季語を意識して、初めて見えてくる春の景色 数学好きが学ぶ俳句の世界
数学好きの筆者が、今まで試したことがなかった俳句の世界に足を踏み込んで、はや4ヶ月。
悪戦苦闘しながらも句作りを続ける毎日ですが、徐々に俳句の面白さに目覚めてきました。
今回は、俳句初心者である筆者が実際に詠んだ春の句(厳密には晩冬の句も含みますが)を三句ほど紹介しながら、筆者なりの解説を試みたいと思います。
俳句を詠んでみたい人にとって参考になれば幸いです。
春隣とは、春がすぐそこまで来ていることを表す晩冬の季語です。
暦上の春は二月三日頃(立春)から始まります。歳時記になじみがないとこれは早すぎるんじゃないかと感じるかと思います。
筆者も俳句を始めるまでは同じ感覚だったのですが、句を詠むためにまわりの風景を日々、観察してみると
歳時記の季節は意外にも現実と合ってる
ことに気付かされるのです。
大寒を過ぎ、立春の頃になると景色が変わってきて、春の気配というものを実感できるようになります。
上記の句も、その頃に近所で実際に見かけた一風景を詠んでいるわけです。
句意を簡単に説明しますと
「春がすぐそこまで来ているなあと感じているところに、土手をさまようように歩いている(おそらく餌を探していると思われる)一羽の鳩がふと目に留まった」
といった感じになります。
鞦韆とはいわゆるブランコのことで春の季語になっています。
意外ですよね?
中国北方民族が春の神を呼ぶために用いたのが起源なのだそうです。筆者自身、俳句を始めなければ一生知ることはなかったと思います。
この句を解釈するには上五の「鞦韆や」で、ブランコだけではなく、そこで遊んでいる姿までイメージすることが重要です。
季語はただの指示語ではなく、その季語から想起されるさまざまな事象をも包括する言葉なのです。
句意は以下の通り。
「ブランコで遊ぼう、(今考えている数学の問題)幾何の補助線が浮かぶ(問題が解ける)まで」
この句は、現実の一風景というよりも頭の中の創作に近いですが、筆者としてはリアルにあってもおかしくはないラインを狙ったつもりです。評価は読者に委ねたいと思います。
季語は白梅です。ちなみに、「咥へし」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形。句意は
「白梅の枝を咥えた鴉であることよ」
…これ実は、筆者自身が実際に目撃した光景なのです!
珍しい光景だと思って句会でこのことを発表したところ、ありがたいことに主宰者から解説をいただくことができました。
※句会とは、参加者が詠んだ俳句を持ち寄って、その中から良い句を各々が選んでいくもので、俳句の上達のためにかかせない訓練場です。
解説を読んでから句を見返してみると、より一層イメージが膨らみませんか?
以上、筆者の句の紹介でした。
俳句を始めたばかりでまだまだ分からないことだらけですが、もっと良い句が詠めるように日々精進して参りたいと思います。
追記
最後まで記事を読んでいただきありがとうございました!