クヮン・アイ・ユウ

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最近の記事

誠実

 今から約10年前、輪郭線でも引かれたかのようになぜか突然その実態が明らかになった。  15歳の時から詩を書き始めて10年が経った頃、インターネット上の投稿掲示板に詩を投稿するようになった。その掲示板の利用にも慣れて、次にまた何か新たなチャレンジがしたいなという頃、詩の朗読、ポエトリー・リーディングについて知った。それからオープンマイクイベントに参加し、声で詩を表現することに熱中した。27歳だった。  冒頭の10年前というのはちょうどこの頃にあたる。鬱屈した状態、やり場のな

    • 武田地球さんの詩「ヤマダ電機キリバス店」をリーディング

      タイトルの通り詩をリーディングさせてもらいました。よかったらお聴きください。明るく元気になる詩でとても好きです。

      • 海へ来た

        海沿いの平屋 飼い犬に見せる 十二月生まれ 初めてに出逢う顔を見せて私に 振り返ると 小学生が五人 男の子ばっかり パピコに似た形 でもちょうどその半分の大きさ みんなそれを手にしていて 噛んでぶら下げたまま自転車を漕ぐ子 片手運転の子 一時止まって先に飲み干してから追いかける子 野球帽が飛ぶ うわおーい ハッハッハッハッ 心拍が速い 舌が出ている 笑っている みたい 笑ってる そういうことにしてさ お手からそのままハイタッチなんかしちゃってさ いつかまた会おうよ 天国で

        • いりひの夢

          退勤後 駅までの道すがら 破れてしまうその前の 夏の落陽が見る夢の その中で再現されたかのような 匂いと風景の膜に包まれた それは薄い 薄い膜だった ほんのりと郷愁に駆られ まさにこれからというよりは いつかの流るものが想起された ただこれだけのことなのに どうして記そうとするのか ただこれだけのものに どうして今日一日がみとめられてしまうのか ただ必要だから その始まりから どうしてここまで連れて来てくれるのか 今日も詩にみとめられていく この恩返しは触れられない 想い 

          14th「aaaaao」

          クヮン・アイ・ユウ featuring 宮坂新の最新音源アルバム公開しました。 詩と音楽とポエトリーリーディングの音源です。 よろしくお願いします! 以下にてお聴きいただけます。 14th「aaaaao」 音源のダイジェスト動画はこちらでご覧いただけます。

          「しとたんかとはいく」収録作品、夢沢那智氏作「十一月の牢獄」について

           夢沢氏が「しとたんかとはいく」の掲載作品すべてに感想を書かれていた。その中には私の作品についての感想もあり、とてもありがたいと思った。それから私なりに夢沢氏の作品に向き合いたいと考え、この文章を書くこととした。  正直に話すと、私には詩について何か「わかっている」と自覚出来るものがほとんどない。そんな私ではあるが、出来る限りのことがしたいと思った。  何度か氏の作品を読んだ。それから作品を受けて感じたことを言語化しようと思ったが、難しかった。ただ、初読では悲しみを覚える作品

          「しとたんかとはいく」収録作品、夢沢那智氏作「十一月の牢獄」について

          俺の弱みと闘い

           コンクールに参加しない分、本来であれば俺はもっと多くの色んなタイプの人たちとコミュニケーションをとる必要があると考えている。けれど実際は生活していくことと、個人の創作とその発表に留まっていることについて、自らとして不甲斐なさと恥を感じると共に、このままではいけないと思っている。「多くの色んなタイプの人たち」というのは、自分の生活圏からそれ程遠くない距離にある、人通りの多い駅前を今まさに行き来する人たちのことを言っているのだと思う。  コンクールでたたかう方々の勇気ある行動と

          俺を真似たい

           思えば子どもの頃から他人を真似たいという欲望があった。A君が持っているゲームが欲しくて、B君が行った海へ行きたかった。 他人と同じものが欲しいという欲望には際限がない。もう一つ際限のないものがあった。  俺は前者の欲望からある程度卒業出来たと思った。これは創作を始めてからのことだと思う。もう一つの沼は、自らの真の心の声を聴こうと努めて、聴くことが出来たらその欲望を叶えようとすることだ。  これにも終わりがない。そしてゲームを買ったら一つ完了するような給水所もない。ひたすらど

          「ポエトリーリーディングが鳴り止まない」

          会社で 学校で フードコートで いやもうどこでだって 黙っていたら ほんとよく聞こえて来る 少なくとも聞く為の沈黙ではなかった 時にそれは緘黙に近く 閉口だった よく働く為 学ぶ為 (あれ?ここには何しに来たんだっけ) とにかく よく働き学ぶ為に集中した (あーそうだ食べる為だった) その結果としての沈黙だった 黙っていたら ほんとよく聞こえて来る 世界にはこれ程までに陰口が多いのか うんざりする もう何回目か それでも歩いて来た 加担しない為の沈黙にとどまらず声を上げた 上

          「ポエトリーリーディングが鳴り止まない」

          13th音源アルバム「エレボス」

          宮坂新さんとの共作を公開しました。YouTubeにアップロードした動画を再生リストにまとめたものをアルバムと便宜上呼んでいます。よろしければお聴きいただけたら幸いです。よろしくお願いします。 13th「エレボス」視聴先↓ digest動画もありますのでよければご覧ください↓

          13th音源アルバム「エレボス」

          「行かないでさくら」

          「初めまして」が行き交い 二日目三日目と慌ただしく日々が過ぎていく もうここも七年目の私はと言えば 五千円の買い物をした帰りである 米五キロに飲み物、夕飯、明日の朝ご飯に油ともなれば両手が塞がって この詩を記すことはとても出来なかったから 心象の、スケッチにした 昼休み、食事をしながら帰りは桜を撮ろうと考えていたのに そうして今は、神社内の彩りを横目に 重さに耐えながら歩いています 週明けは雨の予報 春の嵐が巻き上げていく さくら行かないで 行かないでさくら 心のなかに声が

          「行かないでさくら」

          自ら立てて、解いて、生きて、いく

           電話で相手の主張内容を聞き取るのが苦手だ。もっと言うと、実は対面して話している時の相手の言葉ですら聞き損ねてしまうことが少なくない。ただしこれが起こるのには条件がある。それは緊張状態になっているということだ。  既に何度も書いて来たことだが、私は被虐サバイバーである。これは要は虐待を受けて育ったけれども、今もこうしてなんとかやっていますという言葉かなと自身では理解している。ご存知の方も多いかも知れないが虐待には種類がある。そしてその種類によって、ダメージを受ける脳の部位が異

          自ら立てて、解いて、生きて、いく

          音楽性は再読性

           詩の朗読やポエトリー・リーディングのライブパフォーマンスには、テキストで言うところの再読性がないものも少なくないのかなと思ってて(音源となると再読性が生まれると思うんやけど)、でもその一過性のものに再読性を生むものがもしあるとしたら、音楽性かなと思ってる。  韻と無縁の意味伝達に特化した文章を平坦によむことは、それが一過性のものとなる可能性を高めるのかなと思っていて、それに逆らうには感情表現や身体表現をしたり、韻を踏んだり、よむスピードに緩急をつけたり、間を使ったりすること

          それでもやっていくしかないよな、そうだね

           アダルトチルドレンという言葉(名前)がある。過去に見かけたその言葉の説明文で最も興味深かった内容は、例えば○○病や○○障がいのように、それが他者から付けられる名前ではないというものである。医学的な診断名ではないということももちろん関係しているが、件の名前については自ら名乗るものという点が特徴の一つだと受け取った。この名前を知ってから少なくとも10数年が経過したように思うが、今となっては一部の病気や障がいについても、結局のところ本当の意味では他者から名付けられるものではなく、

          それでもやっていくしかないよな、そうだね

          私のDriver

           実はかねてから休日の過ごし方について自らでこれで良しと思えていない。もちろん毎回の休日でという訳ではないのだけれど、頻度は高い。自身の幸不幸について思考する際には、客観性を欠いてどこまでも主観的になると酷く偏って落ち込んでしまう。なので前述のように補足することで気をつけている。前置きが多くなってしまった。  書いておきたいことはこうだ。私には依存症的な傾向があると考えていて、過食→過眠→起床後の酷い倦怠感と鬱的な症状というループから抜けられないでいる。他の対象に依存していた

          父と大根 私の

          あなたがいなければ あんな体験はしなくて済んだというものと あなたがいたから あんな体験が出来たというものがあり 後者にはたとえばおでんの大根でお茶漬けを食べるという行為があり そんなことはきっと あなたがいなければすることが出来なかった体験であり それは父なのだけれど その父もいつかはなくなる 私はその後にもおでんの大根でお茶漬けを食べようかなどと考えるのだろう 不思議だね どちらへも転べるし歩けるのに 「あなたがいなければ」と言いながら その先に 誰のことも恨まない道だっ