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変わらない日々を拠り所にする尊さと儚さ【映画:PERFECT DAYS 感想】

その映画には、見知った道や風景が写っていた。

建物の隙間から見えるスカイツリーも、隅田川に暮れる夕日が望める桜橋も、東京で暮らすようになってからはお馴染みとなった光景だった。

しかし、映画のセリフを借りるならば「この世界は、ほんとはたくさんの世界がある。つながっているようにみえても、つながっていない世界がある」

映画を通して描かれている風景は、自分が生活するなかで何気なく通りがかる場所なのに、映画で描かれている物語は、自分とはつながっていない世界で紡がれていた。

『PERFECT DAYS』という映画を観おえたとき、単調に見える毎日に差し込む小さな光を拠り所にする尊さと、その日々をいつまでも変わらずに続けることの儚さ、その両方の想いが心のなかを漂っていた。

主人公は、東京の渋谷区でトイレの清掃員として働く平山という男。

毎日、同じ時間に起きて、同じような行動をとって働きに出かけ、同じように日々を過ごして寝床につく。

そして、仕事やプライベートにかかわらず、決まった場所へと赴き、顔なじみの人々と会う。平山は無口で、会話はほとんどない。

しかし、決まりきったルーティンをこなしているように見えても、実際のところ、その日常には小さな揺らぎがある。

本を買うときに古本屋のおばさまが添えてくれる一言コメント、浅草駅の地下にある居酒屋の店主が差しだす水割りと「お疲れさん」の言葉、フィルム現像店のおじさんの何の気ないあいづち。

最小限のやりとりで交わされる会話は、決して当たり前のものではなく、平山が少しづつ積み上げてきたからこそ出会えた、その日限りのワンシーンに他ならない。

まったく同じ瞬間を写しとることができない「木漏れ日」のように、目を凝らさなければ気づかないほどのささいな変化が、彼の日々のなかにはあったのだ。

そして、だからこそ平山が淡々と過ごす毎日には、同時に、一瞬で崩れゆく儚さが存在しているように思う。

つい数週間前まで何かが建っていたのに、その場所が空き地になった瞬間、見覚えのあるはずの建物の姿を思い出すことができなくなる。

そんな経験をしたことがある人も多いだろう。

平山が訪れる先々にいる人々とのささやかな交流。
美しさすら感じるほど、整然と行われるルーティン。

こんな日々がずっと続けばいい。
そう、誰もが思ったかもしれない。

しかし、変わらない日々を願っていたとしても、あまりにも唐突に世界は変化してしまう。

それでもなお、そんな刹那的な世界を受け入れることができるだろうか。

静謐で美しい日々にひとたび差し込んだ、異なる色の光と出会った喜びを忘れることができるだろうか。

ふとした想いが頭のなかに浮かぶにつれて、映画にたびたび登場する、渋谷区に点在したオシャレな公衆トイレが、都会に漂っている現実感を薄れさせているように思えてならなかった。

それにしても、オシャレなトイレたちだったな。
聖地巡りしても差しつかえないくらいにはオシャレだった。

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