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「人をダメにするソファ」を友達の家に届けるたったひとつの冴えたやり方

「人をダメにするソファ」という非常に快適でありながら、人を再起不能に追い込んでしまう商品がある。

誰もがその全てを包み込む柔軟性に骨抜きにされてきたソファなのだけど、多分に漏れず自分も一人暮らしを初めてからずっと愛用してきたこの代物。

しかし最近、この物体が部屋を占める面積座ったら何もやる気が起こらなくなる現状などを鑑みて、このソファを手放すことに決めたのだった。

名残惜しいことこの上なかったし、捨てるのは勿体なくてどうしようかと悩んでいたのだけども、ちょうど友達から「捨てるくらいなら譲って欲しい」と言われ「それならば」と意を決したのが先日のこと。

ただ、もはや相棒とも言えるソファが門出のときを迎えるにあたり、どうしても一つ超えなければいけない壁があった。

それは、どうやって友達の家まで運べばいいのかということ。

シンプルがゆえに難問。
乗り越えなければならない障壁は数多くある。

まず見た人は分かると思うがあのソファかなり大きい。
おそらく皆様が想像してるより、1.5倍くらい大きい。

さらに言うなら、友達の家までは電車で1時間以上かかるのだ。「はい、どうぞ」と手渡して何とかなる距離ではない。

また、宅配で届けるにもかなり大きな段ボールを用意しなければならないし、その為だけに手続きをするのも少々めんどくさい。
車で持っていこうにも、借りるのは一苦労。

あれこれと方法を考えてはみたものの、実行に移すまでとはいかずに時間だけが過ぎていった。

そんなある日、ソファを譲って欲しいと言っていた友人から「これから(自分の)家に寄っていいか」と連絡があった。

もともと遊ぶ約束をしていたし、こちらにデメリットはない。まぁ来たところで、最終的には彼の家に向かう予定だったのだけど。

そうして自分の家まで来た彼は自転車に乗っていた。
どうやら四ツ谷でレンタルサイクルを借りて、浅草まで来たようだった。

浅草から四ツ谷までは10㎞ほどあるので、割とその時点で変な奴ではあるのだけど、彼がその後に言った一言はもっと変だった。

「あのソファ、今から持っていくから」

正直「この言葉」「自転車に乗っている友人」だけに焦点を絞ると、自転車の前かごにソファを載せて颯爽とペダルを漕いでいく友人の姿を想像をしてしまいそうになる。

しかし、彼もそこまで阿呆ではない。
そもそも、あんなものは前かごに載らない。
針の穴に大縄を通そうと試みるぐらい無茶苦茶である。

実際に彼が提案した方法は「このソファを手にもって電車に乗り、家まで運ぶ」というものだった。

訂正する。彼は阿呆だった。

まさか本気で持って帰るつもりだとは思わなかった。気軽に表に出てきたことを後悔する。

この時点で、これから起こる予定は
ただ、友人の家に遊びに行くことではなくなった。

途轍もなくでかいソファを手に持って、町中の好奇な目に晒されながら友人宅を目指すチャレンジ企画へと変貌したのだ。

本当に勘弁して欲しかったのだけど、このチャンスを逃すと永遠に渡す機会が訪れないかもしれないと思い、羞恥心効率を天秤にかけて逡巡した結果、このチャレンジに挑むことになった。

まずは自分の家を出発して「人をダメにするソファ」を運ぶのだけど、この段階ではまだ自転車があるのでさほど苦ではなかった。

外が暗くなってきたのもあって、通行人も遠目では「何かでかい物体持ってるな」くらいにしか思われない。

駅に到着すると、とうとう「電車に乗って持ち運ぶ」という最難関のフェーズにさしかかるのだけど、その前に友人はレンタルサイクルを返さなければならなかった。

彼がおもむろにスマホで返却場所を探してみると、浅草の周りには返却ステーションが一軒も存在していなかった。

たった一軒も、だ。

まるで浅草だけ結界が張られたかのようにレンタルサイクル側から避けられているせいで、友人がスカイツリーのふもとまで自転車を返しに行っている間、自分はずっと「人をダメにするソファ」を担ぎながら駅前で棒立ちして待たざるを得なくなった。

あの時ほど、心を無にできた時間はない。
滝行なんかより余程頭を空っぽにすることができた。

なんとか友人と合流を果たして、いざ電車に乗り込む。

それにしても、明るい場所で「人をダメにするソファ」を背負っている人は目立つのだなと改めて実感する。

横に並んで歩いているときはそうでもないのだけど、ふと後ろからその姿を眺めると、どう大目に見繕っても異様なのだ。全く駅中に溶け込めてなどいなかった。

通り過ぎる人々の二度見を何とか潜り抜けて、いそいそと電車に乗り込む。

もちろん満員電車に乗ろうものなら乗客からの非難の目を免れないため、各駅停車の空いてる車両に乗り込む。

ちなみに「人をダメにするソファ」は電車の網棚には載らないので、絶対に無理やり載せようとはしないように。約束だ。

それにしても、このソファを運んでいる間ずっと思っていたのが、一人じゃなくて良かったということ。

おそらく一人ではこの好奇の目に耐えられない。
周りのプレッシャーとソファの重さに身が沈む。

あと、持ち運ぶものものがまだ「人をダメにするソファ」で良かったなとも思った。

その理由が、この光景を見ている人たちは奇怪な二人組を怪しみさえしても、行動原理だけはなんとなく分かってくれそうだから。

「あぁ、このソファをどっちかの家まで届けようとしているんだな」と把握してくれるだけでも、気持ちは幾分かは軽くなるのだ。

これが金魚鉢マネキンだとしたらそうはいかない。

どれだけ良い風に解釈しようとしても明るいイメージは望めない。むしろ、心の底の闇が垣間見える。

そうやって、人様の邪魔にならないように各駅停車で一時間半の道のりをゆっくりと進み、ようやく友人の家の最寄り駅まで辿り着く。

ここまでくるともう落着。
悠々と「人をダメにするソファ」を担ぎながら友人の家まで運び込む。

もはやソファを担ぐ姿にも貫禄なようなものが表れ始め、立派なソファ運び職人としての雰囲気を醸し出していた。もう、二人ともその道の人だった。

冒険を終えて、友人の家に落ち着いた「人をダメにするソファ」は立派に役目を果たしているらしい。ここまでしたのだから、果たしてもらわなければ困るが。

終わってみて改めて思うのが、電車には意外と大きなものを持ち込んでいる人が結構いるのだということ。

それはコントラバスなどの楽器だったり、弓道で使われるだろう弓矢だったり、各々が用途に沿った大きなものを運んでいる。

さすがに「人をダメにするソファ」は見なかったけど。

ただ、大きい荷物を電車で持ち運ぶ人がそこそこいると考えると、こうやって手に持って電車で運ぶという方法は「人をダメにするソファ」を友人の家に届ける最適解のような気もしてくる。

かかるお金は電車賃のみだし、そのまま友人の家で遊ぶこともできる。
デメリットは羞恥心のゲージが少しばかり削られるぐらい。

もちろん乗客の方の迷惑にならないのは第一だけども
方法としてはかなり理にかなっている。

最後に、この話の教訓を一つ。

「人をダメにするソファ」は友達の家にあるときこそ
最高のパフォーマンスを発揮する。

友人の家のソファで寛ぎながら、そう思った。


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