西中京吾

一番速い球を投げてみます。

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「おっちゃん」と呼ばれていたおじさん

 子供の頃、「おっちゃん」と呼んでいたおじさんがいた。  「おっちゃん」は僕たちが公園で野球をしていると、歩いてやって来た。  僕や友人の親戚なんかではない。それどころか住んでる場所も、職業も何も知らない。年齢は多分40代くらい。天然パーマで、目がドロンとしていて、口の周りに髭が生えた、謎めいた「おっちゃん」。無口な性格で、ほとんど声を聞いた記憶がないことも、おっちゃんのミステリアスな性質を強めていた。  どうしておっちゃんは僕たちが野球をやっていることが分かるのか、誰

    • パラノイアな祖父を巡る旅 4

      あらすじ  ドキュメンタリー動画を撮ることになった僕は、祖父と父の関係について取材することに決める。祖父は誇大妄想症で自分が「天皇の子孫」だと語っていた。一方、その息子である父は天皇に嫌悪感を示していた。  僕は祖父が誇大妄想症であったことを示す『あるもの』を探すために、かつて祖父と父が住んでいた宇治の家を訪ねる。実家のある大阪から宇治までの道中、祖父の誇大妄想が生まれた原因が「襖の下張り」と親族間での土地の相続問題にあったことが父によって明らかになる。  続いて僕は、父が

      • パラノイアな祖父を巡る旅 3

        〜前回までのあらすじ〜  ドキュメンタリー映像を撮ることになった僕は、小6の時に亡くなった祖父について、その息子である父に聞くことに決める。父によると祖父は「自分が天皇の子孫だと思っていた」そうである。僕は現在住んでいる東京から実家のある大阪に帰省し、いよいよドキュメンタリー撮影の朝を迎える。 〜ここから本編〜  本編と言いながら、ここまでの祖父についての話をおおまかに整理しておく。 ・父によると祖父は「自分が天皇だと思っていた」 ・宇治にある父の実家の前にはかつて畑

        • パラノイアな祖父をめぐる旅 2

           前回までのあらすじ  とある事情でドキュメンタリー動画を撮ることになった僕は、父と亡くなった祖父を取材することにした。祖父はすでに亡くなっているが、かつて誇大妄想の気があり「自分は天皇の子孫である」と語る人であった。一方、父は政治に関心が深く、天皇の話題が出ると怒り出す。2人の間に一体何があったのか、確かめるために僕はまず、東京から現在父の住む大阪に向かう…    成田から関空に向かう飛行機でこの文章を書いている。  特に今日は何もしていない。飛行機に乗るのは久しぶ

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        「おっちゃん」と呼ばれていたおじさん

          パラノイアな祖父をめぐる旅 1

           明日の夜、成田から格安の飛行機に乗り、実家のある大阪に帰る。明々後日の朝の飛行機で東京に戻ってくる。わざわざこんな時期に短い里帰りするのは、とある動画を撮るためである。  先日、今通っている学校のようなもので課題のようなもの(ようなもの、が多くて申し訳ないが、それを説明し出すと長くなるので割愛)が出された。その内容がドキュメンタリー映像を作れというものであった。要するに大阪でそのための動画を撮るのである。  ドキュメンタリーの自主制作という課題を聞いてから、僕はまああれ

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          三井寿が大学でバスケを続けたら

          「なあ、三井って大学でバスケしたらあかんよな?」  一昨年の12月、河原町で僕は言った。友人と京都の大学生御用達の映画館「ムービックス三条」で『THE FIRST SLAMDUNK』を見た後、商店街でカレーを食べていた時のことだ。  映画の感想を(半ば一方的に)話している時にふと思った。湘北の三井寿は大学でバスケをしてはいけない。僕がそう言うと、友人は最初(なんやこいつ)と不思議な顔をしていたが、しばらく考えて最後は「それちょっと分かるわ」と言った。   僕も友人も、4年間の

          三井寿が大学でバスケを続けたら

          宇治の雑煮とパラノイア

           関西で育ったので、東京で年を越すのは不思議な感じがする。  僕の頭の中で、正月の背景はいつも同じ、宇治の景色である。古い住宅街と田んぼが広がり、その間を宇治川が流れる。少し上流に行けば平等院。出身は大阪なのだが、父の実家が宇治にあったのだ。  毎年初詣は平等院に行っていた。極めて個人的な感覚として、平等院鳳凰堂は僕の成長とともに観光地化が進んだ。幼い頃は素朴な印象の京都の神社だったが、一年ごとに人手が増え、いつの間にか「天下の平等院」になった感じがする。父は世界遺産に登

          宇治の雑煮とパラノイア

          箱根駅伝というスタンドバイミー

           毎年箱根駅伝のゴールの瞬間を見ている気がする。普段はテレビなんかほとんど見なくなった。それなのに、今年も10区の選手がゴールテープに飛び込む瞬間、テレビの前で呑気に涙を流していた。  陸上経験者ではないし、陸上好きとさえ言えない。だから「箱根駅伝は絶対見る」というほどの意識はない。いつも、正月なんだからちょっとくらい見ておくか、という程度の意識で見始める。それでも、最後のシーンは必ず見ているのだか不思議なものである。その時点では今年の出雲とかなんとかの結果も知らない。アナウ

          箱根駅伝というスタンドバイミー

          僕は字が汚い〜愛探すオタク〜

           自分の字が汚いということについて書く。なるべく客観的に、冷静に書きたい。とは言っても自分の性質について書く以上、これが自分を愛そうとする試みであることは否定できない。僕は字が汚いが、字が汚い自分が好きである。ゆえに、僕が自分を卑下するようなことを書いても、それは建前だと思ってくれていい。僕は字が汚くて、字が汚い自分が大好きで、それに、字が綺麗なやつなんか大嫌いだ。  京大生というのは2種類に分かれる。字が綺麗な京大生と汚い京大生である。感覚的にはその中間は少ない。僕の知っ

          僕は字が汚い〜愛探すオタク〜

          放送作家見習い見習いの抱えるタヌキ

           今年の夏、東京に殺されると思った。  殺されると思うに至った経緯はよく分からない。ただ、世の中のあらゆるエンタメの面白さを理解しなければいけないという思い込みに追い詰められていたような記憶はある。  春に上京し、「ワタナベコメディスクール」の「メディアクリエイターコース」に入学してから半年ほど経った頃だった。カタカナばかりでよく分からない学校だけど、要するに「エンタメ全般に関わる作家の養成所」ということでいいと思う。それ以上は僕にもよく分からない。とにかくそんな学校に通

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          下ネタを言えない

           下ネタが苦手である。  小学校の時は普通に言っていたのを覚えている。下ネタとも言えない低レベルなワードでゲラゲラ笑っていたし、あまつさえ紙粘土で「うんこまん」を作った記憶さえある。  中学校に上がり、顔にニキビができ始めた頃から下ネタが言えなくなった。多くの中学校では、その頃から男子が「本当の下ネタ」に目覚め、そんな男子を女子が軽蔑するというのが一般的な構図だと思う。僕はエリートたちが放つ本当の下ネタについていくことができ無かった。要するにドロップアウトしてしまったのだ

          下ネタを言えない

          ジェネレーション・トーク

           懐かしいトークテーマについていけない。同級生で集まるとそういう話題になることも少なくないが、出てくるモノに軒並み馴染みがない。流行に乗れずに育ってきてしまった。  ゲーム機は買ってもらえなかったから、ポケモンとかの話題はよく分からない。「はねとび」も見ていなかったし、…と続けて例を挙げようと思ったけれど、例さえ思いつかない。それくらいついていけていない子供だった。だからと言ってマニアックな趣味を持つわけでもなく、単に「知らない」というマイナスポイントだけを背負う子供だった

          ジェネレーション・トーク

          氏、『森見登美彦』を語る

           僕が初めて森見登美彦を読んだのは中学2年の時だった。確か『夜は短し歩けよ乙女』が映画化された頃で、教室の学級文庫にあった原作を何も知らずに手に取った。どんなものか1、2ページ覗いていると、先生に「あんたが読むもんちゃうで」と水を刺された。おおいに腹を立てたことを覚えている。当時は「そんなこと言わんでええやんけ」と思ったけど、今なら先生が言うこともわかる。その時僕が愛読していたのはあさのあつこの『バッテリー』とかで、僕は結構ちゃんとした中学生だった。森見登美彦は多分、ちゃんと

          氏、『森見登美彦』を語る

          古代史のゴミ箱

           古代史が好きだ。特に世界史、ギリシャやメソポタミアの古い歴史はいつまでも見ていられる。  この文章の結末は決まっている。紆余曲折を経て、要するに「古代史が好きな人は独りである」という結論に落ち着く。ディズニー映画が全て「真実の愛」に落ち着くのに似ている。  昔は自分は歴史全般が好きだと思っていた。「火の鳥伝記文庫」を愛読し、学校のテストでもいい点を取る模範的な歴史少年だった。  ところが大学受験を終えて見ると、自分が歴史全般が好きとは言えないことに気づいた。テストを離

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          初々しさの定義

           舞台と観客席の間には膜がある。膜が破られた時、初めてその存在に気づいた。無意識のうちに出来上がっている、演者と客を区別する膜。曖昧だけど、絶対的な膜。破れて落ちた破片を見て、膜があったのだと気づいた。  アイドルのライブの話である。その時、舞台の上にはグループの中でも若いメンバーが立っていた。僕は、彼女たちのパフォーマンスを見ながら、純粋さ、あるいは初々しさと呼ばれるものの正体は何か考えていた。その時、自分の中で、その答えが出た気がした。  初々しさとは「共縮」のことである

          初々しさの定義

          ものを失くすことの辛さ

          髭剃りの充電をしておこうと思ったら、充電器が見当たらなかった。  ものを失くすことの辛さは、ものを探す時間にある。ものを探す時間、ものを失くしつつある時間が一番苦しい。失くしてしまった後は、実はそれほど苦しく無い。すでに諦めがついて開き直っているくらいだ。自分はこの程度の人間、と自己評価を一段階下げて、失くしたものは新しいものに買い換える。それよりも、自分は充電器を失くしてしまったのか、一時的に見当たらないだけなのか、存在を疑いながら探す時間が一番苦しい。極端に言えば、もの

          ものを失くすことの辛さ