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フリーライブに行った話

音が鳴り止んだ瞬間、私は両耳に栓をして彼らとは違う人たちの音楽を流した。そうしないと、感情が溢れてしまいそうだった。


土曜日だっていうのに、いつもと変わらない時間に起きてパソコンを開いた。終わっていないタスクが耳障りな音と共に表示される。一通りチェックがついて甘いココアも尽きた頃、画面から逃れたくなって電車に乗った。

コンサートスタッフのアルバイトをしていた頃によく行った場所。30分くらい前に着いたらちらほらと人が集まっていた。最前列は朝からいたらしい。ご苦労なものだ。
お目当てのソレが始まるといっせいに腕が上がり、バスドラに合わせて手拍子が鳴る。細い指が叩く鍵盤、簡単そうに奏でられるギミック満載のベースライン、ああ、これだ。全てのパートの動きを覚えてしまうほど聴き込んだ音楽。優しい声。この人たちが好きで、この人たちの音楽が好きで、共感してくれる人が欲しくて勧め続けていた無邪気なあの頃。全部、走馬灯のように戻ってきた。

中学までの友人は、価値観が似ていて気が楽だ。どちらかというと身内に近い感覚。高校から、友人が他人になった。自分の名前が珍しいものだっただとか、定番だと思っていた給食メニューが隣の学区では出ていなかっただとかいうことに気づく。社会人になった今となっては、友人と呼べる人と出会うことすら難しくなった。だけどそれは悲しいことではなくて、自分を客観的に見てくれる人が増えたということでもある。ハタチをすぎたあたりから、自分のことを認識できるようになった。自分の好きなことがわかった。

音楽が好き。

映画が好き。

本が好き。

言葉が好き。

美しいものが好き。

きっと、ずっと好きなものって生活に溶け込んでしまって、自分じゃ気づかなくなってしまっているんだ。だけど、あの音を聴いた瞬間に感じた。

ああ、これだ。

自分の中に何の違和感もなくすんなりと入ってくる音楽。聴き慣れたサウンド、リズム、声。夜空の星のように綺麗に、優しく輝く音、ロマンティックな歌詞。青春時代を共にした音楽。この音楽は、私の一部になっているんだ。そう感じた瞬間に、感情が溢れてきた。熱心に追いかけていたわけではない、毎回ライブに行っていたわけでもない。だけど、初めて自分でチケットを取ってライブに行った。気の合う仲間に布教して、カラオケで盛り上がった。仲良くなりたいと思う人をライブに誘った。主題歌になっている映画やアニメを観て、原作まで読むようになった。気がついたら10年近くの月日が経っていた。私の人生の半分近くを過ごした音楽だった。大切な音楽。これからも、大切にしたい音楽。それに気づけたよっていう話。

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