した一族の集落だったのかもしれない。
ただ、下の日本地図を見ると、別の考えも思い浮かぶ。
左側が氷河時代の日本列島の白地図とされるが、現在の津軽半島が、北海道と本州を結ぶ交通上の要所になっているではないか~!
とするならば、大平山元遺跡も交通の要衝にあったこととなり、地政学上の必然性も生じてくることとなる。古代日本の「交通」、あるいは「交易」を考えるうえでも、非常に興味深い。
もとい、この時期を境に、古代縄文人は「定住生活」に入っていくのである。