放送作家見習い見習いの抱えるタヌキ

 今年の夏、東京に殺されると思った。

 殺されると思うに至った経緯はよく分からない。ただ、世の中のあらゆるエンタメの面白さを理解しなければいけないという思い込みに追い詰められていたような記憶はある。

 春に上京し、「ワタナベコメディスクール」の「メディアクリエイターコース」に入学してから半年ほど経った頃だった。カタカナばかりでよく分からない学校だけど、要するに「エンタメ全般に関わる作家の養成所」ということでいいと思う。それ以上は僕にもよく分からない。とにかくそんな学校に通っているせいで、自分のキャパシティ以上のエンタメを摂取する必要があると思い込んだのだ。「面白い」への感度を、作家の持つべきスペックの一つだと考えていた。

 そんな僕にとっての東京は、街中であらゆるものが「俺は面白い!」と叫んでいる街だった。中でも最もうるさい新宿は、息を止めて鼻を摘んで目を瞑って歩くしかなかった。当然たくさんの障害物にぶつかることになった。疲れたサラリーマン、無邪気な小学生、ストリートミュージシャン、チェーン店の看板、京王百貨店のドーナツ屋。多くの罪のないものと衝突し、数知れぬ痣が体を覆うことになった。勝手にぶつかり、勝手に傷つく残念な田舎者だった。

 世の中のエンタメと真剣に向き合った結果、僕の周りには「面白いと分かるけど好きじゃないもの」が溢れた。そんなわけがない。好きじゃないものが面白いことなんてない。そんな状況になるまで、自分を見失っていることに気づかなかった。

 8月の終わり頃、頭の中で何かが弾けた。

「このままじゃ死んじゃう!」

 大好きだったラジオを聞けなくなった時に初めて気づいた。『東京中毒』になったのである。

 僕は岡山の湯郷に逃亡した。自分の地元というわけではない。小学生の頃から読み続けている(小説を書く方の)作家・あさのあつこの故郷なのだ。都会に病んで田舎へ行くという安易な発想である。季節外れの温泉地の安宿に泊まっている間、一度もテレビをつけなかった。岡山まで来ているのにほとんど外にも出ず、部屋の中で『バッテリー』全6巻を読破した。

 これはちなみに『東京抜き』と言われる東京中毒の一般的な治療法である。本格的な『東京抜き』はインドで行われているらしい。インドには体内に溜まった悪性の東京をガンジス川に流す呪術師がいると聞く。でも僕には金がなかった。岡山で我慢するしかなかった。

「東京中毒になった息子(24歳)にインドで『東京抜き』をさせてあげてください!」

 親類の間で募金活動を行うかの家族会議が開かれたとも聞くが、母親がシャイという一点の理由によりその提案は却下されたらしい。

 僕は何を言っているのか。

 話を戻そう。

 岡山でなんとか東京を抜いた僕は、自分が面白いと思うもので勝負するしかないという当たり前のことに気づいた。

 高校生の時に映画の感想を語りまくっていたら「そろそろ黙れ」と言われた僕が面白いと思うものを出すしかない。それが僕の面白いと思うことなら仕方ない。他人がどう思うかとかではない。他人より面白いとかではない。

 そんなことに半年かけてやっと気づいた。目を開けて新宿を歩けるようになった。

 でも、それで全てがうまく回り始めるわけではない。


 僕はその頃から、企画なんかを考えるときはタヌキをイメージするようになった。クリクリした目の炊飯器に入るくらいの小さいタヌキ。友達が少なくて、いつも頭の葉っぱの角度を気にしているタヌキ。そんなタヌキが僕の中には住んでいる。そいつを自分の中から引きずり出せれば、とりあえず自分では納得できるものが作れる。タヌキは街ではなくて自分の中にいる。だって中目黒にタヌキはいない、多分。

 

 自分の中に住むタヌキの存在に気づいてからは、自分では納得できるものが作れることが多くなった。それがまた辛かった。

 先週の授業で出された課題は「ゴールデン番組の企画書」。自分では面白いと思うものができた。でも、それがかえって怖い。自分がこれ以上ないと思うものが人の目に触れるのが怖い。心から面白いと思うものが否定されるのが怖い。

「まだ形にできてないんです」

 これまではそんな言い訳ができた。でも、自分が納得しているなら、逃げ場はない。紛れも無い「僕」が面白くないことになる。

 そんなことを考えていたら、昨日は(も)眠れなかった。12時に布団に入って、最後に時計を見た記憶が5時。起きたのは7時半。

 布団の中で5時間も考えていたのは、これを否定されたらもうこの世界では生きられない、ということだった。

 僕のタヌキを醜いと言われたら、僕はもう人に見せられるものを持っていない。僕のタヌキが面白くないなら、もう僕は何が面白いのか分からない。

 自分の好きなものを作るのはめちゃくちゃ怖いことだった。

 あるクラスメイトのことを考えた。

 その男は僕とは違って器用で、いつもきちんと合格点を取る。優等生なのである。どんな種類の課題でも質の高いものを作る。誰が見ても面白い。今テレビで流れていてもおかしくない。そんなものを毎回提出している。

 でも、僕は彼のそんなところが気に入らない。

 僕は彼みたいに器用なことできない。自分のタヌキの存在に気づいても、他人の評価は分からない。毎回合格点なんて、とても出せない。彼は僕より遥かに能力が高いと思う。でも、それは分かるけど、僕は彼がちゃんと勝負していないように見えて気に入らない。たまに、あんなことやってて楽しいのかと思う。誰が見ても面白いものなんか作ってどうしたいのだろう。それは、ただの作業だ。僕はあんなもの作りたくない(作れないけど)。僕は、僕のタヌキの匂いがしないものなんか作りたくない。

 要するに、お前も勝負してみろよ、と思っている。

 自分の好きなものを作るのは怖い。でもそういうものを作ったとき、そのときだけ自分が生きている感じがする。なんとなく皆が面白いと思うものを作るより遥かに意味のあることだと思う。眠れないけど、怖いけど、僕のタヌキが面白いと思われるのかどうか、そういう勝負をしないなら作家なんて目指すべきじゃないと思う。最後には、0か100かの勝負をするべきだと思う。

 そして今日もぼやけた頭で中目黒の校舎に向かう。

 

 授業が始まる。

 講師がそれぞれの課題をモニターに映し出して、講評を与えていく。僕の番が来た。

 講師は僕の課題を褒めた。その日は100が出たのだ。嬉しいというより安心した。

 俺のタヌキ、面白いでしょ。

 嬉しい反面、こんなこと続けられるのかな、と少し不安になる。

 

 モニターの画像が切り替わり、別のクラスメイトの課題が映し出される。器用な彼の課題である。

 講師がその課題に講評を与える。

「確かにどんな企画かは分かるし面白いんだけど、尖りがないっていうか、きつい言葉で言うと普通すぎる感じかな。もうちょっとこの番組にしかないってところが欲しいね」

 その日は、珍しくイマイチな講評が与えられた。少し驚いたけど、こういうこともあるだろうと思った。彼だって人間なのだ。

 彼の顔をチラッと見た。

 彼はすごく悔しそうだった。

 そこまで酷い評価ではないと思った。でもそう言うことではなかった。

 それは敗北だった。彼の面白いと思ったものが否定された、100%の敗北だった。

 僕は、自分がすごく恥ずかしくなった。僕は結局、何も見えていなかった。

 自分だけが戦っているような気になっていた。自分の中の、理解されにくいものを伝えることだけが挑戦だと思っていた。0点か100点かの勝負だけが、戦いなのだと思っていた。いつも巣の中に潜り込んでいる自分のタヌキだけがタヌキなのだと思っていた。

 なぜ僕はこんなに何も見えていないのだろう。

 80点から始まる戦いがあることさえ知らなかった。面白いと分かっているものから、新しく面白いものを作る挑戦があることさえ分かっていなかった。そんなことにも気づかずに、呑気に人を軽蔑していた。

 僕だけじゃないのだ。僕以外の皆も、タヌキを飼っている。毎週ここに来て、それぞれのタヌキを引きずり出そうとしている。

 皆それぞれに自分のタヌキの面倒を見ている。僕のタヌキが厄介なのと同じように、皆それなりに個性的なタヌキに手を焼いている。

 皆、自分の中で、自分だけの戦いをしている。

 授業が終わる。また来週の課題が出る。

 僕はまた、0か100かしか出せない僕のタヌキを見つめる。彼はどんなタヌキを飼っているのだろう。他の皆はどうなのだろう。

 それぞれのタヌキに想いを馳せる。そんなタヌキと戦い続けている。

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